クリスマス前に二泊の予定で台北に行く。阪神淡路の震災が起こった1997年と次の年にまだ私に家族というグループが存在した頃、グアムやハワイに遊びに行って以来、海外には出ていないから、パスポートのいる旅行は久しぶりである。 そのためにというわけではないが1年前から英会話の個人レッスンを続けているが、いっこうに進歩がない。年をとったからという言い訳をするつもりはないが、私の記憶細胞はかなり死滅してしまった。細胞復旧のため毎日食べたものを翌日以降に思い出しては、この1年半あまりノートに記録しているが焼け石に水といったところ…。 旅行会話くらいなんとかなるだろうと、若き日にヨーロッパやアメリカを一人旅したことを思い出しては、深刻にならず軽く考えている。 台北での目的は、“food stand”に行くことだ。今回覚えた“屋台”という意味の英単語を早速使ってみた。 時間があれば、故宮博物院にだけは行ってみたいとは思うが、それ以外は屋台に行く以外に目的はない。海外旅行の目的としては、少々不謹慎と言われるかもかもしれないが、正直それ以外興味がない。二日間食べて飲んで帰ってこようと思う。 考えてみれば、冬に蟹を食べに日本海の温泉に行く人たちと同じようなものだと思う。 今、悩んでいることがある。旅行期間中に、この日記を継続するかどうか…。私は普段パソコンから投稿しているのだが…、酔った状態でホテルのパソコンの前に向かって投稿するか、それともパソコンを持っていくか、この際アイパッドを手に入れるか、それともこの間お休みするか…。 ええぃ…、しょうもない悩みだ。今から悩むことじゃーない。 それは、その時に考えればいいのだ…と、自分に言い聞かせた。 |
ギターのレッスンに行って、前々回から習い始めた曲を弾いてみたら、やたら褒めてもらったものだから、調子に乗って久しぶりに“アルハンブラの思い出”を弾いてみた。 私は、今まで人前をあまり意識して演奏することなくきているが、今日は先生に練習の成果を聞いてもらいたいという思いが強くあったせいか、いつになく演奏に集中し、呼吸ができていなかったものだから、弾き終わって息が苦しくなり、むせてしまった。 昨年の春にギターを習い始めて5ヶ月ほど過ぎた秋頃、教室で一番若輩の身で発表会に出て、初めて指の先の感覚が無くなってしまうという経験をしたとき、その日の〆の先生の模範演奏で、演奏そのものの素晴らしさよりも生徒との呼吸音の違いが気になって、鼻で一気に吸い込む音がやけに大きく聞こえたことを奇妙に感じたことを思い出した。 その後、すごく大きなホールでのバイオリンとピアノのコンサートに行った時も、同じように女性のバイオリニストの呼吸音を聞いた。 長い間、演奏と呼吸についての疑問をかかえてきたが、今日その答えの糸口を見つけた。演奏家は演奏に集中するために、水泳での呼吸法のように鼻で一気に吸い込んで、口から徐々に吐き出すという最も合理的な神経の集中のための呼吸法を身に着けているんだ…と。 私の今日の“アルハンブラの思い出”の演奏では息継ぎができず、次の曲を弾いてみるとパワーが入らなかった。すでにギブアップである。 クロール泳法のように、ちゃんと呼吸ができないと遠距離を泳げない。 よい演奏のためには、神経の集中に伴う呼吸方法が大切だと気が付くほど集中した演奏ができたことは、私のギターライフにおける、新たな1ページを開いたように思える。 さてこれから、もう一度“アルハンブラの思い出”を弾いてみよう。 昨日までとは違う音色がするだろうか… …………………………………………………… 弾いてみた。 今のところ、以前と変わらない。 やはり、そんなに簡単には、うまくはならいようだ。 |
私の友人の一人が今、パリに行っていてメールで宿泊先のホテルの広場に面したテラスで撮った写真を送ってきた。 私がフランスに行ったのは今から35年前だった。1ドル360円の固定相場制の時代である。卒業前の貧乏旅行で行ったヨーロッパ(イギリス・フランス・スペイン・イタリア・ドイツ)巡りの旅を思い出した。 パリでは、モンパルナスの安宿に宿泊した。建物の一番上の階まで階段で上がり、部屋の扉を開けると屋根が傾斜した小さな部屋に質素なベッドと机だけが置かれていた。部屋の隅の天井高は1mほどしかなかったように思う。 窓のない部屋には天井に明かりとりがあり、その下に椅子を持って行き、天窓を開けて頭を外に突き出してみた。そこには、歩いていたら知ることのできないパリの家並の屋根が連なった光景が目の前に広がり、それぞれの屋根に高くそびえた煙突から煙が何本も立っていた。 初めての一人旅…しかも海外にやってきた自分が、まさに外国にいるんだ…という実感を強くもった一瞬だった。おまけに夜中に古い建物に巣食う大きなネズミが部屋を横断した。当時の旅の経験は、お金では買えない財産として私の記憶に焼きついた。 友人の宿泊するホテルは、送られてきた写真から高級ホテルに思われた。 若き日の旅の記憶が蘇ると同時に、年齢と経験に応じたホテルに泊まりたいものだと強く思った。 次回パリに行くことがあれば。私も公園に面したテラスのあるホテルに泊まってみたい。 |
昨日は、マダムのお店の定例会の“ボジョレーヌーボーを、同じビルのフレンチ店のケータリング料理で味わう会”があった。解禁されてから少し時間が経過しているが、11月の下旬には会場の予約がとれず今年は12月になったわけだ。 この会は、昨年は50人近く集まった。マダムのお店は10人が定員だから、毎年この会は私の会場に場所を移して行われている。 今年は12月になり忘年会シーズンがスタートしたこともあり30名ほどしか集まらない少し静かな会になった。 テーブルブッフェの私たちの円卓は、顔なじみ人達で埋まった。バラの先生・謎の京都人・中華料理店のマダムとその友人、私の横にはフラワーアーティストの女性、もう一方の横に初顔のカップル…この人たちもすぐにテーブルの雰囲気に溶け込んだ。 隣に座っていたフラワーアーティストが突然「実は報告があるんです。」と言って私のほうに膝を向けた。「来年の3月中旬にパリで大きなイベントがあり、その際のフラワーアレンジの仕事で自分も呼ばれ、パリに行くんです。そしてしばらく帰らないかも知れない。」 彼女とは、たまに食事に行く間柄だったが、寂しい思いは全くなく、すぐに心の底から「おめでとう!チャンスだね。頑張って…」と答えた。 そのことを同じテーブルの皆さんに、私から伝え、彼女は祝福された。 酒の席という事もあり、来年はみんなでパリに行こう…という話で盛り上がった。 さて来年、私は2月にバリ島に行って、3月にはパリに行って…忙しい年になりそうだ。 バリからパリ…である。 さて、この話はどこまで実現するだろうか… 楽しいボジョレーヌーボーの一夜であった。 |
私の携帯は、まだアイフォンではない。使用していた携帯が、急に接続状態が悪くなったので数日前にショップに行って見てもらったら、充電端子の近くにある小さな受信アンテナが折れてしまっていると言われたので、修理するより新しい機種にしようと、今いろいろ考えている。 携帯と同じように、今まで使っていたワァイファイの接続端子も調子が悪くなったので、相談に行ったら、一旦解約して、新たに契約した機種に変更したほうがランニングコストが低くなると説明を受けた。このあたりの仕組みがどうも分からん。 アイフォンに変えると、今まで使用していた携帯より月間1万円高くなると言われた。そんな馬鹿な…と、思う。どうして若者がそんなコストの高いツールを持てるんだろう? そんなところにお金をかけたら、彼女とデートに行けんだろう。 だから、最近彼女や彼氏のいない独身者が増えてるんだろうか…。 今晩、IT関係の友人と話をした。彼はアイフォンは持たず、通常の携帯とアイパッドを持っている。アイフォンは小さくて使いずらいと言う。 通常携帯とアイパッドとワァイファイ組み合わせてみようか… どうすりゃいいんだ。 どうも分からん。 |
私はギターを習っているが、私にとってギターの先生は変わった先生で、先生にとって私は変わった生徒だと思う。 レッスンに行っているのに、しばしば全くギターを弾かずに帰ることもあるし、生徒の私が「先生、今日はもう頭がいっぱいなので、これ以上のレッスンは無理です。」と、先生の指導意欲を制して退散することもある。それにレッスン中に私はメモをとることはない。その場で暗記できること以上の内容をメモまでして覚えようとは思わない。 私は先生の音楽に対する姿勢を尊敬しており、人間として好きである。おそらく先生は物づくりにおける私のバランス感覚を認めており、だからコンサートのパンフレットのデザインや写真撮影を私に依頼してくる。 私は、将来ギター演奏のプロフェッショナルになるつもりはなく、あくまでも私の青春時代に憧れたギター曲の数曲が弾きたいがためにレッスンに通い始めた。 最近では、先生の話を聞くことが楽しみで、先生に私が感じたことを聞いてもらうことが楽しみで先生に会いに行く…と言う具合だ。 1週間ほど前、教室で先生が大先輩の生徒に指導している時の二人の演奏を聴いていて、気が付いたことがある。先輩はテクニックを充分持っているのに、先生の奏でる音と比べると明らかに薄っぺらな音にしか響かない。 そこで私は納得した。演奏とはその曲を自分がどのように理解するか…テクニックよりも理解力が大事であると…。 昨日、そのことを先生に話してみた。すると先生は相槌を打った。 音楽に対する目標も持たずに、レッスン場にやってきて好き勝手にまくし立てて帰る私を、先生はやっかい者だと思っているかも知れない。 先生にとって私はやっかいな生徒かもしれないが、あまり教えることもないのに毎月月謝を運んでくる、有難い生徒に違いない。 そんな感じで来週もレッスン場にいくだろうと思う。 結局、私はなにが言いたかったのだろう… |
私に若い友人がいて、彼は人生について悩んでいる… 彼は造形大学を卒業し1年半が経過したが、いまだに定職についておらず、たまにアルバイトをしながら実家で作品作りをしている。今の世の中You Tubeとかでヒット数が上がる作品を投稿すれば、けっこう稼げる世の中だから、作品作りに必死で取り組んで頑張ってみることに、私は賛成なのだが、当の本人に最近迷いがでてきたみたいで、作品作りは止めて、稼げるアルバイトをしようかどうか悩んでいる。 その悩みは、私にとっては贅沢な悩みに思う。今定職についていなくても食べて行ける環境だし、なにしろ彼にはまだ無数の選択肢がある。 私の人生経験のなかに、自分の選択肢がなくなった時期があって、この時は「どうしたらええねん!」が口癖になり、毎朝枕に髪の毛が何十本と抜け落ちていた。正直このころ自殺も考えた。 彼に「あなたには選択肢がいっぱいあるから、それで悩むのは贅沢なんだよ。」なんて言ってみようかと思ったけれど、言ったところで今は通じないと思うから、黙っていることにした。 彼だけではなく大抵の人は自分が被害者のように生きているんだろう。 選択肢がないと思っていても、窮地を切り抜けることができた私は、彼が経験を重ね自分の人生は自分が中心で回っているんだと、早く気が付くことを祈っていようと思う。 人生には、どんなことがあっても選択肢があって、立ち止まらずに進み続ければ自分の人生の道が見えてくるという事は、彼がもう少し経験をしなければ分からないんだ。 一般的な励ましだけ言っておこうと思う。 “若いんだから失敗を恐れるな!”と… |