こんなニュースがあった。 大規模な太陽嵐が地球に接近 通信、送電網に悪影響か 【ワシントン共同】米海洋大気局(NOAA)の宇宙気象予報センターは7日、太陽表面の巨大な爆発現象「太陽フレア」が6日に発生し、放出された電離ガス(プラズマ)などによる太陽嵐が地球に向かっていると発表した。 AP通信によると、太陽嵐は最近5年間では最大の規模で、通信や送電線網、飛行機の運航などに悪影響を及ぼす恐れがあるという。プラズマは時速640万キロの速さで地球に向かっており、米東部時間の8日午前1時~午前5時(日本時間同日午後3時~午後7時)ごろに地球に到達する見通し。9日午前(日本時間同日深夜)まで影響が続く可能性がある。 私の知人が、プラズマの影響で、なにか良くないことが起こるのではないかと、facebook上で心配していた。 幸い、何もなかったようだ。 今日も世界が平和でありますように… |
この世の中を作ったのが、もし神様だったら、そのなかにとても素敵な神様がいて、子供のような無邪気な発想をする神様や、とても冗談の好きな神様がいたに違いない。 私はダーウィンの“進化論”の考え方の理解が子供の頃から一般の人と違っていて、この世の中のあらゆるものが自ら進化していったのではなく、その生物を創造した神様が進化したから進化した生物が生まれたのだと信じている。 虫に似た花や、花に似た虫や、自分の体の色を変える魚や爬虫類は、外から見た自分を認識出来るわけはないから、客観的な視点が加わっているはずだ。それが愛すべき神に違いない。 そう考えるから、“擬態”という現象が理解できる。そう考えないと“擬態”には無理がある。 創造主である神が作った“進化を続けるという原則”のもとに、私たちは日々進化しながら生きている。その神が、無邪気て愛すべき存在だと思うと、つらいことがあったとしても、例え神様の声が聞こえなくても、立ち止まらずに前へ進んで行っていいに違いない。 進化を与えられ生きている私たちは、創造者である神に、人間という姿のうちに自ら進化することを求められているはずだから…。 重荷を背負い続ける多くの生存者に捧ぐ。 |
今月、このあと2回ワインの試飲会がある。一つはホテルで行われるもので、ホテルのアスレティックジムの会員の女性にお得な前売りチケットを購入しないかと言われ…、C.O.D.で購入する食べ物が結構良いという噂も耳に入っていたのでこの度初めて参加することにした。 もう一つは、マダムのお店が昨年末から二か月に一度開く予定で始めたワイン会で、この度三回目となる試飲会である。マダムの会は企画段階から相談されていたこともあり、出席しないわけにはいかない。 ところでこの日記のなかに何度も書いてきたが、私はワインの味がよく分からない。また覚えようという気持ちもない。最初の1杯だけは、多少味わってはいるが、3杯目あたりから不味くなければどうでもよくなる。そんな私が、試飲会なんて笑ってしまいそうだが、そこは大人だから一応神妙な顔で飲み続ける。 私の子供の頃に、こっそり飲んだビールに大人の味は渋いものと知った。学生時代には、ホワイトやらレッドやら国産の安価なウィスキーを仲間と毎晩数本空け、大人になったような気になっていた。バブルに向かう頃、社会人になって高級ブランデーに成功者の香りを嗅いだ。その頃巷ではフレンチレストランかホテルのラウンジかクラブ以外、ワインなんて置いている店はなかった。そしてウィスキーとか水で割って飲む酒に比べ、一度栓を抜いたら飲みきらないといけないところが割高なイメージがあった。造られた土地や年や作り手によって値段が微妙に異なり、他の酒に比べて格段謎めいた飲み物だった。 しばらくしてフレンチレストラン全盛の時代に突入し、続いてイタリアンレストラン急増の時代になり、日本国民はみんな欧米の優雅な食卓を経験した。 時代が変わり、ビストロ・バール・トラットリアが街中に生まれ、ワインが手頃な酒になって、日本料理店でも、居酒屋でも姿を見るようになり、ウィスキーやブランデーは好きじゃないけどワインは好きという人種が増えてきた。 時代によって、酒の好みも変わってきたけれど、ワインは豊かな酒だと思う。私のなかで最後に行きつく酒になるだろう。 私はワインが好きである。飲み始めたら一人で1本以上は飲んでしまう。 だが3杯目からは、味が分からなくなる。 私には、味わった酒をいつまでも記憶する能力がない。ただその瞬間を豊かに過ごすために、分からないものにお金を払うことも、人生を楽しく過ごすためには必要なことだと思う。ワインは、私にとっていつまでも謎めいた飲み物でいい。 そんな気持ちで、今月の2回のワイン試飲会を楽しみたい。 |
“最近年のせいで物忘れがひどくなって仕方ありませんは…。”と、私の周囲の人が良く話すようになった。私の周囲の人の年齢が高くなってきたわけだが、自分自身も確かに忘れものがひどくなり、笑ってごまかす回数が増えてきたように思う。 何故記憶力が落ちかたか考えてみると、一般人は頭のなかの記憶に関する回路が学校を卒業した頃から退化し始めるのではないかと推測する。何故退化するかと考えてみると生活のなかで覚えなければいけない事が減少するからでは…と推測する。義務教育で平和に社会生活を営むため、良き平民であるために必要な情報を一方的に覚えさせられ、受験戦争で人生の勝者になるための情報を詰め込んだ後、多くの人はそれまでの記憶ペースを一気に低下させる人生を送りはじめる。 研究者や技術者や政治家や確かな経営者は、そうはいかないだろうが…。 しかもその後、人生の経験を積み重ねることで、持っている情報だけで次に目の前に起こる現象が予測できるようになると、ますます新しい情報を吸収しようとしなくなる。だから急速に記憶の回路が退化する…と考えて良いのではないか。 “年のせいで物忘れがひどくなる。”と言う表現は、間違いではないだろうが、厳密に言うと“記憶回路が退化して物忘れが激しくなった。”と…言うべきだと思う。 記憶力を必要とする生活をする研究者や技術者や政治家や確かな経営者は、年をとっても記憶力は退化しないように思う。 物忘れがひどくなってきた私は、“年齢のせい”にはせずに、これからでも記憶回路の復旧がかなうものと信じ、日々努力しようと誓う。 だけど間に合うかしら…。 他人事のように思っている人…他人事じゃーないよ。老いはあっと言う間にせまってくるよ!今のうちから、努力しとかないと、記憶回路は筋肉と同じで使わないと退化する。長い寝たきりの老後が待ってるよ…なかなか死ねない世の中になってきたんだから…。 |
物事を理解するために人は本を読み、知恵のある人の話を聞き、最近ではネットで検索し、頭の中の知識を増やそうとするけれど、本当に自分の一部になるという体内の場所は頭ではないような気がする。 頭は知識を増やし蓄える場所だということはなんとなく分かる。私がここで言う“本当に自分のものにする”ということの別の言い方を探してみると“腑に落ちる”が近いように思う。 “腑に落ちる”とは内臓に落ちるということで、途中でつかえていたものが流れて、すっきりするという意味なのだろうが、この度の意味は、私的には少し違っていて、鉄の玉が突然体のなかに現れて内臓附近に着地するという感覚だ。 昨日、私に突然“腑に落ちる”感覚が舞い降りた。上下関係が不明確で金銭的利害が一致しないグループの意思統一に関する閃きである。その内容はすでに頭では理解していたつもりで他人にも話していたことだが、明らかに別の次元への扉が開いたような衝撃があった。 この感覚を経験できた私は、同時に自分の考えを他人に伝えることの難しさを思い知った。 だって、この素晴らしい経験さへも他人にどう伝えればいいのかが分からない。おそらくこの日記を読まれた方々も、私が何を言いたいのか、お分かりにならないと思う。 頭で理解していると思っている人は、まだ分かっていない…なんて言う奴が目の前に現れたら、みんな困るだろうし…。 この感覚については、公の場では封印するつもりだ。分かりそうな人に話して反応をみることしようと思う。 その間も、私はさらに別の次元で理解を深めてみようと思う。 |
今晩、マダムのお店で私の誕生会が行われる。…と言っても、今日が私の誕生日ではないし…私だけの誕生会ではないし…謎の京都人の誕生会と…、もう一つ、しばらくの間パリに仕事に行く女性の壮行会を兼ねている。もう一人のメンバーは、1月に同じマダムの店で誕生会をした薔薇のおじさんである。彼は参加しないわけにはいかない。結局総勢4人である。 薔薇のおじさんは、70才を越えてから私と同じ大動脈解離と診断され、昨年前立腺癌の手術を受け、その人柄と良さとこれからの長寿を祈って誕生会のメンバーは揃ったが、その時これから他のメンバーの誕生会もやろう…と言う提案が薔薇のおじさんから出たもので、今日のイベントとあいなった。 イベントと言う見方は、正しいと思う。おそらく一応3人の主賓のうちの誰か一人のために集まろうということになったら、みんな用事を作って、誰も集まらないという結果になりそうだ。 そこのところを見越したマダムが、誕生会と壮行会という名目で人集めをしたに違いない。 なかなかしたたかな作戦だ。これだけ分かりやすく飲み会を企画していただくと、マダムの術中にはめられたと分かっていても参加しないわけにはいかない。 かくして、プレゼント交換なし、ケーキの持ち込みなしで、参加者全員が会費を支払う酒宴が開催されるのである。 ただし、私は今日は酒を飲まない。しっかり自分の健康を考えノンアルコールビールを飲んで車を運転して帰るつもりである。 そう…明日も豚一匹をまるまる食す酒宴があり、これは飲まないわけにはいかない。自分の名前だけ上がっている誕生会は二の次にして、明日に備える。健康管理の行き届いた私である。 |
私には“級友”という人間関係の概念が希薄で、通学した全ての学校の同級生、先輩、後輩、恩師との交流がない。かといって私から避けているわけではない。私から誰かを誘って酒を酌み交わしながら昔の思い出話をしたいという気持ちが湧かないのだ。 こんな話をすると、私が冷徹な人間のように思われるかもしれないが、自分では決してそうではないと思う。 例えば、早朝の散歩の時、親しかった同級生や担任の先生の名前と顔を次々と思い出しながら歩くことがある。こんな形で定期的に子供の頃の記憶を呼び起こしている人はそうはいないだろう。 ただただ、自分からは誰にも会いたいとは思わない。記憶のなかに彼らが存在していればそれ以上は望まない。記憶のなかの彼らはいつまでも少年であり青年であり溌剌とした教師であり続ける。 来月中旬、小学校4年生の担任の先生の傘寿を祝う会がある。 そのことで昨日当時の同級生から35年振りに電話があった。懐かしかった。 小中と同じ学校で親しくしていた彼は、中二の時に鉄砲水で両親を一度に亡くした。以来二人は違う高校に進み、成人して一度だけ、会ったきり…彼とは、ずっとなにか話しそびれたことがあるように思えてならない。 彼に会うため傘寿の会に出席しようと思い“出席”と書いた葉書を投函した。 |