昨日、ギターのレッスンに行って、思い切って先生に私の思いを伝えてみた。 “先生、先日ギターの教則DVDの撮影に立ち会って思ったことですが、正直言って先生が解説として話されていることは私のレベルでは難し過ぎました。おそらくDVDを見る人のほとんどは、先生が望む20%も理解できないと思います。だけど、よくは分からないのですが、素晴らしい閃きが詰められていることは分かります。 レベルの高い少数の人は、先生の話ではなく、先生の演奏を聴いてそれぞれが、その人に必要な分だけ吸収すると思います。その意味でこの度の教則DVDは、中途半端な一人歩きに思えてなりません。 この教則DVDを作る前に、先生の最高の演奏を柱にし最高の録音環境、最高のデザイン感覚、最高の販促スタッフによって作られた演奏だけのDVDがあるべきではないでしょうか?それありきで、興味を持った人にとって、教則DVDが輝いてくるのだと思うのです。今のままでは、もったいない!” “これから新しいギター人生を歩むにあたって、これまでの人生の一区切りの証として、今回どうしても教則DVDを作りたかったのね。おかげで、今はとってもすっきりしているんだ。でもあなたのいう事はよく分かる。道を歩いていて女の子の前でコートを開いて局部を見せるおじさんみたいなことでしょ?急に全部見せたら目を背けられてしまうということやね。” “そうですね。先ず中身を覗きたくなるような状況を先に作ることが肝心なんです。” “順番が逆かもしれないけれど、来年は演奏だけのDVDを作ることにしようと思う。力を貸してね。それにしてもあなた以外に誰も私に意見を言ってくれる人がいない。みんな、聞いたら相槌うつだけや。有難う。感謝してます。” そんな会話が交わされた。 先生らしい例え話だが、コートのおじさんの話が適切かどうか、今でも少し疑問が残る。 |