私が父の子供の頃からの友人で…私もお世話になったことのある優秀な弁護士がいた。父と弁護士の旧制中学の先輩である企業の会長が亡くなった時に、弁護士は先輩から預かっていた遺言状の始末を私の父に相談した。 遺言状には、一切の財産を家族ではなく一人の愛人に残す…と、書かれており、それを実行するとなると役員でもある家族の反対も必至であり、先輩とは家族ぐるみで付き合いをしていた弁護士と父にとっては、そのまま進んで行くことに堪えがたい苦痛を感じ取ったのだろう…。 結局、先輩の遺言状は破棄される運命をたどることになる。 このことについて、法的観点から言えば、弁護士免許を剥奪されるだろう類の違法行為であることは間違いない。 あれから17年が経過するが、以後大きな波が起こることもなく平静が保たれた。 この世を去って9年が過ぎる父が、まだ私が学生の頃に聞かせてくれた話である。 いまだに、父が何故世間に出る前の私に、闇のなかに隠された違法行為について話したのか分からない。 ただ、あの時から“嘘は絶対にいけないこと!”と、言う考えが私の常識から外れた。人を幸せにする嘘もあるということが自分の身に着いたように思う。 ただ、愛人だった方が、その後幸せになれたかどうか気がかりだ。 |
私は本をよく読むタイプではない。要するに文字慣れしていない。そのことを自分でよくわきまえているから、大切な文章は何度も読み返す。 小学生の頃から同じ本を続けて何度も読み返すことがあった。他の本を読まずに一冊の本に執着する私を心配して、母はその本を隠してしまったことがあった。悲しい思い出である。 何度も読み返すからと言って、書かれていることを一字一句…まる覚えできるような頭ではない。ただ読み返すたびに新たな発見があり、本の作者が言わんとすることの核心に、時間をかけて近づいたように思う。 私は、もらった手紙を何度も読み返すことがある。書き手の本心を知りたいと思うからである。 私は、自分が書いた手紙を何度も読み返すことがある。自分の気持ちが正しく相手に伝わる文章であったかどうかを確認するためである。 もらった手紙を、数日後に引っ張り出して読み返すことがある。 自分の書いた手紙を送った後、数日後に読み返すことがある。 そうすると、最初とは違う意味がみてとれる。 何度読んでも、他人の本心は分からない。何度読んでも自分の伝えたい事の半分も伝えられないと分かる。 だから、読み返さないより読み返したほうがいいのに違いない。 何度読んでも分からないのだから、なおさら一度や、二度や、三度では分からない。 文字慣れしていない私は、これからも読み重ねを続けて行こうと思う。 |
今月から週一回のスイミングスクールに行きはじめた。一月に4回ワンクールのレッスンの3回目がすでに終わった。私と私より年上のおばさんの二人が初心者で、他の生徒は以前から教室に通い続けているらしく、レベルにかなりの開きがある。 3回目で私と同じ初心者のおばさんとの間に少し差が出てきた。当然みなさんは、私の方が上手くなってきたのに違いないと思われただろうが、悲しいかな…実は逆である。彼女のほうに、バタ足もブレスも確実な進歩が見える。 ここへきて、私の人間としての大きな弱点に気が付いた。それは、結婚式のスピーチであったり、ギターの発表会であったり、契約に関わる大切な話をするときなど、普段と違った行動をとる時に、緊張して体が硬くなることが習慣付いてしまっているということだ。 経験からスピーチやら契約の話は、周囲には緊張を悟られずにやり過ごせるが、水中では隠しようがない。リラックスできずに体が硬くなると、体は水に沈むという原理をまともに受け入れるとすれば、私は極度に緊張しやすい体質と考えて間違いないのだ。 さて、私は泳ぐ前に緊張をコントロールする術を習得する必要がある。緊張しない人が羨ましい。 いや、緊張は誰にでもあるに違いない。問題は緊張しても体が硬くならなければ良いのだ。おそらくヤンキースのICHIROもサッカーの本田や香川も緊張状態でも柔軟な体を維持しているのだろう。 今日も夜に、特訓のためにプール行く予定だ。今日はリラックスの練習だ。 この弱点が克服されれば、私の前に新しい人生が開けるだろう。そう思ってリラックスの仕方を習得してみせる。 ともかく、おばさんには負けたくない。 |
昨日、ギターのレッスンに行って、思い切って先生に私の思いを伝えてみた。 “先生、先日ギターの教則DVDの撮影に立ち会って思ったことですが、正直言って先生が解説として話されていることは私のレベルでは難し過ぎました。おそらくDVDを見る人のほとんどは、先生が望む20%も理解できないと思います。だけど、よくは分からないのですが、素晴らしい閃きが詰められていることは分かります。 レベルの高い少数の人は、先生の話ではなく、先生の演奏を聴いてそれぞれが、その人に必要な分だけ吸収すると思います。その意味でこの度の教則DVDは、中途半端な一人歩きに思えてなりません。 この教則DVDを作る前に、先生の最高の演奏を柱にし最高の録音環境、最高のデザイン感覚、最高の販促スタッフによって作られた演奏だけのDVDがあるべきではないでしょうか?それありきで、興味を持った人にとって、教則DVDが輝いてくるのだと思うのです。今のままでは、もったいない!” “これから新しいギター人生を歩むにあたって、これまでの人生の一区切りの証として、今回どうしても教則DVDを作りたかったのね。おかげで、今はとってもすっきりしているんだ。でもあなたのいう事はよく分かる。道を歩いていて女の子の前でコートを開いて局部を見せるおじさんみたいなことでしょ?急に全部見せたら目を背けられてしまうということやね。” “そうですね。先ず中身を覗きたくなるような状況を先に作ることが肝心なんです。” “順番が逆かもしれないけれど、来年は演奏だけのDVDを作ることにしようと思う。力を貸してね。それにしてもあなた以外に誰も私に意見を言ってくれる人がいない。みんな、聞いたら相槌うつだけや。有難う。感謝してます。” そんな会話が交わされた。 先生らしい例え話だが、コートのおじさんの話が適切かどうか、今でも少し疑問が残る。 |
新たな生命保険加入の可否を問うために、2週間ほど前に保険会社の医師の健康診断を受けていたが、昨日その結果が出た。 3社に照会して、1社には受け入れを拒否された。2社は条件付き(保険料金の割増)で加入を認められたが、この結果は私のほぼ予想通りで…、人工血管を体内に入れている欠陥人間としては、この結果を満足すべきだと思っている。 この報せを受け、現在加入している70才満期掛け捨ての生命保険の受取額を1/3に減額し、その浮いた保険料金の範囲で終身保険に加入することにした。これで私が70才を過ぎて生きても葬式代くらいは残ることになる。 保険会社の担当者と、昨今ニュースで話題のips細胞と保険との関係について会話した。私が“保険会社としては医学の進歩の情報取集と分析は最も重要な業務だから、その世界ですでに未来が予測されていて、実はもうすぐ癌で人が死ぬ世の中は終わりじゃないの…?”と、聞いてみた。すると“確かに、各社とも新しい癌保険の開発が最近多くて…どこも保険料金が下がってきています…。”と、答えた。 明らかに、保険会社は今のうちに癌保険を拡販して儲けようとしている。そんな保険会社の思惑が見えてきた。 私のかけている掛け捨ての癌保険を解約できる世の中が、もうすぐやってくるに違いない。 それまでは、生きていたいものだ。 |
昨晩4人で、回転寿司に行った。皆が食べ終わり、会計ボタンを押すと、スタッフがやってきて、皿を数え、手持ちの無線精算器に打ち込んだ。スタッフから飲食金額を伝えられ、席番カードを持ってレジに向かうと、家族連れの先客がレジの前で支払いを待っていた。 焦り顔の店長らしき男性がレジの前でごそごそしている。しばらくその様子を見ていると、私の後ろにも客が並んだ。 それから数分後、店長らしき男性は3組の客から席番カードを集め、“今からレジの立ち上げに時間がかかりますので、このままお帰りいただいて結構です。お待たせして申し訳ありませんでした。”・・・・ 確かに私の前に待っていた父親らしき男性は、体がでかく見た目は恐そうであったが…、まさか店長が怯えたわけでもあるまい。精算金額を覚えていて支払おうとした私達を制し、店長は我々を店の外へ送り出した。 今日の話は、我々がラッキーだという話ではない。確かにラッキーではあるが、店にとっては小さいながらも痛手に違いないからもろ手を挙げて喜べる話ではないことは重々承知している。 言いたかったことは、世の中がIT化(機械化)して、トラブルが起こると大変なことになると言う事だ。 停電で銀行業務が麻痺して決済できなくなると多くの人が大打撃受けるというニュースは聞いてはいるが、このたび回転寿司においても客席はすでに片付けられており、スタッフが客席で打ち込んだ情報がレジのトラブルで取り出せなくなり、請求金額の算出ができなくなることを目の当たりにした。 大変な世の中になったものだ。巷で個人情報のIT化に反対する人を見受けるが、なにかの拍子に私の情報がこの世から抹消されるなんてSFチックな世界に人類は足を踏み入れたと思うと、なんでもIT化するのもどうかなぁー…と、思った。 |
自分の名前をネットで検索してみると、 ・IT関連イベントの講演者 ・有機野菜オーガニック野菜の販売ホームページ(挿絵を描いただけ) ・クラシックギター発表会(一度コメントを入れただけ) ・ヤフーの本のオークション(画文集) ・文書館の所蔵目録(写真集が歴史資料と判断された) ・カメラマンのブログ(写真集の推薦文) 等が出てくる。しかし、私はITの知識はないし、野菜にもそれほど興味がない。ギターも他人に聴かせるほど上手くはない。確かに35年前に出版した画文集は国会図書館(出版された書籍はすべて国会図書館に保存される)に保管されており、すぐに完売したが、増刷していないので今では自分の手元に数冊残るだけ…。出会ったことのないカメラマンのブログには15年前に私の作ったポートレートの写真集を絶賛してもらっているが、これは18年経過した今でも2,500冊の在庫を抱えている。 こうしてみると客観的にみると、自分で自分がなにか者か分からない。 ただ、今、目指しているのは小説家…。 夢は、他人から“出来るわけないよ!”と言われるほうがいい。 |
以前知人の紹介で行きはじめたカイロプラクティックの治療院に、今朝私の友人を連れて行った。 私の治療は5分ほどで終わり、先生に勧められ診療室で友人の初診に立ち会った。診療台に仰向けになった友人の左右の手足の長さを比べると明らかに右足と左手が反対の手足より短く、体の歪みのために違いが出ていると説明を受けた。 その後、例の金属棒の、触れるか触れないかの治療を何度か繰り返し、再度手足の長さを比べると、驚いたことに左右の手足の長さは逆転しており、体の歪みをこれからの治療で調整するために、しばらくは1週間に一度は来診するように言われ診療が終わった。 友人の治療を見ていた私は、治療前と後との変化を目の当たりにし、魔法のような治療をますます信用するようになったが…、外に出て友人に感想を求めると、“わからない。”と言うもので、“だけど、先生に変化の実感を聞かれて、すごく良くなりました。”と、答えていたじゃないか…と言うと、“あの場では、先生に合せていだだけ…。”と言うもので、私は大変がっかりした。 治療中に先生に話を合わせる必要はないのに…、分からなければ分からにないと答え、どんどん質問して自分が納得しないと、お金を払っているのに自分のためにならないと思うのだが、世の中には先生に突っ込んで話ができない人が結構多いようだ。 次回再診の予定を入れた友人が、数日後にキャンセルすることなく納得してまた治療に行くことを祈りたい。そうでないと私は“余計なお世話”をしただけに終わるものなぁー。 ともかく、他人になにかを勧めることは、止めておこうと思う。 |