今日の昼下がり、久しぶりに、駅前のいつもの喫茶店で歴史研究家に会った。彼はヘビースモーカーでいつも時間より早く待ち合わせ場所に表れるから店に入るなり真っ直ぐ喫煙室へ向かった。私は、煙草を吸わないし、いつもは吸っている人の横は息を止めて通り過ぎるのだが、不思議なもので彼の吐く煙は気にならない。だから彼は私の前で遠慮なく吸い続ける。 会うなり、原稿の進捗具合がどうかと要点を切り出した。すると、書いているうちに、分かっていないことが多すぎて、まだまだ調査が足らないことが気になりだし、今は進んでいないと彼は答えた。前回に会った際、彼は7月10日までに仕上げると言っていた。なんの連絡もなかったので苦しんでおられると思い心配していたと私は話した。そんなことはないと彼は答えたが、私には、研究家魂が首をもたげ、研究家として同じ研究家に見せるには今のままでは恥ずかしいと悩み苦しんでいた様子が伺えた。 じつは、予想したとおりである。本を作ろうと誘った最初の段階から、研究論文の発表ではなく、子供達を含む一般市民に歴史に興味を持ってもらうと言う趣旨の本だと言っているのに、いつのまにか忘れてしまっている。 彼の気持ちは分からないことはないが、趣旨はぶれないでいてほしい。そのことを1時間かけて説得し、またやる気になってもらった。ただし、原稿をもらえる時機が伸びて年内いっぱいということになった。 これから1ヶ月に数度は連絡をとるようにしようと思う。ぶれる人は…ほっとくと、またぶれはじめるからなーっ。 喫茶店を出て別れを告げた後、体にしみついた煙草に匂いがいつになく疎ましく思えた。 |