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SOLILOQUY

ひとりごと

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July 01, 2010 22:27:54

通勤

カテゴリー: 日記
今日も、山道を通って会社に向かった。しかしいまだ“通行禁止”。
山を抜けて町に出る道は普段私の頭のなかに四つあって・・・曲がりくねった山道。有料高速道路と有料トンネルを抜ける道。有料のトンネルを通る道。鉄道に沿って国道を通る道。
トンネルと高速道路を通るルートは23分で目的地を結ぶが片道\1,100の料金がかかり、時間的余裕がない時以外、普段からあまり通らない。45分かかる森林浴がてらにドライブ気分を味わう曲がりくねった山道が一番のお気に入りだ。大雨以来ここ数日朝は、渋滞の激しい国道を通り、帰りは\200.の通行料がかかる山の中腹を抜けるトンネルを通っている。“通行禁止”の解除が待ち遠しい。
今暇だから、他のルートがないか考えてみたら、四つのルート以外にも他の町へ迂回するルートを入れると、どんどん新しいルートが思い浮かぶ。飛行機は無理だけど町への行き方に鉄道という手段もあるな・・・
そう言えば地震の直後は、考えられない遠回りをして通勤する人も多かったし、私も重たい荷を担いでひたすら歩いたものだ。今はできんかもな・・・

いざとなって、世の中時間と金銭的制約を外せば、道はいろいろあるもんだ。
普段通り慣れない渋滞の国道を、いつもより少し早く家を出ていつもと違う景色を楽しんで明日も車で通勤しようと思う。歩いて行くより楽だしな・・・腐っても仕方ないしな・・・楽しく生きたほうが得(?)だしな・・・
July 02, 2010 15:19:24

世界

カテゴリー: 日記
つい先ほど、先日出会った建築カメラマンから渡された冊子のなかに、プロ意識を感じさせる彼の言葉が載っていることに気が付いた。私の心を捕らえたその文章をそのままご紹介しておきたい。

 <空間>は、光と影によって千変万化する。
 <空間>の新しい認識は<美>の発見である。
 私は、被写体としての建築写真を<撮る>のではない。
 <空間>といい<ディテール>といいその美しさは
 それを美しいと感じた時の光の降臨なのだ。
 建築は動かないから、また訪ねれば出合えるという
 ものではない。
 その意味で私の最大の師は太陽である。
 私はレンズを通して一瞬の偶然を永遠に定着したい
 とおもう。いまのいままで見えなかったものを見ようと
 する目が、新しい世界を、独自の世界を生み出すに
 違いないと確信しつつ…
       
                  東出 清彦

生きていくうえで大切なこと
美しいと思う心・・・
偉大なものの存在を知る心…
目の前をしっかり見ようとする心・・・
信じることのできる自分。
July 03, 2010 17:48:05

進化

カテゴリー: 日記
目に前の人の行動や言動に疑問を感じた時、自分が絶対正しいというベースに立つと、自分の理解と異なるものを持っているその人が間違っているという判断を下すことになる。絶対の自分を作り上げると、相手が一部或いは大部分、同じ方向を向いていたとしても、その人は“ダメな存在”“いっしょにはやれない存在”“会いたくない存在”場合によっては“敵”になることも在りうる。自分には自分の信念ややりようがあり、人には人の信念ややりようがあると斜に構えていれば、相手の行動や言動は、自分の知らない正義のまたとない吸収の機会であり、自分の器を大きくするチャンスなのだが・・・何が正しくて正しくないかなんて、自分の立場、経験、時代の変化によって移り変わるもので、絶対に正しいものも間違っているものもこの世界には存在しない。敢えて言うならあなたの頭の中だけに存在する。変化を踏まえて世界中の人が生きていれば、それこそ世界中から戦争も裁判も断絶もなくなるだろう。

私は、自分の正義が絶対だと思ってはいない。今の自分には今の正義があり、自分と異なる行動や言動を発する人には、今のその人にとって今の正義があると思っている。その人の今の正義には、私の発想を大きく超えた深い思慮があるかもしれない。私より愛に満ちた考え方に基づいているのかもしれない。或いは、私の今信じていることを相手に教えてあげたら、その人は大きく変化するかもしれない。

絶対の自分も、絶対のあなたも…そんな偶像を作り上げないこと・・・
私はあなたと同じように、今も常に進化している。
私は常に進化しているという信念のなかで、変化を繰り返しつつ生きている。
July 04, 2010 16:36:35

遠景

カテゴリー: 日記
今日も、山道は通行止め・・・もう1週間になる。いったいいつ復旧するんだろう。山から市街写真を撮る目論見も同時に休止状態である。ただ、最初の撮影からの一ヶ月の経験のお蔭で実際に山に登らなくても、紀伊半島がはっきり見えるかどうか、朝の散歩の途中に分かるようになってきた。我が家の近くの山がはっきり見えていても、少し離れた山が霞んでいれば、撮影日和としては不適であり、少なくとも遠くの山がよほど近くに見えるくらい空気が澄んでいないと満足な遠景は望めないということだ。
本州から遠く離れた沖縄の南の端に与那国島という小さな島がある。ここから110kmほど西方に台湾があり、この島から一年に2日ほど肉眼で台湾を眺望できる日があるらしい。365分の2という確率は、判断基準によって異なるであろうが、私の感覚では非常に“稀”と感じる。きっと私が待ち望む撮影日和も同じくらい稀な日を待たなければならないことだろう。
私は、明日も明後日も朝見る山の見え方に気を付けるだろう。もし1日怠れば半年待つことになるかも知れない。緊張感を維持していないと望む日に巡り合えないかもしれない。そう思いつつ、きっとやってくる私の願いが叶う日を待ちわびる。

私の願いもあなたの願いも、みんなの願いも叶う確率はきっとその程度のものだろう。でもその日はきっとやってくる。そう信じる者にだけ、その日はやってくる。
July 05, 2010 16:03:39

胆識

カテゴリー: 日記
今朝、初めて“胆識”という言葉を聞いた。なんのことか分からなかったので辞書を引いた。

<胆識>・・・胆力と見識。実行力を伴う見識。

“胆力”も引いてみた。
<胆力>・・・ことにあたって恐れたり尻込みしない精神力。ものに動じない気力、きもったま。

“見識”も引いてみた。
<見識>・・・物事を深く見通し本質を捉える優れた判断力。ある物事について確かな考えや意見。

ついでに“知識”も引いてみた。
<知識>・・・知ること。認識、理解すること。ある事項について知っている内容。

無理やり順位をつけてみると“知識”“見識”“胆識”の順番かな・・・
“知識”は優れた一般人
“見識”は知識を自分なりに消化して人に教えたり批評する学者・評論家
“胆識”は優れた見識を持って人々をリードする政治家・将軍・経営者・・・と考えると、なんとなく違いが分かる。

今まで知識と腑に落ちるという感覚の違いはなんとなく分かっていたけれど、この三つの順番を理解すると、より明快に自分や人の位置づけができるように思う。

因みに英語では、どのような言葉になるか調べてみた。
<知識>・・・<knowledge>
<見識>・・・<judgement>
<胆識>は私の辞書には載っていない。

今日は、いい勉強をした。
しかし、私には、<腑に落ちて実行する>という感覚が一番『在りたい自分』のように思う。

さてあなたは普段どのレベルで生活していますか・・・
July 06, 2010 17:49:45

食後

カテゴリー: 日記
ラジオを聴いていると、ある朝の番組で眼の前の事を何でも早く片付けていく生き方と、急がず回りの様子を見ながら進める生き方とどちらが良いかということについて、学者同士が両極端な意見を述べ合い、自らの考えが正しいと主張し、反対のやり方の非を突くという番組があったが、どちらもなるほどという考えを主張展開し、聞いていて楽しい時間を過ごした。私も今から25年ほど前、「もう少し目の前の事を、早く片付ける習慣をつければ、あなたの人生変わりますよ!」と私より若い人から言われ、周囲の人が私のことをのんびり屋だと思っていると気付き、はっとした記憶があり、その後幾分はやく動くことを習慣にしてきたし、早くこなした方が自分にとっての利が大きいと思って生きてきたが、ここ数年の自分の生き方を振り返ってみれば、即決すべき時と、結論を出すまでに敢えて時間をかける時を使い分けているように思う。即決を避けて時間をかけることで状況が変化し、自然に答えが浮き上がってくる感覚を身につけて最終的に多くの利を得たり、損傷を最小限にとどめることができるようになった。結局学者とか評論家というものは極端な主張を展開して評判を得ることが多いのだろうから、賢明な一般市民としては、自分の人生経験に応じて、“いいとこ取り”をすればいいんだと思う。どちらかが間違っていると考えるのではなく、どちらも正しいと考えて、使い分けるような、最終自分流の生き方ができるようになるのがベストな成長…生き方だと思う。

しかし、早くできる事は早くやっとかないと後がしんどいな・・・このブログも1日の終わりに書き始めると忙しない。今日ははやく書き込めたし、食後はゆっくりできる。穏やかないい1日になりそうだ・・・。
July 07, 2010 14:44:30

美味

カテゴリー: 日記
マダムが今夏、“薔薇のジェラート”を作った。いや実際に作ったのは、マダムの店があるビルのフランス料理店のオーナーシェフである。私はそのシェフのことを食いしん坊だと思う。とにかく美味いものが好きだ。自分が美味いものに目がないから、とことん素材から調理法まで拘る。薔薇の花びらは食いしん坊のシェフの目に(いや鼻に)適った。“薔薇のジェラート”の一番大切な要素は、食用として無農薬で育てられた薔薇の花びら・・・花びらを入れたパッケージを開けると部屋中、薔薇の香りが漂う。シェフは自然な香りを大切にして、人工甘味料や着色剤を一切使わずに作り上げる。完成品のジェラートは本当に上品な薄いピンク色で薔薇の香りが豊かに香る。さてここまでの話を聞いて皆様、さぞかし食欲をそそられたのではなかろうか・・・。非常に人気のこのジェラートをマダムは量産しようとは考えなかった。シェフも望まなかった。二人は手作りの良さを知っているようで、量産すれば質が落ちると考えており、あくまで手作りにこだわる。要するに事業家ではなく職人である。
ここのところマダムの話をすることがよくあるが、マダムの近くには面白い人が寄ってくる。商才にたけた人よりも、学者・職人・自由人である。私もマダムの店が居心地良い。だから商売・事業に向いてない・・・?   なるほど。
ジェラートのプロモーションビデオや、お店のホームページもマダムのお客さんが無料で作成した。ジェラートのポスターは私が無料で作成した。きっとシェフもそんな気持ちで作ったに違いない。なにかして上げたくなるようなかわいいおばあちゃんである。

かわいいおばあちゃん(おばあちゃんは怒るかな・・・まだまだ美しいしな・・・)の“薔薇のジェラート”一度食べにいらっしゃいませんか・・・。
July 08, 2010 21:16:17

PP

カテゴリー: 日記
一般的には大きな音はよく聞こえ、小さな音は聞こえにくいということになるのだろうが、音楽の世界では一概にそうとは言えず小さな音でも聞き手に鮮明に伝わる音が存在する。楽譜における音の強弱記号にpp(ピアニッシモ)というものがあり、音のレベルで言うと“極めて弱く”と言うことで、私が理解するところ・・・この音を伝えるためには前後の音楽的構成のなかで、聞き手に聞こうとする気持ちを喚起させることが重要に思う。ppp(ピアニッシシモ)“できるだけ弱く”になると技術だけではなく音に対する感性が奏者にも聞き手にも必要に思う。
私が20歳代後半の頃、巨人軍のピッチャーだった人が引退後に経営していたスナックに行ったとき、カウンターに一人で座っていた男性がカラオケで歌った“酒と涙と男と女”の歌声が忘れられない。かろうじて聞き取れる位のささやきにも似た歌は、ひょっとすると私以外の誰も聞いていなかったかも知れないが、強く私の記憶に焼きついた。人生経験を積んだ四十歳後半の大人の男だからこそ味のある何気ない歌声を真似て、当時何度かその歌にチャレンジしたが一度として満足できるものはなかった。
音というものは、言葉も同じく・・・発し手と聞き手の思いの強さや感性によって音量の強弱ではなく伝わるものがあるように思う。きっと小さな声のたどたどしい話のなかにも美しいメロディーが隠れているに違いない。小さな声・・・声にならない言葉を聞き取れる感性をもった自分になりたいと思う。

さて、あれから年齢と経験を重ねた私は、あの時のカウンターの男性のように、誰かに聞き耳を立ててもらえるような囁き声の“酒と涙と男と女”が歌えるようになったであろうか・・・。
July 09, 2010 22:35:45

無理

カテゴリー: 日記
今日は、知り合いのフランス料理店のビアパーティーだ。と言ってもマダムの薔薇のジェラートを作ったシェフのお店ではない。今日のシェフは40歳になった時、わが町で経営していた店を部下に任せ・・・自分の夢を叶えるために、フランスに渡りパリ郊外で10年間オーベルジュを経営したことがあった。日本人がフランス人にフランス料理を食べさせるということは、フランス人が日本で寿司を握るようなものだ。今でこそ、それもありの時代になったけれど25年前となると、フランス人からの偏見の目も強かったようで、後日、本人から苦労を重ねたと聞く。パリの名門料理学校“コルドンブルー”の教壇に日本人で初めてフランス料理講師として立った経歴を持つ。地震で日本の店がダメージを受けたことから15年前にフランスも日本もどちらの店も閉め、その後一時自宅で予約オンリーのフレンチ営業をした後、プライドを捨て働きに出た。4年前に私の誘いに応じて再婚した20歳違いの奥さんと小さな店を始め今に至る。言葉、慣習の違う異国に自分の腕試しの真剣勝負の旅に出た侍のような存在として、私が尊敬する人の一人である。彼の口癖は“面白いことしようよ!”である。

本日、40数名のお客様に対してサービスは奥さん一人だけ…それは無理な話や。ほっとけない。お客であるべき私は、お金を払って一滴も酒を飲まずに手伝いに回った。私の尊敬する彼ら夫婦は、お客を見方にする優れた才能を持つ。今日の私は彼らの“面白いこと”にはめられてしまった。彼らは、文化の障壁のなかで戦い続け教訓となった“無理だと思ってもなんとかなる。”と言う大陸的おおらかさを携え日本で戦い続けているように思った。
“無理だと思ってもなんとかなるもんだ。”今日もそうして彼らの一日が終わる。
July 10, 2010 18:08:21

成果

カテゴリー: 日記
今朝起きると、イギリスに調査に行っていた歴史研究家からメールが届いていた。多くの新しい事実を携えて無事に帰ったとのこと・・・その一つに彼が追いかけている(イギリス人女性)グリーン夫人の今まで確定できなかった成年月日と洗礼日が分かったとのこと。
 誕生日 1885(天保6) 年8月11日 火曜日
 洗礼日  〃 ( 〃 ) 年8月17日 月曜日
旧暦ベースで、土方歳三、坂本龍馬、天璋院篤姫と同い年であるらしい。
その他、幾つかの成果が書き込まれていた。
さらに、日本に帰った直後、グリーン夫人のボスであった英国男性の直系(現在アメリカ在住)の女性からメールが届いており、やはり自分も同じ時代に日本で生活した先祖のことを研究しており情報交換がしたいと接触して来たらしい。これからの益々の研究発展が推測される。今、歴史研究家は信じて誠心誠意心を込めて動けば、世界が自分を中心に回ってくるという感覚を実感しているに違いない。

今日は、居留地研究会があった。そこで久しぶりに歴史研究家に出会った・・・彼は晴れやかな笑顔で私の前に立った。「これからも、またよろしく!」と彼が言い、私は「私も、また楽しませてもらいます。」と答えた。人生における良い流れの持ち主には、損得抜きで、おおいに協力させていただこうと思う。

最近停滞気味の私の創作活動だが、久々の彼との出会いで、心機一転頑張ろうと心に誓う。
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