日曜日に大阪のイタリアンレストランに行く。この店は私が経営していたイタリアンレストランの3代目の店長が独立して始めた店である。彼は私の記憶に残る優秀な人材で、私の下で働き始める前に自ら“自分は、経営者サイドに立って動きます。”と宣言した。確かに、彼がいた頃は営業状態もよく店のまとまりもよく、なにしろ私が精神的に楽だった。 当時、“料理の鉄人”なんて番組が人気で、料理学校のテレビCMが頻繁に流れ、歩けばフレンチの店にあたるとか、イタリアンの店にあたる…とか言う時代で、町場のレストランにも意欲のある人材が多く集まったが、その後独立しても立ち行かなくなって閉めてしまう店が増えたものだから、みんな臆病になり、独立開業の夢を見ない料理人が増え、同じ働くなら福利厚生の整ったホテルやらの大手企業にかにしか人材が流れなくなり、結局私が店を閉める結論を出した理由の一つに求人しても電話が一本もかかって来ないという現実にぶつかったこともある。 私は、知り合いの店を訪ねる時、わざわざ気を使わせたくないという思いもあり、偽名を使って予約する悪い癖がある。今回も彼の店に名前を名乗らずに電話した。すると彼が電話口に出て対応してきたもので、いつものように知らないふりして予約しようとしたら“あれッ、○○さんじゃないですか?”と核心を突いてきた。こんなに簡単こに見破られたのははじめてである。 15年振りだと言うのに、さすがにたいしたものだ。だから独立してやってこれたんだ…と思った。 彼が止めた当時から、私の心にゆとりがなくなり、新店に訪ねてやらねばと思っても足が向かなかったが、やっと行ってみようと思える余裕ができたことに感謝した。 久しぶりの大阪行を、精一杯楽しむことにしたい。 |
昨日この日記に書いた“ダライ・ラマの直筆の書”の話だ。 濃紺に黒色のマジック?と言う取り合わせだから、約40cm四方の額の内側に青一色があるだけに見えて、遠目に見ると、なかに文字が書かれているとは気が付かない。 部屋の主から、“この額は以前からここにあったけれど、これがダライ・ラマの書だと気が付いたのは、あなたが初めてです。さすがですね!”と、言われた。私には、なにが“さすが”か、分からないのだが、一般の人は、自分の周囲を興味をもって見ていないのかも知れない…。 自分の宝物の話に触れられ、気を良くした部屋の主は“実は、これは青色の布きれの切れ端…周囲がほつれている切れ端ですよ!それをほつれが見えないように私が額装したんです。”と、自慢そうに語った。 “私だったら、切れ端を見せる見せ方をすると思います。”と、すかさず返した。 すると部屋の主は黙ったまま…何かハッと気が付いたような顔になった。 持ち主が良かれと思って、やってることに余計なお世話だろうが、私は黙っていられなかった。物の価値を損なうディスプレイは私の感覚ではありえない。みなさん、そう思いませんか? 自分と違う感覚を持っている者同士だから、話していて吸収できるものがある。 私も彼も、そう思っているから、次回もまた会って、楽しい時間が過ごせるのだろう。 これからも、違う感覚、考え方、反応をする人に、出会ってみたい。 13日の金曜日のジェイソンやエイリアンには会いたいと思わんけどね…。 |
昨日、午後から打ち合わせに行った先で、先方の担当者のオフィスに通された。しばらく待つように言われ、部屋の中を見回していると青い布きれが額に入れて飾ってあったので、何か謂れのあるものかと思い近づいてみると、ダライ・ラマの直筆の言葉が書かれていた。 凄いものがあるものだ…と、思った。この部屋の主はとてもグローバルな感覚の持ち主で、私も一目置く存在である。アメリカ前副大統領と握手している写真とか、海上自衛隊とアメリカ海軍との合同軍事演習を視察した時の写真とかが飾れており、45才くらいなのに、交友関係と見識の深さには目を見張るものがある。 ところが、いざ本題の話し合いを始めると、同席しない自分の部下の性格上の欠点をみんなの前で晒し、話の食い違いの原因を部下のせいにし始めた。一般的に、上司は部外者の前では部下をかばうか、そんな話には触れないのが常識だと思っている私にとっては寝耳に水で、尊敬の眼差しが曇りはじめた。内部の恥をさらす上司に、それじゃー部下はついていかんだろう。 ところが、彼は組織の長であり、事業も成功している。 私の常識を越えた組織論があると思わねばなるまい。 私が経営者でいたころ、部下とのコミュニケーションが取れずに大きなストレスを抱えていたが、彼には確固たる自信があり、人間関係ではあまり悩むことがないのかも知れない。 そう考えると人間関係でストレスを持っていた私自身の器が小さかったと思ってしまう。 しかし、これからも彼との交流が続くと思う私は思った。 多少はあるんだろうな…人間関係での悩み…。 尊敬する彼が、弱みもあり、人間味のある人であってほしいと願い、そう思った。 |
いつだったかのテレビを観ていると、料理に鉄人…ラ・ロシェルの坂井宏行シェフが出ていて、“自分が美味いと思う料理を作って、その料理を食べて20人が美味くないと言った時に、自分の信念を曲げて20人に媚びちゃだめなんです。その人達を切り捨てることができないと、自分の思う料理を作れない。”と、語っていた。 先ほど、私は市の職員に自分のある考えをプレゼンして帰ってきて、担当者に全く反応がなく、少し意気消沈しているところだが、坂井シェフの言葉を思い出して自分を奮い立たせようとしている。 私のプレゼンの仕方が悪く、話す内容に大きな意味がないからだと思われる方もおられるだろうが、私のアイデアは他に類のない新しいもので、優れたものだと信じている。 私は何も書かれていない真っ白な紙に、絵を描くことが好きで、いわば絵を描く前に完成が予想できる。だが、世の中の大多数の人は設計図を見ただけでは完成が予想できない。この度のプレゼンでは完成予想図の提示が少なかったことは認めるが、たった2人の行政マンの心をつかめなかったからと言って主張を曲げたり止めることはない。 坂井シェフは20人だぞ…20人…。 私の考える内容は確かで優れていると信じ、これに懲りずに、媚びずにつき進もう…。 と…自分に鞭うつ。 |