次の目的地、外国人墓地を目指し、街道を急いだ。外国人墓地は当初、居留地の直ぐ横を流れる川の河原に造られたが、その後大水で何度か水に浸かったりしたものだから、暫くして新しい遺体は川から少し離れた所に埋葬されるようになった。しかしその後都市計画の一環で、それまでの二つの墓地を統合し自然環境に恵まれた現在の山の中に移転する案が持ち上がり計画は実行された。1961年に移転が完了し、現在の墓地には2500柱が永眠している。移設完了直後は一般市民も自由に訪れることができたが、いたずらや盗難が相次いだため、外国人遺族から苦情が出たこともあり、一旦は完全に市民の見学は中止されたが、議会で問題となり現在では月に2日だけ、申込抽選によってガイド同行(自由に見て回れない)での見学が許されている。ただ今日は、観光気分の見学ではない・・・。日本を愛し日本で永眠した(戦中及び戦後の戦争裁判ではオーストラリア軍の将校として従軍した)オーストラリア人の一人娘で、カナダで生活し近年亡くなった身寄りのない老婆が、縁故関係のない存命中の在日外国人有志の口添えでカナダを離れ両親の眠る同じ墓に近年、埋葬された。オーストラリア在住の歴史研究家は、数年前にカナダを訪れ彼女が入所していた老人施設に面会を試み、戦争前の家族との生活を訊ねたようだが、お土産で持参したユーハイムのお菓子(本人も日本で食べたことがあるのだろう)以外は、彼女の昔の記憶は蘇らず、歴史の証人に出会えたという成果だけを持ってカナダを後にした。この度の墓参は、彼女の行く末を見届けたいと言う研究家の純粋で強い思いで実現した。 尚、補足しておくが、上記オーストラリア人、ハロルド S.ウィリアムスは日本での1900年代前半における欧米人の生活実態を研究するうえで数多くの貴重な資料をオーストラリアの大学に寄贈した。それらは“ウィリアムスコレクション”と呼ばれ、優れた歴史研究資料として知られている。 二つのミッションを無事終え墓地を後にした。3人は雨の降る湖畔を臨むベンチに座りおにぎりとサンドイッチでの遅い昼食をとりながら、各自の研究についての深い会話を交わした。(私は聞き役に回った。)雨音だけが響く森の一角での真剣なやりとりがやけにくっきりと私の心に刻まれた。 <おわり> |