私が父の子供の頃からの友人で…私もお世話になったことのある優秀な弁護士がいた。父と弁護士の旧制中学の先輩である企業の会長が亡くなった時に、弁護士は先輩から預かっていた遺言状の始末を私の父に相談した。 遺言状には、一切の財産を家族ではなく一人の愛人に残す…と、書かれており、それを実行するとなると役員でもある家族の反対も必至であり、先輩とは家族ぐるみで付き合いをしていた弁護士と父にとっては、そのまま進んで行くことに堪えがたい苦痛を感じ取ったのだろう…。 結局、先輩の遺言状は破棄される運命をたどることになる。 このことについて、法的観点から言えば、弁護士免許を剥奪されるだろう類の違法行為であることは間違いない。 あれから17年が経過するが、以後大きな波が起こることもなく平静が保たれた。 この世を去って9年が過ぎる父が、まだ私が学生の頃に聞かせてくれた話である。 いまだに、父が何故世間に出る前の私に、闇のなかに隠された違法行為について話したのか分からない。 ただ、あの時から“嘘は絶対にいけないこと!”と、言う考えが私の常識から外れた。人を幸せにする嘘もあるということが自分の身に着いたように思う。 ただ、愛人だった方が、その後幸せになれたかどうか気がかりだ。 |
昨日私の部下だった男性から電話があった。 彼は、私の会社で働いていた25年前にもそうだったが、普段は周囲にとぼけたことを言ってみせて、手抜きのような仕事態度だが、一旦走りはじめると倒れるまで突っ走るタイプの人間だった。 今の奥さんで4人目…今まで経験した仕事の数も、私の知る限り中途採用の市の職員や独立企業も含め6社は越える。 そんな彼の電話は、 “この間、死にかけました。8年前にも同じことがあったんですが、過労で尿の毒素が体にまわって、医師から何度もくり返したら死ぬぞ!と言われたんです。あなたの病気よりは、ましだと思うんですけど…。もう僕には友達が二人しかいない。○○さんと、あなただけです。” 私は、すかさず… “僕は、違うけどね!”と、答えた。 沈黙があり、 “あっ、違うんですか…。” また、沈黙があり、別の話題に移った。 こういう会話がさらっとできるから、私から離れて行った彼は、今でも電話してくるのだと思う。 そうして、じっと、彼の話を聞いてやる。 今の職場の上司から起業するように勧められていることが分かった。 いつものように、最後に… “無理しなさんなや!”と、声をかけた。 彼は器用だが…それ以上に不器用に人生を歩んでいる。 “無理しなさんなや!” |
昨日、仕事で付き合いのある企画会社に立ち寄った。代表と雑談していると、急に奥から“ディナー付の落語会”のチラシを持ってきて、唐突に“これを見てください。なにか変なところありますか?”とたずねてきた。 この桂一門のトップを呼んだこの落語会は、彼が企画したもので、勿論チラシのデザインも彼のスタッフが作ったものである。 私は、なにかおかしなところがないかチラシを凝視してみたが、これと言ったところは見つからない。取り敢えず、ふと思い浮かんだことを軽い気持ちで答えた。“誰か死んだんですか?” すると“えっ…やっぱり分かるんやー。” そう言われた私のほうがびっくりした。話の先を聞いてみると…、“デザイナーがデザイン上の理由で落語家の写真を左右反転して使用したんです。つい先日まで誰も気が付かなかったのですが、チラシをみた落語雑誌の編集者から、着物の打ち合わせが逆になっていて死に装束になっている…と、指摘され、慌てて刷り直しました。師匠にも説明したら気を悪くすることもなく、事なきを得たんですが…。” 特に、私が着物について造詣が深いとか、霊感があるという話ではない。これは偶然に違いない…と、私自身信じて疑わないが…、我ながら少し気味悪い思いをした。 ともかく人物の画像を反転させたデザイナーは未熟としか言いようがない。人間は左右対称にできてはいないのだから…。 朝のNHKの連続テレビドラマに出てくる霊感青年の“愛”君のような知人は、私の周囲に何人かいる。彼らは自分の能力を誰にも言わずに普通人の生活をしている。彼らのような人が近くにいる私は…ひょっとすると霊感少しはあるかもしれん…。 |
今日は、ギター教室の発表会だった。2年前にギターを習い始めた頃、半年めで最も新しい教室の入門者として発表会に参加し、指の先端の感覚がなくなる経験を、生まれて初めての味わったが、今年は発表会に参加してスキルアップしようと言う気も起こらず、参加しないことでの無暗なやりとりを避けるために先生には、研究会で長崎に出張していると嘘をついた。実は、今日は近くの映画館に出張していた。 いまだに覚えているが、私は高校の卒業式の日も式には参加せずに、一人で映画を観に行った。なにを観たかは覚えていない。昔から私には映画館に逃避する癖があると思われただろうか? いや、普段は、正面突破…決して逃げていないつもりだが…。 それはそうと、今日観た映画は“アルゴ”という。最近観た映画のなかでは、かなり良いできだ。封切りされたところである。超二枚目だが二枚目過ぎて演技は評価されないベン・アフレックが監督・主演した映画であ。彼は最近、役者としてではなく監督として認められている。今回は主演もしているが、男前の顔をひげ面で隠し、主役を演じきっていた。 おすすめ映画である。興味のある方は一度、検索してみてはいかがだろう。 ところで、次回のギターの発表会に参加することを、今日の時点で宣言しておこう。 |
仕事の関係で“話があるから、時間をとってもらえないか…?”と、連絡してくると大抵の場合、あまり良くない話である。しかも相手先の電話の声が神妙であると、これは…もう間違いない。 数年前に、会社の経営状態が良くなかった時には、その類の電話が入るとアポイントをとった日時までの時間経過が遅いこと…。最悪の状態を考え続けて毎晩の眠りも浅くなっていたように思う。その結果体まで壊してしまって…。 最近、またそんな電話が続いた。しかし、以前のようなストレスは感じない。そして、最悪のことは考えないようになった。今の生活環境では、私が突然倒れて死んでしまうほどのことがない限り、今までに経験した最悪なこと以上に悪いことが起きようがない。多少なりとも人生経験を積んだおかげに違いない。 それと…以前より私の抱えるものが軽くなっているのだ。抱えるものが軽くなれば、当然起こり得る悪い事も軽くなる。 逆に考えれば、昔は身の丈以上のものを抱えていたと思い当たる。 案の定、一昨日の電話相手の面談の内容は最悪の4分の一くらいに思えた。明後日水曜日にも、もう一件話し合いがあるが、それも大きな問題にはならないだろうと信じることができる。 これからは、リラックスして生きていきたい。力が入ると沈んでしまう…とよく分かったから…。 そのためには、抱えるものを、もっと少なくしていきたいものだ。 予想外のことが起こることが人生だと言うが、そのことを頭の片隅におきつつ、今まで生きてこられたことに感謝して、かかってくる電話にお怯えることなく、肩の力を抜いて、もう少し生きていたいと思う。 |
先日ギターの先生と話をしていると、いつものように先生から、とても感覚的な表現方法について説明を受けた。 分かるかな?”と聞かれたので、私は“7%…。”と、答えた。先生は“さっき帰った(主婦の)○○さんは、とてもよく分かった。…って帰っていたんだけどね…。”と話された。私は“それは嘘です。私の経験から言うと、話をしていてその場で『わかった。』と言う人は、ほとんど分かっていない。分かるって言うのは、もっとジワーッと入ってくるもので、言葉で表現できるものではありません。”と、いつものように分かったことを言った。 他の生徒が来たので、話を終えたが、帰り道に路肩に車を止めて車内から先生に電話した。“さきほど、分かっていない…と、言ったのは言い過ぎました。正確には分かったというわけではなく、分かるための切っ掛けをつかんだという表現が正しいと思います。生徒(主婦)が、嘘をついているというところだけを捉えないでください。”と、フォローの電話をした。 すると、先生は“充分…分かってますよ!”と、答えた。 先生は、本当に分かってくれたのだろうか? 水泳教室に参加して一ヶ月経過したが、いまだにバタ足で前へ進まない。今日はネットでバタ足について検索してみた。すると、私がいままで習っていた練習方法が間違いだと指摘する解説を見つけた。私は“これだ!分かった!”と、思った。 しかし思い直して“いや、分かったのではない。分かる切っ掛けをつかんだのだ。”思い直した。 さて、今晩もプールに行くつもりだ。 今日、気が付いたことを実践するのが楽しみだ。 |