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SOLILOQUY

ひとりごと

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August 11, 2010 21:55:48

感謝

カテゴリー: 日記
1984年に画文集を作成し、10年後の1994年にポートレイトの写真集が出来上がった。そして、その年から10年後に新たな本を作ろうと目標を立てた。その頃、思ったことは必ず実現すると信じていた。次の年に地震が起こり少しづつ思いが薄らいでいった。どうすれば現実を好転させられるかばかり考えるようになった。そんなふうに変わったのは地震のせいではなかったと思う。ずっと前からそうなるべく運命の針が予定通りに少し進んだだけだと今は思う。誰のせいでもなかった。思い通りにいかないことが私にとって必要だったのだと思う。2004年出版するはずの本は完成しなかった。
昨晩、ネットサーフィンしていると、ある人(ウェブデザイナー)のブログにたどり着いた。そこに私が1994年に出版した本の紹介文をみつけた。制作意図がしっかり理解されていた。そして本としての価値を認める好意的な評論が書かれていた。私の本は私が目標を見失っていた間も私の分身として一人歩きしていたのだと思った。ちゃんと見てくれる人がいるんだと思った。分かってくれる人に感謝して私は“思ったことが実現する自分”に戻ろうと思った。
今はウェブデザイナーと話をするつもりはない。しかし、次の作品が出来上がったときに、出会ってみたい。

私は2011年3冊目の本の完成を目指す。15年間止まっていた“思いの時計”の針をもう一度動かそうと思う。止まることで充分エネルギーは蓄えられた…。
August 12, 2010 20:30:48

偶然

カテゴリー: 日記
私は、よくDVDを借りて映画を観る。最近観た映画で印象に残るものは、タランティーノ監督の“イングローリアス・バスターズ”‥・・CG多用、3D作品が多い最近のハリウッド映画のなか…綿密な計算によってシーンを重ねていく構成力勝負の古典的な手法の映画だ。だがしかし、かえって新鮮味を感じる。彼の作品は過度の残酷シーンが多く、生理的に受け付けない人も多いと聞く。確かに私も“ホステル”のPARTⅠを観て、吐き気をもよおし、PARTⅡは絶対に観ないと誓った。だが“イングローリアス・バスターズ”は、残酷シーンもあるにはあるが、それにも増して娯楽作品としての出来栄えが勝っていて、彼の娯楽映画監督としての今後の可能性の広がりを予感させる。

今日は、タランティーノの話がメインではない。夏の世の不思議をお聞きいただきたい。
今週の火曜日に何気なく(内容を全く知らずに・・・)借りたDVDの邦画を今日に日が変わった午前1時頃に観始めた。タイトルは“沈まぬ太陽”・・・主役は世界の渡辺謙・・・主役の名前だけで借りたようなものだ。物語が進むなかで、JAL(日本航空)がモデルになったKAL(国民航空)というナショナルフラッグを拝命した架空の航空会社の内紛がテーマになっている山崎豊子原作小説の映画化だと分かった。そして、物語の重要なファクターでジャンボ機の墜落事故が描かれている。ちょうど物語の半分を少し過ぎた頃、私は次の日の仕事を考え眠りについた。翌朝目覚めてすぐに(午前5時)JALの御巣鷹山の事故がいつ起こったかが気になり、ネットで調べてみた。そう・・・皆さんもうお分かりだと思うが、あの事故は25年前の今日・・・8月12日の夕方に起こった。それを知った後、テレビの朝のニュース番組では、どの局でも大きくジャンボ機墜落事件のニュースを取り上げていた。
真夏の夜のミステリー・・・こんなことがあるのだろうか・・・まさに“偶然ほど必然的なものはない。”という言葉の如く、私は今この経験に意味を見つけたいと思っている。
夕方6時56分・・・私は黙とうした。この偶然の意味を見つけるために、近いうちに御巣鷹山を訪ねなければならないかも知れないと思っている。
そして今日の深夜…続きを観るつもりだ。

偶然を偶然だと片付けてしまわない探究心が、私達に必要ではないだろうか・・・
August 13, 2010 21:51:22

刺激

カテゴリー: 日記
今日は、二人の歴史研究家からメッセージが届いた。一つは居留地時代にホテルのマネージャーだった英国人女性を調べている研究家から…ホテルのオーナーであった男性のアメリカに住む子孫(女性教師)から連絡があり、その後やりとりするなかで、見たことの無いおじの写真が日本に残っていないかとの問い合わせから、心当たりの写真を数枚送ったところ、成人男性一人、女性二人、男の子一人の計4人が写っている一枚の写真の中央に立つ男性が生涯独身を通したおじに違いないということになり、隣に写っている女性の一人が仕事上のパートナーであった(研究家が8年間追い続けてきた)英国人女性に違いないと80%の確率で特定できるという喜びの報せであった。今後、その写真の女性の他の写真を求めて再度長崎と横浜に調査に向かうとのこと…。
もう一つのメッセージは、オーストラリア在住の研究家から私の追いかけている英国人に関する参考資料として日本語で編集された彼女の研究論文が届いた。二人とも自分の研究テーマに向かって日夜精進している様子…。

二人の歴史研究家が調べている時代はいささか異なる。ホテルの女性マネージャーは1901年に死亡が確認されている居留地時代に生きた女性である。(わが町の居留地は1899年に日本に返還された。)居留地の返還前と後では日本在住外国人の生活環境は変化する。日本のなかにある外国から、日本に同化していく外国というニュアンスだろうか…。オーストラリアの研究家は1900年代に入ってから終戦直後までが専門であり、私が興味をいだく英国人の生きた時代と合致する。明治後期から太平洋戦争がはじまるまでの間…六甲山麓に花開いた『阪神間モダニズム』と言われる時代に英国人も生きていた。日本の精神・慣習が欧米文化と混ざり合って独特の怪しさ、刹那、美意識、陰のある自由のなかの時代…、日本人も欧米人も、世界のどこにも存在し得なかった“時”を生きていたに違いない。私は、そんな時代に魅力を感じずにはいられない。

はやく“細雪”を読み終えなければ…、二人の研究家が私の近くにいて適度な刺激を与えてくれることに感謝したい。
August 14, 2010 20:30:59

視点

カテゴリー: 日記
オーストラリア在住の研究家とは、先日収容施設の跡地をいっしょに見学した日が3回目の出会いだった。彼女はオーストラリアのキャンベラに住みThe Australian National Universityで環太平洋の諸国における1900年以降の欧米人を中心に当時の生活実態を研究している。そして同時期の阪神間における外国人サイドに立った歴史研究を神戸大学とともに行っている。神戸女学院大学を卒業後、旅行会社に入社し海外旅行関係の仕事をしていたと本人から聞いた記憶があるが、その後どのようにしてオーストラリアに定住することになったか・・・年齢はいくつか・・・家族構成はどうか等、個人的なことは全く分からない。オーストラリアの大学の資金援助を得た阪神間での研究調査をもとに2007年に “Forever Foreign”という私に大きなひらめきを与えた一冊の英文の歴史書を出版した。その本を読んで作者に出会いたいと思う願いは、今年2月に市の教育委員会が主催した彼女の講演会で成就し、3日後彼女の宿泊するホテルのロビーで短時間の面談が叶い・・・先日、3回目の出会いで日本に戻ってきた彼女の調査研究の、ほんの少しだけお手伝いができたわけだ。

昨年“Forever Foreign”という本に出会ったとき、外国に住む日本人が外国人のことを研究し、しかも英語で本を作成したことに不思議を感じたが・・・このたび彼女から送られてきた論文を読んで、彼女のスタンスだからこそ祖国や自国というしがらみにとらわれず、あくまでも公平に、客観的に、冷静に研究ができるのではないかと・・・私のなかでやっと納得できる答えを得たような気がした。

私が目指すものも、わが町に吹いた一吹きの風のような出来事として終わらせずに、日本史というレベル・・・世界史の出来事と捉える高い視点が必要ではないかと考えさせられた。

自分の視点を見直す機会へと繋がる出会いへの感謝は、形にすることで応えたい。
素晴らしい師に出会えたことを幸せに思う。
August 15, 2010 16:10:53

合掌

カテゴリー: 日記
子供の頃、お盆になると不思議に思ったことがある。大人から“お盆の間は仏様が家に戻ってくるんだよ!”と言われ、心の中で“だったら普段の日に仏壇に手を合わせても誰もいないのかな?”とか“お盆の間にお墓参りしても、仏様は家にいるんだから行っても意味がないのに!”とか“お盆が終わって仏様が帰って行くって・・・どこに帰るのかな。お墓でもなさそうだし・・・”と思いながら、質問しても誰も真剣に答えてくれそうになく、答えられそうになく、あいまいにしておいたほうが良いものだと理解して毎年黙って同じお祭りの場のなかにいた。習慣になってしまったものだから、大人になった今でも毎年繰り返す・・・。今、もし小さな子供から、私が子供の頃に思った疑問を向けられたら、どう答えよう・・・“お盆はお寺が収益を上げるためにあるんだよ。”或いは“いつもはご先祖のことを忘れて過ごしている人達が1年に一度思い出す日なんだよ。”或いは“実は、仏様はお墓や仏壇のなかにずっと閉じこもっているわけではないんだよ。感謝の心をもって思い出す人の心のなかにいらっしゃるんだよ。”と答えるだろうか・・・もう少し続けるとすれば、“仏壇やお墓は仏様の居場所ではなく、あなたの心を映す鏡なんだ・・・だからそこに手を合わせて自分の心を穏やかにすれば、その思いが自分に向けて返ってくるのさ・・・”とでも答えておこうか・・・。

近くに小さな子供のいない私は、今年のお盆もいつもと変わりなく黙って仏壇に向かって合掌した。
August 16, 2010 18:21:46

化粧

カテゴリー: 日記
昨日、先日買い求めた新しいメガネができあがった。黒縁のシンプルなメガネである。これまでに買ったメガネの“メガネ選びのポイント”は、“かっこよく見える”とか“若く見える”であったが、このたびは違った。(笑うかもしれないが)“賢そうにみえる”である。
人の第一印象はやはり“顔・表情”できまると思うが…そこに手を加え、イメージアップしようというのが女性の化粧だと思う。その本質は自分を異性に、より魅力的に見せる“技”というものだろう。私はヒゲを生やしているが、女性が化粧をする行為に似ているように思う。素顔とは違う自分をみせたいわけだ。化粧との違いをあげるとすれば異性にアピールするよりも、同性に対して貫禄を見せたいというか…威嚇したいということが狙いかも知れない。(最近の超極細の一筆ヒゲは、異性へのアピールかもしれないが…)
私のメガネ選びのポイントが変わったということは、ひょっとすると、自分が年をとって異性に対する興味が薄れたということだろうか…それとも異性の好みが女性らしさより聡明さに移ったためだろうか…今は、自分でも分からない。

化粧・髪のスタイル・ヒゲ・メガネは第一印象にとって大切なもの…素材(素の自分)に手を加えることで、自信をもった違う人格を演じて生きていくのも人生かもしれないが…いつかボロがでるかもしれないし、中味の伴わない自分を演じ続けることは疲れてしまうだろうし…化粧を続けながらも、自分の内面を磨く努力は必要だろう。同時に素顔を見抜く力をたかめる努力もやっておきたいものだ。

さて、今日から、かけはじめた新しいメガネは周囲の人に、私の思惑通りのイメージを与えられるだろうか…
August 17, 2010 17:09:38

細雪

カテゴリー: 日記
“細雪”を読んでいると、戦前には“赤痢・壊疽・ペスト等々”現代では医学が乗り越えた病気で、多くの人が死んでいった様子が伺える。調べたわけではないが当時の寿命は男女とも60歳前後だったのではないだろうか‥・私の祖母が他界した年が82歳だったが、最近の82歳は当時の60歳半ばぐらいの印象がある。医療・食品・運動方・補助器具・興味や刺激等様々な改善が日進月歩進んでいるのだろう・・・
さて私の“細雪”読破への道のりは、ほとんど終盤にさしかかった。まだまだ遅いペースではあるが、それでもある発見をして幾分早くなった。私の父がかけていた老眼鏡を引っ張り出してきてから本に集中できるようになってきたのだ。今まで文字がはっきり見えていなかったことに改めて気がつく。年齢とともに低下していく能力を、ツール(メガネやその他補強器具)をうまく使ってカバーしなければいけない年齢になったと・・・つくづく思う。

父の老眼鏡は、おそらく度がきつい。いや、かなりきつい。文字ははっきり読み取れるが、本の形が歪んで見える。メガネを外すと普段の風景がぼやけて見える。今のままでは、通常視力が悪くなる。ツールはやはりオーダーメードのほうが良さそうだ。近々、メガネ店で安い(?)老眼鏡を一つ手に入れておく事にしよう・・・。

“細雪”は明日読み終える予定である。長い道のりであった。
August 18, 2010 21:55:11

謙虚

カテゴリー: 日記
私を中心にした世界を次のように分類しています。

・先ず私が中心にあります。
  そのまわりに…

・私を囲む第一の円があり、そのなかには   
  1) 私が今常に関わっている人達
  2) 私が過去に関わったことのある人達
  3) 私の知っている、死んでしまった人達
  以上は、中心である私が出会ったことのある人達です。

・第一の円を囲む第二の円があり、そのなかには 
  1) 私の知らない、生きている人達
  2) 私の知らない、死んでしまった人達
  3) これから私が出会う人達
  4) これからも私が出会うことのない人達
  5) そして、私の見たことのない、神様がいます
       この神様は人の形か人に近い形をしています
          イエス・キリスト
          大日如来
          天照大神 その他いっぱいおられます
 ここまでが、私の頭でも理解できる人間の想像範囲内です。

・第二の円の周りに第三の円があります。そのなかには
  私の想像を超えた存在があります。
  私だけでなく、すべての人間が知ることのできない存在があります。
  この世界の初めの一滴を落とした存在があります。
  想像しても無駄だと思いますが、
  人の形ではない存在があるように思います。

第三の円の存在が、分類のなかにあることは、私が謙虚になるために必要なことです。私が強くあるために必要なことです。私の知っている世界は、所詮人が考えたものです。経験を積み、自分の器を大きくしながら、この世界のなかでの結末に到達します。しかし第三の円のなかの存在のことは、考えても無駄なことです。第三の円の存在があることだけを心に留めておくことで精一杯です。これが私の考えた分類です。

第三の円の存在の中心にある私は、気がついています。私は中心にありますが、とてもちっぽけな存在です。
これが、世界の中心にある私が謙虚であるべき理由です。
August 19, 2010 20:44:19

恋話

カテゴリー: 日記
久しぶりにギター教室に行った。教室もお盆の間は休みだったので、今日は人がいっぱいかなと思いながら扉を開けると、女子高生が先生と話をしていた。これから彼女のレッスンが始まるのか終わったあとなのか分からない。そのうち状況が読めないまま二人の会話のなかに誘い込まれた。同居のおばあちゃんへの愚痴が一段落すると、急に失恋の話になった。長い間つきあっていた彼氏に“友達でいようね。”と言われたらしく、悔しくて悲しくて誰かに聞いて欲しくてここに来たみたい・・・。先生は、練習するつもりのない生徒の相手を根気よく続ける。時々、私に助けを求める視線を送るものだから、とうとう私は口を開いた。「まだ、人生の経験が少ないから分からないかも知れないけれど、人は本当に悲しいときには、思いを誰にもしゃべれなくなるんだよ。誰かに自分の悩みをしゃべれば、その時から、思いはその人から離れはじめて、話せば話すほど遠くへ行ってしまうんだ。だからその人への思いを大切にしたいなら、心のなかの箱に仕舞って誰にも話さないほうがいいかもしれない。」と言ってしまった。すると彼女はしゃべらなくなって妙な笑い声をあげた。私は、彼女の顔を見なかったけれど、多分泣いていたんだと思う。私は意地悪なおっさんになっていた。先生が私のレッスンを先にしようと言って・・・レッスンがはじまった。いつもより長いレッスンが終わっても彼女はまだ教室にいた。彼女に「ごめんね。幸せにね!」と言って教室をでようと彼女の顔をみたら微笑をかえしてくれた。意地悪なおっさんは少し救われた。

そうそう、私のギターの報告が遅くなってしまった。その後、すこぶる良い感じ・・・、先生の改造の効果は実証された。私のギターは良いギター・・・。
August 20, 2010 21:02:29

悪訓

カテゴリー: 日記
代々続いた豪邸を事業の失敗で手放した人がいた。その人が今日、私に教訓として、こんな話をしてくれた。“敷地のなかにある木を伐ってから土地の運気が下がった。大きな木は伐ったらあかんのよね”…と…。私は、考えた。“それって、自分が豪邸を手放さなければならなくなった理由は、木を伐ったためってこと???”
私は、こっそり思った。“そんな考えを、人にまじめな顔して話すようなことだから、そうなったんじゃーないのかな…自分の力が足りなかったから、事業がダメになったわけで、そうなると木も枯れて伐らないといけなくなった…と考えるほうが自分の未来のためじゃーないのかな…”
この件につき、皆さんいろいろご意見はあろうと思いますが、悪いジンクスを作り上げて自分の人生が他の力によって決定されると考えずに、自分が選択する運命が木の寿命をも左右するという考えをもったほうが賢明だとは思いませんか…。
人生には大きな流れがあることを実感し、その流れのなかで流れている自分を客観的にイメージできていないと、悪いことが続くとマイナスのジンクスを作り上げたり、次にまた悪いことが起こるんじゃないかと言う不安感に追い立てられますよね…、そうなるとなかなか負の連鎖から逃れられない。そんな恐ろしい状況は避けないとね…。

普通は、よどみなく流れているですよ。よどみを作るのは自分自身…決して自分の運命を木のせいにしないうように生きていきましょう…
なんてたって、この世界はあなたが中心なんだから…
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