他人の話を聞いて、なにか判断しなければならない時に、私は話の内容を三つに分類する。 ・ 一つは事実 ・ 一つは事実に基づく意見 ・ 一つは事実から飛躍した推測 これらを混ぜこぜにして話をする人は、世の中に沢山いるから、自分自身で整理していかなければならない。それができないと正しい判断ができないもんな。 この分類ができる人だけが身内や友人や部下の相談に乗ることができると思うな…。近い関係の人の話を全部鵜呑みにする人に相談してもまともなアドバイスはかえってこないし…。 対立関係にある人の話でも、言い分をこの三つに分類して話を聞けたら、解決策がみつかると思う。 整理力がある者同士の間に発生した民事問題だと、弁護士いらずで、解決できると思う。 適当に訳のわからない言い分を聞くことも、人生…刺激があって楽しいかも知れないなぁー。 そんな思いを持って、生きていきたいものだ。 |
会社のコピー機が壊れ、メンテナンスに担当者を呼んだ。仕事の終わった彼と話こんだ。最近でもコピー機の需要はあるが新しく導入する会社が減少傾向にあり、社内文書に紙を使わなくなる時代がくれば、コピー機は必要なくなるかも知れない…などと未来予測を話していたら、ふとしたことから彼が松ちゃん(松本人志)のファンであることが分かり、私の知っている松ちゃんのコントのタイトルを言うと、なっ、なんとパーフェクトにコントの時代背景を答えてきた。 話を聞くうちに、彼は“遺書”等の松本の書いた本も全部読破している…松ちゃんお宅だと分かった。 話の最後に松本の監督した直近映画“さや侍”のエンディングテーマを歌った竹本ピストルが何故有名にならなかったかなどと議論を戦わせた。みまさん、なんのことかわからないでしょ? 興味がある人は“竹本ピストル”のこと…調べてみてください。松本人志が映画の製作発表の記者会見で、竹本ピストルがさや侍に出演したから、これから有名になると断言したシンガーソングライターなのです。なかなか味のある歌い手です! しかし、松ちゃんの、このあたりの読みの狂いが、時代感覚のずれになってきたのでしょうかね…? あのー、私は松本人志のおたくではありませんよ。彼のアーティストとしての才能を認めているだけですからね。お間違いなく。私的には彼は、ビートたけしより芸術家だと思っていますが…。 やっぱり、おたくですかね…? 機会があれば、コピー機の修理担当者と、また話をしてみたいと思う。 ともかく、私の経験上…松ちゃんファンに悪い奴はいない。 |
今日は知人の病院付添のため昼前まで家の近くの整形外科にいた。昼一番の打ち合わせのため近道のトンネルに向かった。トンネル手前のETCを順調に抜け、入口に差し掛かる直前に作業中の表示を付けオレンジ色の回転灯を点灯した大型車輛がトンネル内にはいるところを目撃した。スピードを落としながら近づくと、思ったよりも遅い時速20kmくらいののろのろ運転である。追い越そうかと、アクセルを踏み込みかけたが、どうもその作業車の前に何台か車列がありそうである。しかし、前の車が大きすぎて先が確認できない。5~6台続いていたら厄介だし、一旦追い越しを諦めた。 トンネルの長さが4kmはあるので、しばらくすると、またイラついてきた。 その時、頭をよぎったのが、昨年起こした追突事故のため違反点数で5点がついているという事…。事故は7月だったと思うが何日かは覚えていない。しかも、トンネルは昨年事故を起こした場所に非常に近い…。もしトンネル内で追い越しをかけて、車列のなかに警察車輛がいて捕まったら、この1年間が無駄になると思い、思いとどまってトンネルを抜けるまで我慢した。 トンネルを抜けたところで、視界が広がり、作業車も路肩走行しているので追い越すための隙間ができ、すぐに追い越した。 車列は散水者と前の車の2台だけだと分かり、はやく抜かせば良かった…なんてこと思ってしまったが…、トンネル内は追い越し禁止ですよね! みなさん…。 ということで、私の違反点数はもう少しで0になる。もう0になっているのかしら? 違反点数のために、交通違反しないのではなく、安全のために交通ルールを守りましょうね…! ねえ…みなさん。 普段から心にゆとりを持った運転をしたいものだ。 |
今朝、YouTubeでギター演奏の動画を見ているとAna Vidovic (アナ ヴィドヴィチ)と言うギタリストに目が止まった。クロアチア生まれの彼女は、とにかく美人である。そして演奏を聴いてみると、私が知るギタリストのなかでもレベルが高い。ある意味ナンバーワンだ。 クラッシクの世界では演奏者に天は二物も三物も与えるようだ。 私のギターの先生は、1987年に他界したスペイン人のAndres Segobia(アンドレ セゴビア)だけが神様で、他のギタリストの事をよく言うことはないから、彼女の演奏を聴いた批評を伺ったら(多分聴かないと思うけれど…)、きっといつものように最終的にはセゴビアの素晴らしさを称える話になるのだろう。 セゴビアだけが神様ではない私は、先生に言ってあげたいことがある。他の演奏者の演奏がダメなわけではなくて、それぞれに目指しているものが違うだけなのです。自分と違う方向を向いている演奏家の演奏も、いろいろ聴いて自分にとってプラスになる部分とマイナスになる部分をファイルに分類してみてはいかがですか…と。 …なんて事は絶対言わない。だって先生の演奏の原動力はセゴビアに近づきたいと思う一心から生まれているのだもの…。下手なこと言わないにこしたことはない。 先生は以前、日本人のギタリストの村治佳織のことを珍しく褒めたことがあった。それは演奏に関してではなく“彼女は美人に生まれて得をしている。”と言うものだった。 先生も美人に生まれていたら、もっとおおらかに他人の演奏を楽しめただろうに…。 |
テレビを見ていると、“いじめ”の問題が毎日取り上げられている。事件の当事者(自殺した子供の学校)でもある親たちが、教師に対して教育の問題を指摘し詰め寄っている様子が報道されているが…、なんだかおかしい。 親と子供達と教師とが、三者揃って解決に向かわないと、解決しない問題であることは明らかであろうに…。今回のような事件が起きた時に、その当事者である親や子供たちが自分の責任を棚に上げて他人に責任を負わせ謝罪させようとする姿勢を見た子供達は、自己責任の大切さを認識することなく、問題の真の解決ができない欠陥人間になるに違いない。 教師に責任がないとは言わないが、他人の気持ちを思いやる人間性の育成は、子供達の親が最も大きな責任を負うと思う。そう考えると、事件後の報道の在り方に偏りがあることは明らかだ。 今後事件の報道が、それぞれの立場の責任検証に向かうことを期待したい。 そうならないと、同じことが繰り返されるに違いない。 普段、日記の題材としてはこの手の問題は避けて通っているが、報道機関の姿勢があまりにも目に余り、一言申し上げた。 |
私たちの子供の頃、刺身魚を食べる欧米人はほとんどいなかった。昔から生魚はギリシアやイタリアや南洋の島々でも食べられてきたが、いずれもオリーブオイルに合わせてマリネにしたりビネガー漬けにしたり…、日本の刺身とは少し趣が異なる。 魚を生で食す文化は、日本の集落が海岸線沿いに発展し、魚が陸にあがってから直ぐに食卓に上ったことと、醤油という素材を引き立たせる調味料があったからだと記憶している。 今では、流通網の発達と冷凍技術の発達で世界中どこでも新鮮な食物が手に入るようになり、醤油も一般化した。生魚の消費はこれからますます拡大するだろう。 日本が世界一の長寿国と言われるようになり、日本食が長寿食としてもてはやされ、その勢いもあって世界の生魚食人口が急増したことは明らかだ。 長寿国になれた理由は食事のおかげだけではなく、国内の医療施設の発達もあったように思う。 聞くところによると、世界の透析患者の40%が日本人だというし、入院ベッド数は人口で3倍以上の米国よりもはるかに多いという。簡単に入院できることが…、そして長生きすることが、私は一概に幸せだとは思わないが、恵まれた国に生活していると思い、感謝することは大切のように思う。 昔欧米人は、生魚を食べる食習慣を野蛮だと言って敬遠してきた。それが長生きのためには、彼らは自ら野蛮人に変身した。 人間は、生きるためには価値観を変えられる生き物だ。しかし、それはそれで変えられずに命を落とすよりはましかも知れない。 高齢化社会に向かう日本において、動けないのに長生きする人が増えるのはどうなんだろう…? やはり“ピンコロ”に魅力を感じるな…。ピンコロとは、医学用語(?)で、ピンピン生きてコロッと逝くことらしい。 日本食がそんな食事に進化していくことを期待する。 |
昨日、奇しくもfacebook上で二人のカメラマンと友達になった。一人はファッション関係で…、あるコレクションの専属カメラマン…。もう一人はオーロラを撮影するためにアラスカの大地を一人で旅するフリーのカメラマンだ。同じ写真家と言っても全く違うタイプの人間二人だ。 モデルを撮影するカメラマンは、一見女性的な…しかし、よく見ると攻撃的な性格を持っている。大自然のなかでオーロラが現れる瞬間を一人で待ち続けるカメラマンは、がっしりした体つきで一見攻撃的(実際に合気道の有段者である)に見えるが、正確はおっとりした猫と言った正確だ。 同じ職業でも被写体によって、向き不向きがあるのだろう…。 二人のカメラマンの撮影する対象が逆転したら、お互い優れた写真が撮れるとは思えない。客観的にみて、どちらのカメラマンも常に自分の本質に違わない被写体に向き合っているわけで…要するに二人は幸せな人生を歩んでいる。 私も、事業をしていた時の束縛から離れ、今は好きなことに時間をとれるようになった。これから豊かではなくとも心にゆとりのある人生を送りたい。 それにしても、自分自身が事業家には向いていなかったと…いまさらながら…思う。 自分の本質と違う人生を歩んだことも、自分の血肉になったのだと思いたい。 |
昨日、約一月半ぶりにギター教室を訪ねた。そしてしばらく行かなかった本音を先生に話した。“弾きたかった曲が、曲りなりにも二曲とも弾けるようになり、この曲だけを弾き続けたいと思って来なかったのです。そうでないと新しい曲を習うことになるような気がして…。” そう言って…、私は“アルハンブラの思い出”を弾き始めた。それも非常にゆっくりと…。 以前からずっと、スピードが速すぎると先生から指摘を受けていた。いつも“もっと遅く…もっとゆっくりと…”と言われ続けた。 しかし、どうしてもゆっくり弾くことができなかった。 昨日は、とてもゆっくり弾くことができた。ゆっくり弾くと言うことは、粗がみえてくる。 教室を休んだ間に、上手くなったとは言わないが、ゆっくり弾くことが苦ではなくなった。 先生がおっしゃった。“遅く弾けるようになったね…。この曲は早く弾くものだと思っている人が多い。みんな完成した弾き方を真似しようと…、早く弾こうとするけれど、正確にゆっくり弾くことができない人が早く弾いても良い演奏にはならないのだよ。”と、講評いただいた。 決して上手く弾けるようになったとは思わないが、数か月前よりずっとこの曲が自分のものなったような気がしていた。 自分の演奏レベルが、新しいステップに入ったと実感した。きっと近いうちに一皮むけた演奏ができるように思う。 …と、いう事で私が飽きるまで、先生からこの二曲の指導を受けることになった。 新しい曲に向かって歩を進める日は、いつになるだろうか…? |
今朝NTTのひかり回線の工事の下見で担当者がやってきた。実は数週間前にすでに別の担当者が見に来ていて、その結果建物に、ひかり対応の配管が不足していることが分かり、配線のルート確認した結果、ある個所に点検口を設け、さらにボード壁の一か所を貫通する必要があると説明を受けていた。 今日はその点検口の位置の最終確認にきたわけだが…、今日の担当者は、前回の担当者よりも慎重に粘り強く確認作業を行い、新しい引き込みルートを見つけ、点検口も壁の貫通も必要がないと報告にきた。 すでに点検口の設置と壁の貫通の費用(躯体に関する費用はビル側の費用)の見積もりをとっていた私は、なんだか得した気持ちで、気持ちよく今日の担当者に礼を言って、ささやかではあるが、彼らの帰り際に冷たいお茶を紙コップに入れて差し出し二人の労をねぎらった。 二人とも気を良くして帰って行った。 確認作業も作業者によって、こうも違う結果になるものかと思い知る。 他人にものを頼むときは、それぞれ優秀な専門家にまかせたほうが良いのだね。 今日は良い日だね…。 調子に乗って、明日は宝くじ買いに行こうかしら…、あっ これ別の話ね…。 ともかく、宝くじ買いに行こうっと…。5億円だったよね。確か…。 |