acchan.com恋愛お見合い - 無料の婚活サイト  どなたもログインしてません  

SOLILOQUY

ひとりごと

▼    | 1 | 2 | 3 | 4 |
March 31, 2012 13:43:32

独立

カテゴリー: 日記
日曜日に大阪のイタリアンレストランに行く。この店は私が経営していたイタリアンレストランの3代目の店長が独立して始めた店である。彼は私の記憶に残る優秀な人材で、私の下で働き始める前に自ら“自分は、経営者サイドに立って動きます。”と宣言した。確かに、彼がいた頃は営業状態もよく店のまとまりもよく、なにしろ私が精神的に楽だった。

当時、“料理の鉄人”なんて番組が人気で、料理学校のテレビCMが頻繁に流れ、歩けばフレンチの店にあたるとか、イタリアンの店にあたる…とか言う時代で、町場のレストランにも意欲のある人材が多く集まったが、その後独立しても立ち行かなくなって閉めてしまう店が増えたものだから、みんな臆病になり、独立開業の夢を見ない料理人が増え、同じ働くなら福利厚生の整ったホテルやらの大手企業にかにしか人材が流れなくなり、結局私が店を閉める結論を出した理由の一つに求人しても電話が一本もかかって来ないという現実にぶつかったこともある。

私は、知り合いの店を訪ねる時、わざわざ気を使わせたくないという思いもあり、偽名を使って予約する悪い癖がある。今回も彼の店に名前を名乗らずに電話した。すると彼が電話口に出て対応してきたもので、いつものように知らないふりして予約しようとしたら“あれッ、○○さんじゃないですか?”と核心を突いてきた。こんなに簡単こに見破られたのははじめてである。
15年振りだと言うのに、さすがにたいしたものだ。だから独立してやってこれたんだ…と思った。

彼が止めた当時から、私の心にゆとりがなくなり、新店に訪ねてやらねばと思っても足が向かなかったが、やっと行ってみようと思える余裕ができたことに感謝した。

久しぶりの大阪行を、精一杯楽しむことにしたい。
March 30, 2012 16:58:20

調律

カテゴリー: 日記
今日は、“ピアノとギターのコンサート”の当日だ。朝からピアノの調律師がやってきて、今も私の目の前で仕事をしていている。私は、京都からたまにやってくる彼と話をすることが大好きで、今日も“(ピアノの)調子はどぉ?”と声をかけた。
すると“全体に下がってました。”と返事が返ってきた。

彼との付き合いは、今のピアノを手に入れた当時からだから、もう15年くらいになるだろうか…。彼は少し変わり者で、私とあまり年齢は変わらないのに、子供のような純粋な感性をもっていて話していると実に楽しい時間が過ぎていく。
実は、先月別のコンサートの折、主催者が勝手に別の調律師を手配していたことがあり、そのことを彼に話をした。彼は気を悪くするでもなく作業を続けていた。私が“調律師によって調律方法が違うんでしょうね。今日はやりにくくないですか?”と尋ねると…。“大変なことはないけれど、ピアノによって癖があるので、そこを知らずに触ると、その時は良い音でも演奏中に狂ってしまうことがあります。このピアノは安定するまでに時間がかかるので、それを知っている人のほうがいいですね。”と淡々と答えた。

付き合いが長いということは、互いの長所だけでなく短所も理解できていて、相手の魅力を最大限引き出せるということだろう。私の主治医も同じかな…。家族も同じかな…。私の悪い部分を知っている人は大事にしなくちゃ…。

私は、これからも、彼に調律をお願いしようと思う。
March 29, 2012 16:59:00

症状

カテゴリー: 日記
檜の花粉が飛び始めたという。昨日から体調が急激に悪化した。腰が痛い…というより…抜けそうだ。この症状は花粉症ではないかもな…。花粉症で咳したり腰が痛いなんてことがないとすると風邪に違いない。同時に大量の鼻水と涙が垂れ始めた。15年ほど前に耳鼻科で診察してもらって、医者に可哀そうがられた事があった。“可哀そうに…風邪と鼻炎と花粉症を同時に併発してる。えらいこっちゃねー。”それに近い最悪の症状だ。

ここ数年効果をあげていた花粉症の飲み薬が今年は効かない。私の花粉症は今年になって進化したのかもしれない。
私自身も自ら進化して対抗したいが、その力はなさそうだ。

明日、医者に行こう。

早めに帰って寝よう。

何も、考えたくない。
March 28, 2012 13:47:41

先生

カテゴリー: 日記
今週の金曜日に“ピアノとギターのコンサート”が私のホールで開かれる。主催者はギタリストで、私の先生でもある。ピアニストはギターの先生のお気に入りの女性ピアニスト…。昨日演奏者2人とギターの先生の奥さん…そしてギターの先生のマネージャー2人が参加して、合計5人で入念なリハーサルが行われた。
昨年から始まった計4回の連続企画のコンサートは、この度第3回目を迎える。もともとギターとピアノは合奏には適さない楽器である。なにしろ音量が違う。どちらの楽器もピアニッシモもフォルテシモの音も出すことができるが、明らかにピアノの方がダイナミックである。そして、良くいえばギターは繊細である。

ピアノはハンマーが弦を叩く打楽器で弦に直接人の手が触れることはない。ギターは基本…1本の弦に2本の手が触れて音を出すから微妙な音色の違いを出すことができる。決してピアノが繊細でないわけではないし、優秀なピアニストは、鍵盤への微妙な指のタッチの違いで幅広い音も出すのだろう。そんな話が、リハーサルの間に2人のアーティストの間で交わされた。

この度のコンサートでは、合奏演奏はない。おまけに演奏ではなくギターを伴奏にして、ピアニストの30分間の朗読が予定されている。ギターの先生はギター界のなかではアウトサイダー的な活動をしている。ギタリストとしては優秀であるが、メジャーにはなれないだろう。レッスンをしてもらっていて、マスターベーションが多すぎるように思う。
メジャーはもっと単純なのだろう。教え方も単純なんだろう。これが正しいと教えるのだろう。私のギターの先生は自分で正しい思えることを見つけるように指導する。ある意味大きく構えているように見えて、一般的には不親切かも知れない。

私は、そんな先生の教え方が大好きである。

当日30人しか客が集まらない。30人も集まると言ったほうがいいのだろうか…。
先生も私も、お金儲けは苦手のようだ。
金曜日のコンサートが楽しみだ。
March 27, 2012 11:14:24

建築

カテゴリー: 日記
50代半ばでこの世を去った知人の建築家のことを思い出した。出会ったのが28年前、亡くなってからもう10年ほど経過しただろうか…。彼が30才代の半ばの時のある建築の実施設計の際に話をする機会があった。当時彼は建築誌“新建築”に載るレベルの現場をいくつか掛け持ちし、寝る間をおしんで体を酷使して設計に打ち込んだものだから、ある時彼の尿に血が混ざったことがあった。彼はその時私に薄笑いを浮かべて、こう言った。
“この年齢で、おしっこに血が混ざるような仕事ができて幸せですわ…。”

壮絶な設計馬鹿の言葉が今でも耳に残る。

彼は、すい臓癌でこの世を去ったが、若い時からの無理がたたったに違いない。

彼が死んでも、彼が手がけた建物は、彼の生きた証として残っている。その意味を知って、彼はどんな時でも精一杯設計に向かったことに違いない。

私は、今まで生きてきて、彼ほど真摯に人生に向き合ったことは一度もないかも知れない。
いつの間にか、私は彼が死んだ年齢を越えてしまった。
今からでも遅くないかな…。
彼の半分くらい頑張ってみようかしら…。
March 26, 2012 13:15:43

異常

カテゴリー: 日記
昨日は、安藤忠雄の設計した非日常の空間で午後のひとときをゆっくり過ごしたいと思い県立美術館に足を向けた。特に興味のある展覧会が開催されていたわけではない。行ってみると“アーリュ・ブリュット・解剖と変容”と言うテーマの催しがあり、アーリュ・ブリュットに関する予備知識のない私は、解剖学に関わる過去の解剖図とか昔の医療器具が展示されていると思ってチケットを買い求めた。
ところが、この展覧会は…何と言うか、私の芸術に対する概念に衝撃を与えるものだった。チェコ出身のルボシュー・プルニーとアンナ・ゼーマンコヴァの二人の作品は、普通?ではない。彼らは明らかに精神に障害を持っていると思われる。彼らの作品をじっと見ていると私自身に落ち着きが無くなり、不快感が芽生えてくる。こんな感覚は初めてだ。私のなかの芸術の範疇をここまで広げて良いものかどうか、いまだに悩むところだ。

展示会場を出ても、胸のあたりに残る不安感を引きずり…、非日常の空間を後にした。

帰って、アーリュ・ブリュットの意味を調べてみた。
フランス人画家・ジャン・デュビュッフェがつくったフランス語「アーリュ・ブリュット(ArtBrut“なま、き”の芸術)」のことを英語でアウトサイダー・アートと言う。特に 芸術の伝統的な訓練を受けておらず、名声を目指すでもなく、既成の芸術の流派や傾向・モードに一切とらわれることなく自然に表現した作品のことをいう。アウトサイダー・アートを作る芸術家をアウトサイダーアーティストという。

皆さんの町にこの展覧会が巡回してきたら、私が得た感覚を理解できるかどうか、足を運んでみてほしい。

来月は、金沢の美術館を訪ねてみる予定だ。展示会を見るのではない。美術館を見に行くのだ。
昨日の体験もあるし、しばらく、展示品はどうでもよい。
March 25, 2012 19:07:43

薀蓄

カテゴリー: 日記
昨晩は、マダムの店の第3回目のワイン会があり出席した。送迎会時期だからか、今回は集まりが悪く出席者は6名しかいなかったが、マダムとワイン輸入業者の社長を含め8名が一つの丸テーブルに座り、ワインの薀蓄を聞きながらのアットホームなワイン会となった。人数も少なかったこともあるが計6本のシャンパンとワインを飲みきった。ワイン好きの人達が集まって、これが量として多いか少ないか分からない。

参加者は全て顔馴染である。そのなかに、おそらく80才を越えられた元地方新聞社の社長がおられて一人で参加されていた。現役社長時代は、平凡な私が彼の隣席に座り含蓄のある話を聞きながら酒を酌み交わすようなこともなかっただろう…。
今は、時間を持て余しておられるようで、マダムの企画イベントには、ほとんど参加されているようだ。4月10に同じビルの私のホールでオペラ鑑賞と食事会を、ちゃっかりマダムが企画しており、それにも参加を約束されていた。

最後に出されたワインは、1975年のブルゴーニュの赤ワインだった。ワイン会社の社長は、古いワインの味わい方を丁寧に教えてくれた。ご存じのように栓を抜く前に1日以上ビンを立てて保管しワインの澱を沈め、食事前にデキャンタの内面にゆっくりと空気に触れさせながら注ぎいれ、ワインが目覚めて呼吸し始めるのを待つ…。今回はデキャンターゼする前のワインと飲み比べをさせてもらった。すると確かに味に深みが出ることが分かった。

ワインも80才の老人も、積み重ねた時間の重さを、私自身が深く味わえるゆとりと感性を身に着けたい…と、思った。
March 24, 2012 12:29:19

額装

カテゴリー: 日記
昨日この日記に書いた“ダライ・ラマの直筆の書”の話だ。
濃紺に黒色のマジック?と言う取り合わせだから、約40cm四方の額の内側に青一色があるだけに見えて、遠目に見ると、なかに文字が書かれているとは気が付かない。
部屋の主から、“この額は以前からここにあったけれど、これがダライ・ラマの書だと気が付いたのは、あなたが初めてです。さすがですね!”と、言われた。私には、なにが“さすが”か、分からないのだが、一般の人は、自分の周囲を興味をもって見ていないのかも知れない…。

自分の宝物の話に触れられ、気を良くした部屋の主は“実は、これは青色の布きれの切れ端…周囲がほつれている切れ端ですよ!それをほつれが見えないように私が額装したんです。”と、自慢そうに語った。
“私だったら、切れ端を見せる見せ方をすると思います。”と、すかさず返した。
すると部屋の主は黙ったまま…何かハッと気が付いたような顔になった。
持ち主が良かれと思って、やってることに余計なお世話だろうが、私は黙っていられなかった。物の価値を損なうディスプレイは私の感覚ではありえない。みなさん、そう思いませんか?

自分と違う感覚を持っている者同士だから、話していて吸収できるものがある。
私も彼も、そう思っているから、次回もまた会って、楽しい時間が過ごせるのだろう。

これからも、違う感覚、考え方、反応をする人に、出会ってみたい。
13日の金曜日のジェイソンやエイリアンには会いたいと思わんけどね…。
March 23, 2012 12:01:51

自信

カテゴリー: 日記
昨日、午後から打ち合わせに行った先で、先方の担当者のオフィスに通された。しばらく待つように言われ、部屋の中を見回していると青い布きれが額に入れて飾ってあったので、何か謂れのあるものかと思い近づいてみると、ダライ・ラマの直筆の言葉が書かれていた。
凄いものがあるものだ…と、思った。この部屋の主はとてもグローバルな感覚の持ち主で、私も一目置く存在である。アメリカ前副大統領と握手している写真とか、海上自衛隊とアメリカ海軍との合同軍事演習を視察した時の写真とかが飾れており、45才くらいなのに、交友関係と見識の深さには目を見張るものがある。

ところが、いざ本題の話し合いを始めると、同席しない自分の部下の性格上の欠点をみんなの前で晒し、話の食い違いの原因を部下のせいにし始めた。一般的に、上司は部外者の前では部下をかばうか、そんな話には触れないのが常識だと思っている私にとっては寝耳に水で、尊敬の眼差しが曇りはじめた。内部の恥をさらす上司に、それじゃー部下はついていかんだろう。

ところが、彼は組織の長であり、事業も成功している。
私の常識を越えた組織論があると思わねばなるまい。
私が経営者でいたころ、部下とのコミュニケーションが取れずに大きなストレスを抱えていたが、彼には確固たる自信があり、人間関係ではあまり悩むことがないのかも知れない。

そう考えると人間関係でストレスを持っていた私自身の器が小さかったと思ってしまう。

しかし、これからも彼との交流が続くと思う私は思った。
多少はあるんだろうな…人間関係での悩み…。
尊敬する彼が、弱みもあり、人間味のある人であってほしいと願い、そう思った。
March 22, 2012 12:01:52

鞭打

カテゴリー: 日記
いつだったかのテレビを観ていると、料理に鉄人…ラ・ロシェルの坂井宏行シェフが出ていて、“自分が美味いと思う料理を作って、その料理を食べて20人が美味くないと言った時に、自分の信念を曲げて20人に媚びちゃだめなんです。その人達を切り捨てることができないと、自分の思う料理を作れない。”と、語っていた。

先ほど、私は市の職員に自分のある考えをプレゼンして帰ってきて、担当者に全く反応がなく、少し意気消沈しているところだが、坂井シェフの言葉を思い出して自分を奮い立たせようとしている。

私のプレゼンの仕方が悪く、話す内容に大きな意味がないからだと思われる方もおられるだろうが、私のアイデアは他に類のない新しいもので、優れたものだと信じている。
私は何も書かれていない真っ白な紙に、絵を描くことが好きで、いわば絵を描く前に完成が予想できる。だが、世の中の大多数の人は設計図を見ただけでは完成が予想できない。この度のプレゼンでは完成予想図の提示が少なかったことは認めるが、たった2人の行政マンの心をつかめなかったからと言って主張を曲げたり止めることはない。
坂井シェフは20人だぞ…20人…。

私の考える内容は確かで優れていると信じ、これに懲りずに、媚びずにつき進もう…。

と…自分に鞭うつ。
▼    | 1 | 2 | 3 | 4 |