私には、シェフが個人的に知り合いの場合、年に何度か食べに行く飲食店はあるが、本来私はグルメではないし、味に敏感ではないので、美味いから何度も行くというような“行きつけの店”は私の食べ物屋のリストには存在しない。できるなら、世の中星の数ほどある食べ物屋を片っ端から食べ歩きたいと思うが、どう考えてもそれは無理な話…、従って知人に勧められたり、ネットで良さそうな店を見つけては、1度だけしか行かない新しい店を訪ね歩く。 たまに選択を間違ったと思う店もあるが、それはそれで自分の肥しになる…と後悔はしない。大体美味いものばかり食っていると味覚が麻痺するのではないか…。美味くないものも適当に食べておく方が、美味いものに巡り合った時に大きな幸せを感じると言うものだ。 私の食べ物屋の評価は、美味いか美味くないかだけの基準ではない。勿論味は大切だが、入口付近・看板・内装・什器・器・サービス…そしてオーナーレストランの場合はオーナーの顔が重要だ。おそらくミシュランの審査員もオーナーの顔を一番重要視しているのだろうが、それはさすがに公にはできないのだろう。作る人の、人となりを見ていると大体予想どおりの皿が出てくる。 今日は昼から知人とコンサートに出かけるが、その後に私の主治医に勧められた焼き鳥屋に行く予定だ。私の血圧をコントロールする医者は、私が食いしん坊だと思って、自分の気に入りの店を教えてくる。医者は私の血圧を上昇させて薬の量を増やそうとしているのだろうか…。 あまり深く考えずに、焼き鳥屋の主人の顔を観に行こう…と…いや、違った。美味い焼き鳥を期待して暖簾をくぐることにしたい。 |