私は、長い間自分には友人がいないと思って生きてきた。友人がほしいとも思わなかった。少し前までの友人の定義であるが・・・利害関係がなく対等で、たまに会いたいと思う人・・・。人生の相談なんて誰にもしないで生きてきた。悩みを相談する相手という意味で、経営的な問題は公認会計士に・・・トラブルに関しては弁護士に相談すれば的確な答えが得られた。しかし、この人たちは利害関係が発生しているので友人とは呼ばない。恋の悩みということでは、結婚から離婚を経ていままで色恋には縁遠かったし、相談するネタもなかった。離婚の原因は私が恋を忘れてしまったからかも知れない。それでも、寂しくはなかった。家族と社員とが私のプライベートな人間関係の中心だった。当時彼らは仲間であり友人ではなかった。私のことを友人と呼ぶ人は何人もいたが、私はその人たちの誰も友人と思ったことはなかった。友達は、お互いの間では友達とは呼び合わないと信じていた。 数年前に結婚生活に終止符をうち、会社という組織から離れ私一個人という立場を強く認識するようになった。仲間という意識が崩壊した。自分の強さも弱さも見せられる人がいなくなり、生きていくためには、私のことを正しく理解してくれる存在が必要に思えてきた。強さも、弱さも両方知っていてくれる人が必要に思えてきた。今は、そんな人のことを友人と呼ぼう。 “友人・伴侶”は“仲間”ではない。仲間には競争意識が存在し、他に自分の優位を誇示しなければならない。“友人や伴侶”はもっと滑らかな関係に思う。そこのところだけは、過ぎ去った経験で身についた。 “友人”と“伴侶”・・・私には、この区別がいまだにつかない。伴侶と呼ぶ人は死ぬまでずっと一緒に生活して・・・友人はそうではない・・・。うまく言えない・・・。 人間同士の付き合いにおいて、まだまだ未熟な私である。 |