この世の中を作ったのが、もし神様だったら、そのなかにとても素敵な神様がいて、子供のような無邪気な発想をする神様や、とても冗談の好きな神様がいたに違いない。 私はダーウィンの“進化論”の考え方の理解が子供の頃から一般の人と違っていて、この世の中のあらゆるものが自ら進化していったのではなく、その生物を創造した神様が進化したから進化した生物が生まれたのだと信じている。 虫に似た花や、花に似た虫や、自分の体の色を変える魚や爬虫類は、外から見た自分を認識出来るわけはないから、客観的な視点が加わっているはずだ。それが愛すべき神に違いない。 そう考えるから、“擬態”という現象が理解できる。そう考えないと“擬態”には無理がある。 創造主である神が作った“進化を続けるという原則”のもとに、私たちは日々進化しながら生きている。その神が、無邪気て愛すべき存在だと思うと、つらいことがあったとしても、例え神様の声が聞こえなくても、立ち止まらずに前へ進んで行っていいに違いない。 進化を与えられ生きている私たちは、創造者である神に、人間という姿のうちに自ら進化することを求められているはずだから…。 重荷を背負い続ける多くの生存者に捧ぐ。 |