一昨日、出会ったイラン人の主宰する団体のホームページを見た。 団体の理念に関連して、イラン13世紀の大詩人、サアディ―が詠っている言葉が書かれていた。 「人類はみな、一つの本質からなり、手足と同じように、一人一人がつながっている。ゆえに、もしどこかが痛めば、ほかの部分も痛みを感じずにはいられない。汝がもし他人の災難に胸を痛めないなら、その時は、もはや人と呼ぶに値しない。」 世界中のすべての人間が、この考え方のもとに生きたら、世界から戦争がなくなり、飢餓が無くなり、独裁がなくなり、愛に満ちた世界になるだろう。 “この考え方を持って、活動する人がいるという現実…。” “この考え方が世界の主流になることは無かったし、これからもそれは不可能だという現実…。” 世界の平和を、まだ見つめて生きていない私は、現実を直視しながら、今できることを始めてみたいと思う。 一昨日の出会いは、そう考えさせられる…ひと時であった。 |
先日、懇親会で私の前に座った女性がバイオリン店の店主だったので、私が日頃思っている楽器に関する質問を投げてみた。 “高いバイオリンは、やはりいい音色なのですか?”と、聞いてみた。 答えは“高いバイオリンがいい音色…という事はありません。いい音色だから高いのです。” なるほど…と、思った。 “ギターの先生が、そのうちに私がもっと良いギターをほしがるようになるから、お金を貯めておくように言うのですが、私は今のギターで充分なのですがね…。”と、聞いてみた。 答えは、“自分の技術が持っている楽器のレベルを越える時が来るのです。その時に自分のレベルに合った楽器が欲しくなるのです。” なるほど…と、思った。 しかし、夫婦に例えたら、えらいこっちゃな…。何回も離婚、結婚繰り返さなくちゃいけなくなるからね…。何度も結婚する人がレベルが高くなっていくなんてことになったら道徳的にどうなんだろう? でも、同じかもしれんな…。 この間のフランスの大統領も、そんな感じだったし…。 音楽の話を通して、退屈な懇親会が楽しいものになった。 近いうちに彼女のバイオリン店を訪ねてみようと思う。 |
私の友人が、facebookのなかで、彼の知人の…世界中を渡り歩いているフリーカメラマン(先日私を訪ねてくれたカメラマンではない)のエッセイに いいね! をチェックしていた。 私も、そのカメラマンと面識がある。 私は酒を飲むと限りなく下品に崩れてしまうカメラマンが、あまり好きにはなれなかった。 このたび、はじめてカメラマンの文章を読み、彼の人生における経験の深さを少し感じた。下記にその文章をのせておく…。 ------------------------------- 記 ------------------------------- 私の旅 友人の本を読んだのを切っ掛けに自分の旅を振り返ってみた。思えば青春時代のほとんどが旅であり、今もその中にいる。「人の人生は旅のようなもの」と云うが、私の場合は「旅そのものが人生」である。勇気、無謀、旅立ち、戸惑い、孤独、悩み、寂しさ、無知、親切、不親切、友情、病、死、事故、盗難、貧しさ、餓え、忍耐、暴力、無視、嫉妬、権力、結婚、家族、子供、親、兄弟、友、異性、国家、亡命、他国、国境、革命、指導者、宗教、戦争、自然災害、テロ、暴動、抵抗、デモ、異文化、芸術、涙、愛、挫折、勇気、痛み、おそらく人が人生で経験する全てのことを私は長い旅の中で経験した。友人の旅は青春時代で終わったのだろうか。私の旅に終が無い。 今は体の各パーツを修理している最中だ。どうしても修理の効かない部分もあるが、それは長い間、酷使していれば起こることで、自覚していれば、まだ使える。若い時と同じようには出来ないが、まだまだ旅は続ける。そして写真を撮り続ける。 ----------------------------------------------------------------- 文章みるとかっこいいんだけどなー。 しかし“女・酒・ギャンブル・麻薬・陰謀・裏切り”も書いてほしいな。 やっぱり彼の人間性は好きにはなれない。 私もそんなこと言われないように普段の“生き方”気をつけなくちゃー。 |
市の観光コンベンション課が主体となって町の活性化策を考える会が数回開かれ、いろいろ話し合った結果、私が提案した“町の歴史を関わる人達が勉強し、町に誇りをもてるようにする…”なんて…言う直ぐには効果が期待できそうにない案が、他のイベント的な案を押しのけて採用されたようで、市の担当者から私に事務局長を頼みたいと電話がかかってきた。 確かに私が言い出したことだし、断るわけにもいかず、町のボスが私で良いと言うなら引き受けますと答えた。 後日、町の定例会のはじまる前、会場に入口付近で怒りが顔に出た町のボスに呼び止められ、“市の担当者に活性化案を聞いたけど、そのことは昔からこの会でやってきたことだし、いまさら思いついたように何様のつもりなの?…聞いたらあなたが言ったことをそのまま、まとめたと言うやない。”と指摘を受けた。 まるで私に責任があると言わんばかりの剣幕で、会議のはじまる時間を過ぎているのに、つかまり続けた。 私は大人だから、自分の非を認めながらも、“メールで考えをお伝えします。”と答えた。 翌日、メールを送ったが…すでに3週間が経過するのに、何の返事も帰ってこない。ところが私がボスに、その間会って話をしていないかと言うとそうではなく、テレビ局の取材にも同席者として私を単独指名してくれるし、その他の会議でも出会って談笑している。 市の事業のことで、私の方からボスにお伺いを立てるのもどうかと思い時間が経過したが、一昨日市の担当者からその後進展はありませんか?と、メールが入り、動きのないことを伝えると、“近々会って打ち合わせさせてほしい…。”と、言ってきた。 会わない理由がないから会うけれど…市の職員に言ってやりたいことがある。 “こんなに時間をかけたら、うまく行くものも行かなくなるよ!私を盾に使うのは百歩譲って許せても、自分のケツは自分でふかなくっちゃー。問題が起こったら直ぐに対応しなくちゃね…自分が正しいと思ったら、実現のために頭を下げることも必要なんだよ!いい年してるんだから…。”と… まったく、人生経験が浅すぎる…。だけど私も、いっぱい失敗してきたけど…。 |
昨晩振った大雨の余韻が川の流れに残る今朝…、曲がりくねった山道を避け、近道のトンネルを通る道を通るつもりで、車で家を出たが、途中急速に天候が回復しそして一瞬考え事をしてしまい近道への交差点を曲がり損ね、気がつけば山道の近くまで来てしまった。引き返すのも時間の無駄であるし青空も顔をだしてきたものだから、そのまま山道にハンドルを切った。 大量の水が流れたであろう跡に沿って、折れた木の枝や木の葉の固まりが道路を覆っているところがそこここに見られた。 空調を切り…窓を全てオープンにして…、スティングの曲をカバーした村冶佳織のギターCDをボリューム全開にして走った。ここまでの音の大きさは町中では迷惑な話だろうが、すれ違う車もない山道では誰も苦情を言う者がいない。いや山神や猪たちには迷惑だったにちがいないが…、都会へ抜ける15分ほどの束の間の時間…私は思いっきり自分だけの時間を楽しんだ。 民家がポツポツと見え始めた頃、ボリュームを落とし、窓を閉め、空調を入れた。 そして人びとのかかわりに備え、頭のなかの社会性モードのボリュームをあげて行った。 山道を通ったことに満足した。 そして、道すがら何も起こらなかったことに感謝した。 |
今朝、歴史研究家との絵本の打ち合わせに行った。場所は居留地80番…さすがに、居留地研究会の役員だけあって打ち合わせも居留地内のカフェを指定される。しかも“場所は80番”とだけ伝えられるのだ。 ここのカフェは、ビルの2階にあるミュージアムに隣接しており、一般の方はあまり利用しない。少なくとも私はこれまでに、満席になった店内にはお目にかかったことがない。 打ち合わせに適している理由はいくつかある。一つは、空いている。一つは、資料を広げられる大きなテーブルがある。一つはコーヒー一杯が290円と手ごろである。居留地時代のことを研究する研究家にとっては格好の打ち合わせ場所である。今日も顔見知りの店員に笑顔で挨拶しながらオープン前に店内に足を踏み入れた。 私が用意した絵本用のレイアウ見本をパソコンで見てもらったら、研究家はイメージが湧いてきたようで次回打ち合わせまでに全てのページレイアウトを私が作り、それを待って2週間以内に研究家が文章を作成する…と言う段取りになった。急げば秋までには、完成見本が出来そうである。すでに市・県・新聞社・NHK・観光学科の教授等にはすでに大枠の話は通しているので、告知・広報の協力を得て、予定通り年内には完成させられそうだ。 要件が終わると、すぐにミーティングはおしまい…。いつものように勘定を割り勘で店をでた。私は、このシンプルな打ち合わせが結構気に入っている。 もし絵本ができたら、どうしよう? 皆さん買ってくれますか?それとも欲しいですか? 何を言ってんだろうね…気が早すぎますよね…ったく…。 |