今朝、車で会社に向かう途中…、片側二車線のセンター側で信号待ちのため停車していた私の車のガラス窓をコツコツとたたく音がした。 スピードを落として停車するまでの間、分離帯に人の気配はなかったので、不思議に思って横を向くと、どこから表れたのか、作業服を着た40才くらいの男性が身をかがめて運転席を覗き込み何かを話しかけてくるのだ。窓を開けると“すいませんが○○駅まで、乗せて行ってもらえませんか?”と、言う。 彼の言う駅はさほど離れてはないのだが、乗せていくとすると15分ほどの寄り道になる。 それより、普通見ず知らずの人の車に乗せてもらうより(車の通らない山の中ではあるまいし)タクシーに乗るだろうし、少なくとも身内が危篤なので急いでいるのです…とか、理由を言うと思うのだが、そこのところは一切触れずに、ただ乗せてくれとだけ言われても、了解できるわけもなく“急いでいるので…”と、断った。 その後、彼はあっと言うその場を離れ、気がつけば2台後ろの車の窓ガラスをたたいている姿がサイドミラーにうつっていた。 さて、もしあの男を招き入れていたらと思うと、車の中でナイフを突きつけられていたかもしれないし、ひょっとすると車の下りしなにお礼と言って1億円もらえたかもしれない。 今となっては、どうでもいいことだけど、どんな理由で彼が車に乗せてほしいといったのかを知りたい気もする。 私は“狐”です…くらい言ってくれたらすっきりするのだが…。 |
今日の昼下がり、久しぶりに、駅前のいつもの喫茶店で歴史研究家に会った。彼はヘビースモーカーでいつも時間より早く待ち合わせ場所に表れるから店に入るなり真っ直ぐ喫煙室へ向かった。私は、煙草を吸わないし、いつもは吸っている人の横は息を止めて通り過ぎるのだが、不思議なもので彼の吐く煙は気にならない。だから彼は私の前で遠慮なく吸い続ける。 会うなり、原稿の進捗具合がどうかと要点を切り出した。すると、書いているうちに、分かっていないことが多すぎて、まだまだ調査が足らないことが気になりだし、今は進んでいないと彼は答えた。前回に会った際、彼は7月10日までに仕上げると言っていた。なんの連絡もなかったので苦しんでおられると思い心配していたと私は話した。そんなことはないと彼は答えたが、私には、研究家魂が首をもたげ、研究家として同じ研究家に見せるには今のままでは恥ずかしいと悩み苦しんでいた様子が伺えた。 じつは、予想したとおりである。本を作ろうと誘った最初の段階から、研究論文の発表ではなく、子供達を含む一般市民に歴史に興味を持ってもらうと言う趣旨の本だと言っているのに、いつのまにか忘れてしまっている。 彼の気持ちは分からないことはないが、趣旨はぶれないでいてほしい。そのことを1時間かけて説得し、またやる気になってもらった。ただし、原稿をもらえる時機が伸びて年内いっぱいということになった。 これから1ヶ月に数度は連絡をとるようにしようと思う。ぶれる人は…ほっとくと、またぶれはじめるからなーっ。 喫茶店を出て別れを告げた後、体にしみついた煙草に匂いがいつになく疎ましく思えた。 |
過去を全て忘れて出直す…なんて事を言う人がいるが、経験したものを、そんなに簡単に捨てられるものではないと思うし、捨てるなんて言わずに自分の血肉にしていく…くらいの気持ちで生きたほうが賢明だと思う。 過去を忘れると言う意味は、自分の身に起こった出来事や出会った人のことを消してしまいたいと言うことだろうが、そう思えば思うほど、過去に縛られるように思う。悪かったことも良かったこともいっしょにまとめて忘れようなんて魂胆は感謝の気持ちから遠いもの…。 悪かったことも、良かったことも、しっかり整理して感謝の気持ちをもって生きれば、きっと前進できると思う。それを、私のことを忘れてしましたい人に伝えたいのだが、今ではその術がない。 周囲の人には、前へ向かう人生を歩んでほしいと思う。 |
普段、道を歩いていて、美男美女を探してみると、なかなかお目にかかれない。ひょっとすると彼らはテレビや雑誌のなかだけの存在で実際には存在しないのではないかと思えてくる。 それとも、そんな美男美女は町のなかは歩かず、電車やバスには乗らず、移動はすべて運転手つきの車で、そんな人達だけがいけるレストランやホテルやサロンを利用しているのかも…。 今のは極端な話だったかも知れないけれど…、それでも彼らには、結構それに近い行動パターンとテリトリーがあるように思う。 昔、東京に住んでいた頃は、確かにテレビや雑誌でみかける芸能人とすれ違っていたし…。 全国放送の女子アナと地方局の女子アナとでは、美人度においては明らかな差があると思うし…。 私の町は都会ではなくて都会のような田舎だから、はっと息を飲むような美男美女がいなくて当然と言えば当然かも知れない。 そんなことを言いながら、鏡に映った自分の顔を見て、ぞっとした。自分の思っているのとは違う別人のおじさんがうつっているのだ。 あぁー、他人の顔のことをとやかく言うことは止めておこう。 |
一昨日、母の家に寄った時、15才のトイプードルの目が赤くなり涙が口元まで垂れ、痛々しかった。昨日そのことを母と同居している息子に、車のなかで告げると、いっしょにいる自分が気付かなかったことを指摘されたことが面白くなかったのか、急に不機嫌になった。トイプードルは一人息子が寂しくないようにと買い与えたもので、彼にとっては兄弟のような関係だから、一番気遣わないといけないと思うのだ。 私は、直後に冷静に彼に話をした。“私は単純に○○が心配なんだ。おまえがしっかり見ていてやらないと、誰がみる?” 先ほど、彼から医者に連れて行ったと電話があった。そこで“歯の病気から膿が溜まり、痛みもあって涙が止まらない。年齢的に手術は難しく、抗生物質を与えてしばらく様子をみるしかないだろう。もう年だから、なんとか痛みだけ和らげるしかない。そんなに長くは生きられないだろう。”と医者から言われたと言うのだ。 悲しく辛く、心が痛い。痛みがとれて安らかになることを祈りたい。 息子と老トイプードルへの思いが共有できたことだけが救いである。 |
車の助手席に乗っていて、車間距離が気になった。 近すぎる…。 よそ見運転をして、前の車に追突したことのある私は、恐くてたまらない。世の中の事故の多くが、スピードがもう少し遅く、車間距離がとれていたら回避できたのだろうと思っている私は、運転している若い彼にこう尋ねた。 “直線道路を走っている自分の車の前を突然子犬が横切ろうとしたら、急ブレーキ踏む?” 彼は、しばらく考えてこう答えた。 “踏むと思います。” “前の車を信用したらあかんのちゃう?もう少し離れたほうがええよ。” しばらくして、また彼の運転する車に乗った。彼の運転は以前とあまり変わらず、車間距離が取れていなかった。 私は、何も言わなかった。 今度“今のような運転してたら、近いうちに事故起こすよ!”と…遠回しをやめて、ズバッといってやろうかしら…? 人は痛い目をみないと、変わらないのだろうか? だけど、死んじゃったら、修正しようがないしな…。 彼は、私の身近な存在だから、懲りずにまた話をするしかないと思っている。 |
絵本(絵解き本)の原稿執筆をお願いしていた歴史研究家は、今年の4月末に会ったとき、7月10日までに仕上げる…と私に言った。だが、その7月10日になっても、何の連絡もなかった。 約束した時間の20分以上前に必ず待ち合わせ場所に姿を表す彼は、自分で言ったことは必ず守る人だと思っていたのに、どうしたのだろう?と、不思議に思った。それでも他の調査の仕事が忙しいと言っていたから、こちらから催促せずに…ひょっとしたら私が勘違いして、8月10日の予定だったかもしれないと思い、待ち続けた。 しかし8月半ばになっても連絡がなかったものだから、昨晩久しぶりにメールを送った。すると、すぐにいつもと変わらない余計なことは一切書かれていない返信があった。簡単な挨拶のあと、原稿のことが書いてあった。 “事情があって、原稿の執筆は敢えて中止しています。”…と、 あまりにも、あっさりとした内容に軽いショックを受けた。それならどうして、早く言ってくれなかったのだろう…と、思った。先生らしくない…と思った。 20日に会うことになった。その時に事情が聞けるだろう。 世の中、うまくいかないことの方が多い。一人でくよくよしていても仕方ない。それより20日に会って、話を聞いて、予定と目標を調整すればいいんだ…と、自分に聞かせた。 |
私の尊敬する先生が8月10日に講演会を行い、そこに出席していたイラン人が、英語で私のfacebookに投稿してきた。講演会の成功を祝福する旨の書き出しではじまり、その後で…10年前、日本に留学中のイラン人学生が交通事故にあい、その際、先生が親身になって面倒をみたこと。入院中の学生の世話から、イランから駆け付けた親族のホテルの手配、事故現場にいた人に状況を語ってほしいと呼びかけるチラシまき、さらに裁判の段取り等…学生のために労を費やしたことが書かれていた。結局、事故から40日後、学生はICUのなかででこの世を去ったという。 メッセージの最後には、先生が知的にすぐれているだけでなく、心の温かい人だと締めくくられていた。 さらに、先生を中心とするこの度のプロジェクトに参加したいと言ってきた。 ボランティアを進んで行い、食の安全と子供達の健全な育成を目指すNPO法人のリーダーであるイラン人は、のめり込み過ぎると常識を越えた行動や言動が目立つという噂をよく耳にするのだ。 だから、彼を私達のプロジェクトに招き入れることに躊躇している。その噂は真実ではないこともあるのだろうが、慎重にことを運びたいと思うからこそ、しばらく様子をみたいと思うのだ。 |