物事を理解するために人は本を読み、知恵のある人の話を聞き、最近ではネットで検索し、頭の中の知識を増やそうとするけれど、本当に自分の一部になるという体内の場所は頭ではないような気がする。 頭は知識を増やし蓄える場所だということはなんとなく分かる。私がここで言う“本当に自分のものにする”ということの別の言い方を探してみると“腑に落ちる”が近いように思う。 “腑に落ちる”とは内臓に落ちるということで、途中でつかえていたものが流れて、すっきりするという意味なのだろうが、この度の意味は、私的には少し違っていて、鉄の玉が突然体のなかに現れて内臓附近に着地するという感覚だ。 昨日、私に突然“腑に落ちる”感覚が舞い降りた。上下関係が不明確で金銭的利害が一致しないグループの意思統一に関する閃きである。その内容はすでに頭では理解していたつもりで他人にも話していたことだが、明らかに別の次元への扉が開いたような衝撃があった。 この感覚を経験できた私は、同時に自分の考えを他人に伝えることの難しさを思い知った。 だって、この素晴らしい経験さへも他人にどう伝えればいいのかが分からない。おそらくこの日記を読まれた方々も、私が何を言いたいのか、お分かりにならないと思う。 頭で理解していると思っている人は、まだ分かっていない…なんて言う奴が目の前に現れたら、みんな困るだろうし…。 この感覚については、公の場では封印するつもりだ。分かりそうな人に話して反応をみることしようと思う。 その間も、私はさらに別の次元で理解を深めてみようと思う。 |