私を中心にした世界を次のように分類しています。 ・先ず私が中心にあります。 そのまわりに… ・私を囲む第一の円があり、そのなかには 1) 私が今常に関わっている人達 2) 私が過去に関わったことのある人達 3) 私の知っている、死んでしまった人達 以上は、中心である私が出会ったことのある人達です。 ・第一の円を囲む第二の円があり、そのなかには 1) 私の知らない、生きている人達 2) 私の知らない、死んでしまった人達 3) これから私が出会う人達 4) これからも私が出会うことのない人達 5) そして、私の見たことのない、神様がいます この神様は人の形か人に近い形をしています イエス・キリスト 大日如来 天照大神 その他いっぱいおられます ここまでが、私の頭でも理解できる人間の想像範囲内です。 ・第二の円の周りに第三の円があります。そのなかには 私の想像を超えた存在があります。 私だけでなく、すべての人間が知ることのできない存在があります。 この世界の初めの一滴を落とした存在があります。 想像しても無駄だと思いますが、 人の形ではない存在があるように思います。 第三の円の存在が、分類のなかにあることは、私が謙虚になるために必要なことです。私が強くあるために必要なことです。私の知っている世界は、所詮人が考えたものです。経験を積み、自分の器を大きくしながら、この世界のなかでの結末に到達します。しかし第三の円のなかの存在のことは、考えても無駄なことです。第三の円の存在があることだけを心に留めておくことで精一杯です。これが私の考えた分類です。 第三の円の存在の中心にある私は、気がついています。私は中心にありますが、とてもちっぽけな存在です。 これが、世界の中心にある私が謙虚であるべき理由です。 |