昨日この日記に書いた“ダライ・ラマの直筆の書”の話だ。 濃紺に黒色のマジック?と言う取り合わせだから、約40cm四方の額の内側に青一色があるだけに見えて、遠目に見ると、なかに文字が書かれているとは気が付かない。 部屋の主から、“この額は以前からここにあったけれど、これがダライ・ラマの書だと気が付いたのは、あなたが初めてです。さすがですね!”と、言われた。私には、なにが“さすが”か、分からないのだが、一般の人は、自分の周囲を興味をもって見ていないのかも知れない…。 自分の宝物の話に触れられ、気を良くした部屋の主は“実は、これは青色の布きれの切れ端…周囲がほつれている切れ端ですよ!それをほつれが見えないように私が額装したんです。”と、自慢そうに語った。 “私だったら、切れ端を見せる見せ方をすると思います。”と、すかさず返した。 すると部屋の主は黙ったまま…何かハッと気が付いたような顔になった。 持ち主が良かれと思って、やってることに余計なお世話だろうが、私は黙っていられなかった。物の価値を損なうディスプレイは私の感覚ではありえない。みなさん、そう思いませんか? 自分と違う感覚を持っている者同士だから、話していて吸収できるものがある。 私も彼も、そう思っているから、次回もまた会って、楽しい時間が過ごせるのだろう。 これからも、違う感覚、考え方、反応をする人に、出会ってみたい。 13日の金曜日のジェイソンやエイリアンには会いたいと思わんけどね…。 |