今年は私にとって、とても良い年だったと思える。 私にとって近年重荷になっていた人間関係が昨年改善の兆しが見え、今年は吹っ切ることができた。そして長い間行かなかった映画館や美術館に何度も通い、短期間だが15年振りの海外旅行にも行くことができた。 そおそお…12月19日~21日に台湾に行った時の話を、全く書いていなかったから今年の最後に触れておこうと思う。 空港からタクシーで台北のヒルトンホテルに到着したのが午後8時半だった。ホテルのコンシェルジュに、遅くまで開いている台湾料理のレストランを教えてもらい入店したのが9時半だ。最初に頼んだ料理がほとんど売り切れ…かろうじて台湾らしい料理を食べビールと紹興酒を飲み、ホテルに帰ってすぐに就寝した。翌朝は館内でバイキングの朝食をとり、午後2時半まで二度寝して、やっと食料品街に出かけたのが3時半だった。その延長でお目当ての屋台街へ地下鉄で行ってみた。期待したほど美味い皿もなくホテルに帰ってまた寝て、次の日バイキングの朝食を食べて、午前10時にチェックアウトしてタクシーで空港へ… まったくなににもせずに帰ってきた。 ホテルの部屋は良かった。 町の印象は日本の昭和30年代のように空気が汚く、雑然としており、日本企業の進出が目覚ましかった。 敢えて旅のことを日記には書かなかったのだが、私にとって、それでも楽しく満足できた旅だった。 幸せかそうでないかは、お金があるかどうかではなく、何が手に入ったかではなく、 自分が幸せだと思えたかどうか…しかないように思う。 その意味において今年は、私にとってしっかり幸せだった。 あなたの今年はいかがでしたか? 今年、私の日記をご覧いただいた方有難うございます。 今、私の日記を訪ねていただいている方有難うございます。 来年が、あなたにとって幸せだと思える年でありますように! |
私が1年越しで持っていた番号確認していなかった2010年年末ジャンボの結果を、皆さんに、まだおお伝えしていなかったが、結果は連番で20枚持っていて\600.だけ戻ってきた。俗に言う“全ハズレ”…と言うことである。残念ながらお約束の海外旅行ご招待は次回の結果を待っていただきたい。 昼下がりに知人の家で彼の奥さんと話をした。「家にお祭りしている荒神さんと天照大御神の神棚に正月だから1年振りにお神酒を供えようと酒器を紙箱から取り出してみたら4個のうち2個にひびが入っていたの。」と顔をしかめた。。 私は、即座に「今年一年の災いを神様が受けて守ってくれたから、一家全員が平和で過ごせたんですね。」と言った。彼女は「そう聞いて気が楽になりました。」と笑顔で言った。 器が割れていたら不吉だなんて思う事ありませんよね。科学的に実証されない不吉な前兆は世の中にはありはしないと思います。器が割れた原因なんて誰かが落っことしたか、なんらかの急激な温度変化があったとしか思えない。 神様が守ってくれたことを知らせようとしてくれたとしたら…不吉だなんて思わずに感謝しなければならないことですよ。 分からないことに、いつまでも顔をしかめていたら、災いを呼び寄せてしまうから止めたほうがいい。 いつも世界は自分が中心だと思って、日々感謝して生きているのが懸命だと思うな。なにしろ、そのほうが胃に負担がかからなくて楽だから… 悪いほうには考えない…考えない…。 |
昨日取引銀行の新しい営業担当者が挨拶に来た。2ケ月ほど前に前任の担当者から、研修に行くのでしばらく会えない旨の電話が入りそれ以来連絡が入らず、どうなったかと思った矢先だった。この度の担当者はこれまで貸し付け係りをしていたらしくなかなかしっかりした人物に見受けられた。 私の会社は、現在特に経営上問題があるわけではないが、私が今考えうるリスクを彼に話した。それから自分の人生訓の 「幸せはいつまでも続かない。つらいこともいつまでも続かない。なにが起こるか分からない。人生なにが起こるか分からない。」を伝えた。 そして6年前に大病したことを話した。すると彼の兄が私と全く同じ病気で数年前に死んだと聞かされた。 続いて私が宝くじは絶対当たるものだと信じていると話した。宝くじが当たることを信じられない人の気がしれないと話をした。人生にはもっと確率の低いことが頻繁に起こっていると語った。 すると「本当ですね。」と言って、彼は話を続けた。「数年前に返済が滞っている融資先があり、明日返済が行われなかったら、競売にかける予定の会社が、1億円の宝くじが当たって、今では優良企業で頑張っている。」と言うものだった。 “人生なにが起こるか分からない。”という教訓において私とその営業担当者は深い共感を分かち合った。 来年は、彼とは新たな縁ができるように思った。 |
昨夕、友人から電話が入り、矢継ぎ早に近況を話し始めた。 彼は今年4回目の結婚をした。彼の子供はそれぞれ別れた奥さんが扶養している。再婚した彼女は45才くらいで初婚ではなく、成人した子供が数人いることは聞かされていた。 近いうちに奥さんの長女が私生児を生むという。付き合っていた彼氏は俗にいう不良であり、子供を認知しようとしないらしい。生活力のない彼女はこのままでは施設に入るしかない。子供ができる以前に、付き合っている彼氏と別れて生活を変えなければ親子の縁を切るという話になり、私の友人にすれば、その絶縁状態が続いていると信じていたら、ふとしたことで今でも奥さんが子供にお金を渡していることが分かり、やるせなくなって私に電話してきたわけだ。 ところで、私にすれば今回の話は唐突過ぎて、答えようがないし、深入りしたくもない。 友人は感情的になっている。私は、「複雑だから急に言われても力にはなれないと思うけれど…。」 と、前置きしたうえで一言だけアドバイスした。 「問題は三つあると思うよ。一つは奥さんが自分に黙って長女にお金を渡していた理由を確かめること。一つは長女がこれから変わる可能性があるかどうかを確かめること。そして可能性を考えて今後どうするか。これらのことを整理せずに話をしたら、お互い感情的になって話がこじれるだけだと思う。感情的になったらあかんよ。私が言えるのはそれだけしかない。」 私は、はやく話を終えたいと思って、精一杯の答えをした。 先ずは、相手の思いも尊重した可能な限りの現状分析を行い、問題点を細分化し、問題点ごとに今後の対策を講じる。 これが、私の知恵である。 友人は「さすがですね。有難うございます。またあとで電話します。」と言って電話を切った。 その後連絡はない。こちらからどうなったか聞きたいとも思わない。 自分のことは自分で始末つけてほしいと切に望む。 私は他人の人生相談を受けるつもりはない。 |
昨晩は、先月から予約していたフレンチのレストランに行った。この店のオーナーはミシュランガイドには載らなかったけれど、私の町で5指に入る料理人だと思う。とにかくワインと料理のマッチングが上手い。 昨晩は持ち込みで1997年のシャトーマルゴーを事前にソムリエに預けておいた。店の軽めのボルドーの赤を1本開けて生がきやクネルという料理を食べた。続いて、この店自慢のフォアグラを温泉卵とマデラソースでいただく料理をオーダーし、メインの羊のローストを、少しマルゴーを加えたソースでいただいた。絶妙の味である。続いてチーズ…もちろんこの皿でマルゴーを飲みきった。 さて、一昨日まで満席だったこの店は、昨晩は私たちだけの貸切となった。どうして一般の人はわざわざ混雑した店に行きたがるのだろう。 シェフやソムリエの話を聞きながら、おいしい料理と酒を飲んで、優雅に時を過ごすことのできるひと時が、毎年26日に訪れると言うのに… 皆様、是非来年は、素敵な方と26日にお気に入りのレストランでアフタークリスマスディナーを予約されることをお勧めしたい。 |
一昨日、今年最後のギターレッスンに行った。教室に着いたのが正午過ぎで他の生徒は誰もいなかった。 先生は朝から楽譜を書いていて、根を詰め過ぎ、ちょうど髭を剃りに立とうとした時、その日最初の生徒である私が扉を開けた。 先生は、既存の楽譜を自分なりの理解のもとに、感じるまま自ら考えだした符号を用いて音を表現しようとしている。 私は先生を天才だとは思わない。天才のすることは、常人には真似できないし、天才はどうしたらできるようになるか常人に教えようとはしない。 先生は、考えたことや感じたことを、私を含む生徒にすぐに話したがる。そんな人を天才とは呼ばない。 天才ではない私は、今まであまり天才と話をする機会はなかったし、これからもその仲間に入ることはない。 常人の先生と、凡人の私は話始めるとお互いイメージが膨らんでいつまでも話続ける。 昨日も、1時間弱ギターと直接関係ない話をした。 やっと一息ついて、ギターを弾きはじめた瞬間…先生が私にむかって「ギターを抱く姿が様になってきたね。すごく自然な姿勢だわ…」と言った。 常人の先生は、人を気持ちよくさせる言葉を結構うまく使うように思う。それが分かっていても、私は来年も気を良くこの教室に通うと思う。 |
クリスマスイブの昨日… 久しく会っていない友人から、“Merry Christmas!”のメールが届いた。 私は、次のメールを返信した。 知り合いのサンタからメールが入り、トナカイのダッシャーが足をくじいて、 今晩はこちらにやって来ないそうです。 だから、そちらに行けなくても許してあげてください。 きっと、その分近いうちにステキなプレゼントが届くと思いますよ。 Merry Christmas! あなたが、今日が素敵な一日だと思えたと…信じております。 |
クリスマスがキリスト誕生の日だと思っている人が多いようだ。実は私も最近まで、そのように思っていたのだが、先日知人に教えられたことによると、生誕日は西暦354年以前は5月20日か1月6日だと言われていたようだ。 サンタクロースは厳密に「奇蹟者」の称号をもつ聖人たる聖ニコラオス(聖ニコライ)であり、聖ニコラオスの祭日は12月6日だと言う。 だから、12月24日と25日は、誰かが都合よく作り上げた祝祭日であり、宗教的には何の意味ももたない日だと言ってよさそうだ。 太ったサンタクロースのイメージは、コカコーラの宣伝用ポスターから定着したみたいで、おそらく元となった聖人ニコライは、日々の質素な生活から痩せていたのではなかろうか… 今年のクリスマスイブも一人で過ごす私は、すねてこんなことを言っているのではない。 日本人にとってクリスマスはバレンタインデーと同じく聖なる日としてではなく、イベントだと理解するから、誰か大切な人と過ごせるにこしたことはないと思う。 さて、来年のクリスマスイブは、こんな内容の日記をかかずに、誰か大切な人と過ごしていたいものだ。 メ リ ー ・ ク リ ス マ ス ! |
昨日ホールで、フリュートとハープのコンサートがあった。女性二人のデュオで、受付に小学生の高学年と思われるフリュート奏者のお子さんが手伝いに来ていたから、二人とも30才代後半と思われた。素直そうな人柄の二人である。 大企業の技術者をしていたフリュート奏者のお父さんが、全てを仕切った。椅子・受付台・装花の配置からパンフレットや誘導案内表示の作成、司会進行まで受け持つという具合…奏者たちが舞台に楽譜を用意していないのに「皆さんアンコールを聴きたくありませんか…」と言って聴衆に拍手を強要し、楽譜を楽屋に取りに行かせ、てっきりこの曲で終わりかと思ったら、「次は皆さんいっしょに歌いましょう。」と言って自分は指揮者のように大きく手をふってリズムをとりながら、7曲近く合唱が続いた。 後で納得したことだが、このコンサートは、お父さんの満足のために開かれたんだ…と… 聴衆の顔をみてみると、ほとんどが定年退職者とその奥さんみたいで、奏者の知人は僅かしかいなかった。 だが皆さん上品な方ばかりで、言われるがままにコーラスもしっかり歌い切った。 私には奏者が主体でない点において、理解できない部分の残るコンサートである。 類は類を呼ぶと言うが、技術者であるお父さんの良き理解者が集った会であったに違いない。 会そのものは、やってきた人たちに“成功”だと評価されるだろう。 さて演奏はと言うと、奏者はすべての曲を楽譜を見ながら演奏していた。クラシックだから楽譜そのままに演奏することが重要だと思うのだが、私の心の奥に届く響きはなかった。 さて、会場を気に入って帰って行ったフリュート奏者親子がもし来年もクリスマスコンサートを企画するとしたら、どこまで成長しているかみてみたい。 これは、彼女たちの演奏に可能性を感じたということだろうか…それとも来年もお父さんが同じように振る舞うかを再度見てみたいという軽い興味本位なのか…1年先のクリスマスコンサートのことは、あまり考えないでおこう。 |
社会人としては、名刺交換なる儀式は良きパートナーを見つけたり、フィールドを広げたり、自分を知らしめるためにはとても大切な手続きだとは思う。しかし、社会的に第一線から身を引いた私にとっては煩わしい儀式である。一応普段名刺を携えてはいるが私から進んで渡すことはない。従って名刺交換を第一義に考える人たちの集まるパーティーや講演会などには、顔を出さないようにしている。 そんなことを言う私であるが、自分が作りたいものや、会いたい人のためになら、今でもどこにでも行けるし、そのためのどんなコネクションでも探し出す。 自分に魅力があれば、他人から会いにきてくれる。そう思いながら、もっと人間的に魅力を持ちたいと思う。そしてこれからも、今までもそうであったように、会いたい人にはどんなことをしてでも会いに行こうと思う。 残りの人生…そんな生き方を心掛けたい。 台湾に行っている間、日記を書くことを休ませていただいた。 その間にたずねていただいた方…有難うございます。 明日から、取り敢えず年内いっぱいは書き続けようと思う。 来年のことは、もうしばらくしてから考えることにしようと思う。 取り敢えず元気で帰ってまいりました。 |