こんなニュースがあった。 大規模な太陽嵐が地球に接近 通信、送電網に悪影響か 【ワシントン共同】米海洋大気局(NOAA)の宇宙気象予報センターは7日、太陽表面の巨大な爆発現象「太陽フレア」が6日に発生し、放出された電離ガス(プラズマ)などによる太陽嵐が地球に向かっていると発表した。 AP通信によると、太陽嵐は最近5年間では最大の規模で、通信や送電線網、飛行機の運航などに悪影響を及ぼす恐れがあるという。プラズマは時速640万キロの速さで地球に向かっており、米東部時間の8日午前1時~午前5時(日本時間同日午後3時~午後7時)ごろに地球に到達する見通し。9日午前(日本時間同日深夜)まで影響が続く可能性がある。 私の知人が、プラズマの影響で、なにか良くないことが起こるのではないかと、facebook上で心配していた。 幸い、何もなかったようだ。 今日も世界が平和でありますように… |
私は長らく優良運転者だったのだが、昨年7月通勤途中に車輛事故現場に気をとられて脇見運転をしてしまい、前のワゴン車に追突…。鞭打ちの人身事故を引き起こし、即刻、現場検証中の警察官に事情聴取された。幸い相手方の症状も大事に至らず昨年末に全快したと連絡を受け一安心していたら、思ったより早く免許更新の案内が届いて、自分がすでに優良講習の受講者でないことを思い知った。 今日、早速更新手続きに行ったら、何十年振りかで2時間の講習を受けることになった。 講師が個人的な教訓と前置きして話したことが、印象に残った。 幼稚園児の孫と散歩していて、自分が車道を歩いていたら孫に注意されたと言うのだ。“人が歩いていいのは、歩道と白い線のあるところだけだよ。おじいちゃん!”と言われたそうだ。白い線のところとは、言うまでもなく横断歩道である。 信号が青になって横断歩道を渡ろうとしたら孫に止められ“おじいちゃん!まず手を挙げて、右見て、左見て、確かめてから渡っていいんだよ。”と言われたと言うのである。 講師は、孫が全てを理解して自分に注意したかどうかは分からないが、幼稚園の先生の徹底した安全指導をえらくほめたたえた。 この話…私も、素晴らしい話だと思った。幼稚園の先生が園児に“信号を鵜呑みにするな!信じることのできるものは己だけ。自分の命は自分で守れ!”と、言っていると考えたら、素晴らしい話だ。 世の中、“自己責任”について、もっと考えるべきだと思う。当然騙す方は悪いが騙されるほうも悪い。人の指図を聞いて崖から落ちて死んでも文句言っていくところ、ないしな…。 “自己責任”についての教育は、義務教育でなされてるんだろうか? 他人をあまり信用しないことだよ。騙されたと思っても必要以上に恨まないことだよ。自分の落ち度はしっかり認識しなくちゃ。 なんて…講習会で納得して帰ってきた。 |
ギター教室に言っていつものようにレッスンそっちのけで先生と話をしていたら、次の生徒がやってきて、なにも習わなかったけれど満足したし…いいや、と思って“帰ります。”と、言ったら…、先生がそのままでは悪いと思ったのか、“最初の一音だけ弾いて帰って…。”と、おっしゃった。一瞬冗談かと思ったら、最近習った曲の出だし部分を弾かされ、続いてその曲の第一音だけ弾くように指示され、言われるままに弾いてみると…“その最初の一音で聴く人は、演奏家の力量、感受性を予測する。”と話された。 その話は、私の心をしっかり捉えた。初めて会う人の第一印象が大切だとは分かっていたけれど、演奏にはもっと聴く人とのファーストコンタクトが重要かも知れない。演奏する人の最初の一音で聴く人は演奏家の技術だけでなく、どんな演奏になるのか、音を大切にする人か、どんな感性の持ち主かをも見抜いてしまうことだろう。 年をとって経験を重ねた私は、優秀な演奏家が舞台に上がる瞬間の所作をみて、演奏のはじまる前に、期待できる演奏になるかどうかだいたいのところ予測しているかもしれない。ましてや最初の一音はと言うと期待のピークと言えるかも…。 これから、私はもっと第一音を大切に弾こうと思う。その姿勢が演奏のすべての音を大切のすることにつながっていくのだろう。 いつか、私の第一音が聴く人に演奏を期待させるような、真心のこもった音が出せるようになりたいと思った。 ただし、今のところは、第一音で大したことない…って見透かされるだろうな…。 ほとんど練習しなかったけれど、先生の一言が、私にとって素晴らしいレッスンになった。 私の演奏は、これから少しだけだが確実にレベルが上がると思う。 |
同じものを持っているのに、足りていると人と、足らない人がいる。 例えばポケットに500円玉が1枚あり…、目の前に、声を限りに叫んでいる東北大震災の募金活動をする中学生の集団がいたとして…、自分に500円玉が1枚あるから今募金しようと思う人がいるし、自分は今500円しか持ってないし…どうせ、今募金したって、そのお金が何に使われるか分からないから、次の機会にしよう…なんて自分を納得させて通り過ぎる人もいる。 この状況で募金をした人が偉くて、しなかった人が冷たい…なんてことを言うつもりはない。 あくまでも、同じ状況にあっても、人によって全く異なる考え方があり、違う行動をとる人がいると言いたいだけだ。 世の中には、足りている人と、足りていない人がいる。 “ある”人と“ない”人がいる。 私は、“ある”人になりたい。 私は、“ない”ことに愚痴を言う人にはなりたくない。 “ある”と、思って生きている人には、 感謝の気持ちが生まれ“ありがとう”という言葉が自然にでてくる。その言葉が接着剤となって、新しい“ある”へとつながる。そして、その循環が自分と周囲の満足感を増幅させる。 “ない”と、思って頑張って生きている人は、その気もちをバネにして、新しいものを生み出す可能性をもつ。 “ない”と、思って愚痴を言うだけの人は、自分に今あるものも、どんどん離れていく。 たった、それだけの違いだろう。 どれがダメで、どれがいいという話ではない。 世の中には、“ある”人生を生きる人と、“ない”人生を生きる人がいる…。 私が言いたのは、ただそれだけのこと…。 私は、中学生の募金活動を見て、毎回募金はしていない。 |
昨晩、私の町の“町をまもり・そだてる会”に出席した。この会は、住人・商業者・行政・学識経験者が出席する会で、町の歴史上重要な建築物の保全だけでなく、住人のゴミだしの問題、空き店舗問題、ユニバーサルデザイン化、多国語による表示看板、観光客導入等の問題を話し合うだけでなく、町を活性化させるためのアイデア提案募集を受け付けたり、さらに新規出店する店舗の営業内容の説明や、建築するマンションの間取り、外壁の素材・色のお伺いをたてに関係者がこの会に詣でる。 昨晩は、町の住人や既存商業者との間でトラブルを起こした障害者を雇用するレストランのオーナーが呼び出されて出席していた。このレストランは健常者の付添なしに黒い制服を着させた知的障害者の集団だけで客引きやビラ配りをやらせている。 住人と既存商業者は通行客が恐がると指摘すると、レストランのオーナーは、そんな話は聞いたことがない。だれが言ったかと逆切れし、障害者の社会と接触の大切さを熱弁した。さらに同じように客引きをしている店を、どうして放っておくのかと非難し始め、しまいに弁護士を引っ張り出す…云々と言い始めた。 どちらが正しいとか私は言うつもりはないが、それぞれの言い分の主張を繰り返す衝突を見ていて、不謹慎にも笑いがこみ上げて吹き出してしまった。 宗教戦争なんて、こんな感じだ…なんて単純に考えてしまった。 それぞれが正しいことを主張するだけだったら、ぶつかるしかない。 相手が正しいと思うことを理解したうえで、自分の正当性を主張しないとね。 正しいことは、一つだけじゃないもんね。 人がいたら、その数だけ正義があるんだよね。 もっと相手のこと勉強しとけよ、もっと相手の考え方や心情を理解しようとしろよ…自分の主張を聞いてほしかったら…と言いたかった。 ただ、あの障害者を雇用するレストランは、今後新聞沙汰になる問題を起こしそうな予感がする。 人を教育・訓練・開発・支援する組織が、あんな協調性のない主張をするなんて…問題外だと思った。 |
私は他人から芸術家タイプと言われることがよくあるのだが…、確かに美術学校を出て、27才でアメリカのある田舎町の画文集を出版したことがあり、その後、生まれ育った町の人達の写真集も出版した。だが、自分では芸術家だとは思わない。これは謙遜ではなく心からそう思う。 美術学校を出たから芸術家と言うのは短絡的過ぎる。私の場合、高校時代に理数社と古典の勉強を全くしなかったから一般大学に受かる可能性はなく、美術系であればデッサンや色彩構成等を少し他人より頑張ればなんとかなると思ったので美術の道を進んだだけのことである。とにかく、決して絵を描くことが好きでたまらなかったわけではない。 芸術を志す者のなかには、恐ろしく純粋に作品造りに向き合える人・おそろしく感性の高い人がいることを私は知っている。私のなかの“芸術家”とは、非常にレベルの高い存在であり、到底私ごとき能力の及ぶところではないのだ。 無理やり芸術家と私の共通点を探すと、集団活動が苦手で、他人と同じことをすることを好まないことだろう。一般人は、なんらかのグループに入りたがり、周囲の人と同じことをしていると安心するようだ。義務教育はそんな安心を求める人達を競争社会に送り出す教育だと思う。その点、美術学校は少数派を容認する学校に違いない。 もし、個人プレーを得意とする人がみんな“芸術家”ということであれば、私も芸術家に違いないのだが、それだけでは芸術家を語るには片手落ちだ。個人プレーのうえに、ひらめき・集中力・情熱というどんなジャンルでもトップになるために必要なファクターが揃ってはじめて“芸術家”と言えるのだ。 私は何者なのか…?経営者ではなく、スポーツマンではなく、サラリーマンではなく、職人でもない。芸術家でもない。自分では分からない。さて、私は何者か…? 私は小説家になりたいと思っている。ひらめき・集中力・情熱をもってチャレンジしようと思う。小説家も芸術家の一部だろうか…。さて、私は何者か…? ちょっと変わったおっさん…今のところ、このあたりが適当な評価に違いない。 |
いんふる私は、花粉症で…鼻水がとまらず、目が痒くてたまらない症状が出るのだが、ここ数年は主治医から薬を処方されシーズン少し前から服用して難を逃れている。今年も大事に至らず乗り切れそうだ。 昨日、喉の奥に違和感を感じ、風邪の引きはじめかと思い葛根湯を飲み始めた。今のところ症状の悪化はない。 このシーズン、もう一つの心配事…インフルエンザも気になるところだ。今年は予防接種を受けなかったのだが、幸い感染シーズンも終わりに近い。世間では3年前の新種のインフルエンザの騒ぎがどこへ行ったかと思うほどの静けさである。小学校では学校閉鎖もあいつだそうだが、私の周囲ではインフルエンザで倒れた人の噂もあまり聞かなかった。 昨年インフルエンザで学校を休む児童の率が国内平均より高かった九州のある町では、保健婦さんの提案で昨秋から明治乳業のR-1とかいうヨーグルトを全児童に飲ませ続け、その結果この冬の感染率を大きく低下させたとニュースで聞いた。このヨーグルトには体内の免疫力高めるなにかが入っているらしい。 私も、食べてみたいと思って、スーパーやコンビニでこのA-1を探しているのだが、まだお目にかかれていない。 科学的根拠は分からないが、対ウィルスの効果は予防接種より高いのではないかと思われる。 誰かが買い占めているのだろうか?明治乳業に直接電話して聞いてみようかしら…。 ともかく、インフルエンザに効果があると正式に公表されたら、製薬会社と医療関係者には大打撃だろう。ひょっとすると医学界から圧力が、かかってるかもしれんな。いやいや…それは邪推という事にしておこう。 ただし、症状を抑え込む医療ではなく、免疫力を高める食品や薬の研究は、人類の健康維持のためにますます発展する分野になるだろう。 人間は、ますます死ねないようになってくるな…。 |
私には、シェフが個人的に知り合いの場合、年に何度か食べに行く飲食店はあるが、本来私はグルメではないし、味に敏感ではないので、美味いから何度も行くというような“行きつけの店”は私の食べ物屋のリストには存在しない。できるなら、世の中星の数ほどある食べ物屋を片っ端から食べ歩きたいと思うが、どう考えてもそれは無理な話…、従って知人に勧められたり、ネットで良さそうな店を見つけては、1度だけしか行かない新しい店を訪ね歩く。 たまに選択を間違ったと思う店もあるが、それはそれで自分の肥しになる…と後悔はしない。大体美味いものばかり食っていると味覚が麻痺するのではないか…。美味くないものも適当に食べておく方が、美味いものに巡り合った時に大きな幸せを感じると言うものだ。 私の食べ物屋の評価は、美味いか美味くないかだけの基準ではない。勿論味は大切だが、入口付近・看板・内装・什器・器・サービス…そしてオーナーレストランの場合はオーナーの顔が重要だ。おそらくミシュランの審査員もオーナーの顔を一番重要視しているのだろうが、それはさすがに公にはできないのだろう。作る人の、人となりを見ていると大体予想どおりの皿が出てくる。 今日は昼から知人とコンサートに出かけるが、その後に私の主治医に勧められた焼き鳥屋に行く予定だ。私の血圧をコントロールする医者は、私が食いしん坊だと思って、自分の気に入りの店を教えてくる。医者は私の血圧を上昇させて薬の量を増やそうとしているのだろうか…。 あまり深く考えずに、焼き鳥屋の主人の顔を観に行こう…と…いや、違った。美味い焼き鳥を期待して暖簾をくぐることにしたい。 |
ふと、小学生の頃を思い出した。 アルマイトの給食の器に,大嫌いだった山盛りの春雨サラダ。ご飯なんてなかった。連合軍の陰謀のパサパサのパンしかなかった。 1年の時に運動具の倉庫の裏で友人と、“おしっこ”してるところを学校で一番恐い先生に見つかり、翌日ハサミを持った担任の先生にみんなの前で、“おちんちん”だしなさい…って言われたこと。 遊び時間に、蝋マッチをもってきた友人のポケットから火を噴いたこと。 あの頃は、ポケットティッシュなんてなかった。みんな、ちり紙を折って持て行ったっけ…。 5年生の社会のテストで、全然分からなくて隣の席の女の子が答えを全部見せてれくれた。ところが、その娘より点が良くて、二度とカンニングはするまい…と思ったなぁー。 当時、鉄棒で大車輪ができたけど、今は逆上がりができるかしら…。 貧血で、喘息で、学校の三分の一は休んでいた私が、よく今まで生きてこられたものだ。 それも他人より、元気で、幸せに…。 事業がうまくいかずに苦しかった頃のことを思い出した。 口癖のように“どうしたらええんや!”って言ってたなぁー。 あの時は苦しかった。自分が世界で一番苦しいって思えたなぁー。 おまけに、大動脈解離になって…本当に死にかけて…。 あれだけ、目の前に光が見えなかった私が、よく今まで生きてこられたものだ。 それも他人より、元気で、幸せに…。 忘れたらあかんのよね…。あの時のこと。 すべての過去の出来事が、今の自分の身になっているんだ。 今を精一杯生きなあかんのよね…。未来のために…。 |