私は他人から芸術家タイプと言われることがよくあるのだが…、確かに美術学校を出て、27才でアメリカのある田舎町の画文集を出版したことがあり、その後、生まれ育った町の人達の写真集も出版した。だが、自分では芸術家だとは思わない。これは謙遜ではなく心からそう思う。 美術学校を出たから芸術家と言うのは短絡的過ぎる。私の場合、高校時代に理数社と古典の勉強を全くしなかったから一般大学に受かる可能性はなく、美術系であればデッサンや色彩構成等を少し他人より頑張ればなんとかなると思ったので美術の道を進んだだけのことである。とにかく、決して絵を描くことが好きでたまらなかったわけではない。 芸術を志す者のなかには、恐ろしく純粋に作品造りに向き合える人・おそろしく感性の高い人がいることを私は知っている。私のなかの“芸術家”とは、非常にレベルの高い存在であり、到底私ごとき能力の及ぶところではないのだ。 無理やり芸術家と私の共通点を探すと、集団活動が苦手で、他人と同じことをすることを好まないことだろう。一般人は、なんらかのグループに入りたがり、周囲の人と同じことをしていると安心するようだ。義務教育はそんな安心を求める人達を競争社会に送り出す教育だと思う。その点、美術学校は少数派を容認する学校に違いない。 もし、個人プレーを得意とする人がみんな“芸術家”ということであれば、私も芸術家に違いないのだが、それだけでは芸術家を語るには片手落ちだ。個人プレーのうえに、ひらめき・集中力・情熱というどんなジャンルでもトップになるために必要なファクターが揃ってはじめて“芸術家”と言えるのだ。 私は何者なのか…?経営者ではなく、スポーツマンではなく、サラリーマンではなく、職人でもない。芸術家でもない。自分では分からない。さて、私は何者か…? 私は小説家になりたいと思っている。ひらめき・集中力・情熱をもってチャレンジしようと思う。小説家も芸術家の一部だろうか…。さて、私は何者か…? ちょっと変わったおっさん…今のところ、このあたりが適当な評価に違いない。 |