昨日、自称職業“クラシックギターのプロフェッショナル”と称する40才代前半の男性が奥さんとともにやってきた。 来年2月から私の会場で、3ケ月に一度ほどのペースで、人前で演奏するとガチガチに緊張してしまうような素人音楽家を集めて演奏会をしたいと言うのだ。ただし会場費はあまり払えないと言う。 本題に入る前に世間話をした。彼に「私は、幾つに見えます?」と、例によって尋ねられたら困ってしまう質問を投げかけると「50才の前半だと思うのですが、もしかしたら40才の後半かも知れない。」と答えた。 若く見られたい私にとっては、まぁー合格点の答えだ。 彼が、プロのギタリストの前に“自称”と言ったには訳がある。実は彼には今、一人しか生徒がいない。ギターでの収入はそのレッスン料だけなのである。 生活費は音楽とは関係ないアルバイトをして稼いでいる。 彼の話を聞いてみると、ギターだけで生活している人は皆無と言っていいようで、ほとんどの人はアルバイトをしないと生活できないらしい。 ギタリストだけでなくアーティストと呼ばれる個人事業者はみんな、生活が大変なんだと思い知る。 ギタリストの妻は、そんな主人に従い連れ添っている。 彼らを見ているとお金がなくても、音楽と互いの人柄を通して、いっしょにいられる関係だ。これを“愛”というのだろうか… 私にお金が無くなると思い、離れていった別れた妻のことを思うと考えるところが多い。 私は、彼のいい値で、会場を貸すことにした。 |
今日は半年に一度の検診日だった。血液検査・レントゲン・ADLの検査後にいつもの通り主治医(執刀医)の診察をうけた。 診察室に入るなり、先生の第一声は「やせたね!」 半年に一度しか会わないが、半年に一度はどちらかが死ぬまでは必ず会う…という関係の先生は、私をじつに客観的に見ている。 毎晩飲んでいた家での酒を止めたのが、ちょうど前回の検診の後だったから、先生は私が痩せはじめた状況を全く知らなかったわけだ。 そういえば、前回の検診時に先生は「もう少し痩せたほうがいいよ。薬が効かなくなるから…命とりになるよ。」なんて言っていたように思う。 だから晩酌止めたんだっけ…どうでもいいや… 検診の結果は、「すべてパーフェクト。」と言われた。 しかし、続けて「昨日、運動した? ゴルフとか 水泳とか?」 心当たりがないもので、躊躇していたら… 「激しい運動をしたら上がる項目が平均値より上なんだけど…。」 私は、はたと気が付いて、「一昨日運動しました。」と答えた。 そうなんだ。 一昨日は重たい音響機材と椅子をいっぱい運んで、今でも筋肉疲労が残る。 晴れて私は、パーフェクトに今、健康であることを宣言する。 |
昨日のチャリティーイベントには、いつも仕事を手伝っている知り合いの音響の友人が、まるまま機材ごと他の業者に外注した。友人がホテルの一番大きなバンケットホールをカバーするだけの音響機材を持っていないということもあるが、もう一つの理由に友人がイベントのなかで歌い手によって披露された4曲ほどの作曲を手掛けていることもあり、主催者グループのなかでは“先生”と呼ばれる立場であるから、周囲の人たちに当日重い機材運びや複雑な進行のミキシングで疲れ切った姿を見られてたくないという思いがあったようにも思う。 当日使用された機材の量は、トラック2台分だ。 30代半ばの若いオペレーターが音響を仕切ったが、彼の使用していた機材は友人のものに比べデジタル化していた。数々の催しを淡々とこなしている姿は、私がみていてもプロフェッショナルで心地よかった。 そう思うと、アナログの私の友人が時代遅れに見えた。 私は、朝から晩まで座ることなく、昼には主催者が用意した小さなおにぎりを二つだけ食べて頑張った。仕舞支度も機材がでかい分、疲労を覚えた。 友人と同じように私自身も時代遅れだ。 チャリティーの募金総額は、135万円ほど…たいしたものだ。 参加者はみな時代遅れの人ばかりのようであったが、心の温かい、懐も温かい人達だ。 |
今日は予定通り朝の5時過ぎに、音響の先生との待ち合わせ場所に向かった。我が町の一流ホテルで行われた…ある会の東北大震災のチャリティーイベントの音響の手伝いである。 11時から4時までの間に、10以上の出し物が続いた。 私が初めて会うヘルプの音響屋さんも来ており、最新の音響機材も用意された。いつもに比べると密度の濃い仕事だ。 朝から、夕方まで立ちずめで…しかも主催者から提供された昼ご飯もほとんど食べられずに一日が過ぎた。 疲れた。8時前にホテルから会社に戻れば、明日の展示会の準備のホールの清掃が待っていた。 睡眠不足・肉体疲労・空腹… もう起きてられない。 寝ます。 おやすみなさい… |
今日は、奈良に行った。小学校の遠足で訪れて以来、おそらく40年以上行ったことがなかっただろう…。久しぶりの古都である。 スペイン、マドリードに在住し、リアリズム絵画の秀作を数々残しながら、50歳半ばに若くしてこの世を去った礒江毅の展覧会が奈良県立美術館で開催されていた。 私も若かりしころ、具象絵画を描いていた時期があったものだから、グスタボ・イソエの作品は是非みておきたかった。(私ごときとは、レベルが違いますがね…) 私は技法的なこと、作家が作品を通して苦悩するポイント、シャレっ気も、おそらく一般の人よりも感じることができるので、作家の描いている時の心の動きにも触れることができ、有意義な時間を過ごせたように思う。 12月28日まで開催されている。皆さんもお近くなら是非ご覧になられることをお勧めしたい。 美術館を出て、しばし奈良の町並みを散策した。日本人の観光客に混じって大挙してバスでやってきた中国、韓国からの来訪者と鹿の間を抜け、東大寺まで歩いてみた。もう拝観時間の終了間際で中へは入らなかったが、遠目で観る大仏殿は、私の記憶のなかにある建物より、はるかにでかかった。 紅葉まっさかりには、まだ少し早い様子だが、暑くもなく寒くもなく、ぷらりぷらりと歩くには申し分のない日よりであった。 日が陰り始めた頃、音響の先生からメールが入り、明日仕事で朝の6時20分に来てくれと書かれていた。歩き疲れたせいもあるが、一気に疲れがでた。 自分に腐らないように言い聞かせた。明日も時給500円の仕事を頑張ってこなそうと思う。私を必要としてくれる人がいることは有難いことだ…。 |
昨年の年末ジャンボを、まだ手を付けずに持っているが、そろそろ換金しないと無効になってしまう。宝くじは当たるものと信じて疑わない私は、まだ当選番号との照合をしていない。当然3億円が当たっているつもりである。 仮に今回当たっていなくとも(いやいやそんな弱気になってはいけないのだ)、次回は必ず当たる…と思っている。 パスポートの申請の際、5年か10年か選択しなければならないが、今回は10年にした。実際のところ、自分が10年後に、生きていられるかどうかあまり自信がない。人生なにが起こるか分からないのだから…。 10年を選択した理由は、そのときまで海外旅行に行ける体力と気力があるようにとの願いを込めての選択である。 そんな願いを込めなければならないほど、私は年齢と経験を重ねてしまった。 宝くじで3億円が当たったら、ここで公表するつもりだが、その時はみなさんを海外旅行にご招待させていただきたいと思う。取り敢えずバリ島あたり… 少なくとも10年以内には実現したいと思う。 今日を生きる励みに、そんな夢を語る私である。 |
このサイトでは、自分のプロフィールを見た人と、日記を見た人の累計が表示されるが、本当にさやかな話ではあるが、私にとって日記を見た人のカウントが1000という数字が一つの目標であった。 別に1000にたどり着いたからと言って一旦書くのを止めるとか、別のステージに進む…なんてこと、ありはしないし、どってことない数字なのだが… 人気の人など1000なんてカウント1ヶ月で到達する人もいのだろう。私は2年以上経過して、ようやくだ。 もう一つ、さやかな目標があって、日記を見た人の数がプロフィールを見た人の3倍になる日を待っていたが、それがようやく今日達成された。 こっちの目標は、なにがしか私の文章に興味をもっていただいた人が数人いてくれたおかげだと思うと、少し嬉しくなる。 だから、明日からも、もう少し続けて書き続けられる。 今晩は一人で乾杯でも…いや今日は節制の日だった。 乾杯は明日に持ち越すことにしよう。 |
数日前のコンサートのリハーサルの時のティーブレイクで、ギターの先生が、私が最近、フルオーケストラの指揮者のタクトの動きと演奏者の奏でる音との間にズレがあることを、やっと気がついたらしい…と、話題を振った。するとピアニストも話の中に加わり、ズレが当然であることを前提に話が盛り上がった。 ピアニスト「ピッコロとホルンでは音の伝わる速さが当然違うでしょ。」 ギタリスト「そりゃそうだろうね。ピッコロのほうが早いだろうね。」 ピアニスト「オーケストラの同じ舞台の上でも、場所が変わると音がズレて聞こえる訳ですよね。」 ギタリスト「だから演奏者は、指揮者の好みを理解して、タイミングを予測して演奏するわけです。」 この時点で、私にはついて行けなくなった。 ギタリスト「○○○○の芸術センターの舞台は、中央で演奏するより、聴衆からすればどうしてそんな後ろで…と思うような場所がいい音がするんですよ。」 私は、無理やり二人の会話に割って質問した。 「○○○○の芸術センターの音はどうですか?」 ピアニスト「あそこは最低ですね。綺麗だけで…設計時に音楽監督に依頼する費用を、けちったんだと思いますよ。」 その後、二人の会話に全くついていけなくなった。 音楽家というものは、すごい感性を持っている。 ところで、演奏が指揮者のタクトの動きからズレていることを、あなたはご存知でしたか? |
今、ウィキペディアのトップページを見ると、ジミー・ウェールズからのお願いというバナーに気づく。 クリックして読んでみると、タイトル通りウィキペディアの創設者からのお願いが書かれており、自社が経費節減をしており、サイトを立ち上げた時の信念を貫いて企業の宣伝広告をとらずに頑張っているから、一般の方からの寄付をお願いする…云々が書かれていた。 最近、口コミ(ツィッターやブログ)が影響力を増し、先ごろまで情報元として宣伝広告に聞き耳を立てていた一般人が、自分で自分のことを宣伝する情報元に踊らなくなってきたように思う。 第三者の意見と称する情報がネットの普及であまりにも多く氾濫している。私の周囲の事業者も通常の宣伝広告への出費を見直し、ツィッターやブログを宣伝広告に真剣に利用しはじめている。 映画“ソーシャルネットワーク”を観ても感じたが、企業が無暗にこれまでと同じ媒体で宣伝広告をしかける時代は終わった…と、ウィキペディアのバナーをみて思った。 私の町の新しい会も、組織の運営費をこれまでのような単なる会費や宣伝広告費と言う名目で集めるのではなく、新たな名目での徴収方法で運営することができないかを模索している。 新しい時代に相応しい組織のあり方を考えていきたい。 世の中の動きに、ついていくのが大変だ。 |
私の町の新たなる“町の有志の会”の活動をはじめるにあたり、資金の調達のために銀行口座の開設を近隣銀行に依頼していた 最近この手の会の口座開設には、審査が厳重で(マネーロンダリング等に利用されないように…)2週間待ってオーケーの電話が入った。 銀行印に知人に依頼していた篆刻(石を掘った印)を用いるつもりだったのだが、知人からなぜか良い返事を得られなかったもので、知人の真意を確かめる前に、今日の午後に慌てて印章店にかけこんだ。 印章店の主人も篆刻を手掛ける人だったので、銀行印に篆刻を用いることの問題を問うてみた。 “篆刻は石彫りのため欠けやすく、また通常印の印肉より粘着性のある篆刻用の特別の印肉を用い、普通の印のように常に真っ直ぐ下に押印するわけではなく、それぞれの印によって微妙に力加減が変えて押さなければならず押し方によって表情が変わる…。”と説明を受けた。 要するに篆刻を実用品と考えてはいけないということだ。芸術作品と考えねばならないのだ。 そう理解できると、知人が銀行印と聞いて良い顔をするわけがなかったわけがよく分かる。 世の中には、まだまだ私の知らないことがいっぱいある。 いまだに無知で他人を傷つけることも、多々あるのだろう。 この年齢になっても、知らないことを柔軟に吸収でき、転換の利く頭でいたいと思った。 |