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SOLILOQUY

ひとりごと

 
July 23, 2010 15:45:38

価値

カテゴリー: 日記
貸していただいたギターは、町の楽器屋さんで4~5万円くらいのもの・・・それに先生が改造を加えたものであるから、結構期待が大きかった。家に帰って弾いてみるとさすがに良い音だと一瞬思ったのだが、さらに弾き続けると高音の響が鈍い。さらに弾き続けると、物足らなさが膨らんだ。私は私のギター以外のクラッシックギターをあまり弾いた記憶がなく、自分のギターがどのレベルのものか分からない。私のギターは1974年製のスペインのハンドメイドのガットギターで、私の兄がスペイン旅行に行った時におみやげに買ってきてくれたものだ。兄は当時一人旅の貧乏旅行をしていたわけだから、みやげに高価なものを買い求める余裕は無かったであろうし、使用されている木の材質や塗装もそれほど良いものでは無かったから、本場ものであるというだけで、そこそこに良いものだと言う印象で今まで持ち続けている。
教室を訪ねた最初の日、先生はギターに触れて“なかなかいいいもの”と言う表現をされたことを思い出す。ギター改造を提案されるまでにこんな話があった。「あなたの次のギターは新しく買うより、今のギターをチューンナップした方がいいかも知れない。1970年代のギターは真面目に作っていた時代だから改造にも耐えうると思うし・・・ ・・・ ・・・ もうやってしまおうか・・・」と言うもので、元がそこそこ良いものだからという前提で始まった改造であるが、自分自身がその良さに気がついていなかったことは迂闊に思う。
ものの良し悪しは、多くの同じようなものを見、感動もし、失敗もし、痛い目にも合い、そうして目を肥やしていかないと育たない。私は昨日預かった先生のギターのお蔭で、やっとギターをみる目が開いたような気がした。

私のまわりにある、あらゆるものの価値が分別できるように、これからも経験を重ねたい。そうして、私の周りにあるあらゆるものに存在する価値を見出すことができたらいいな・・・と思う。