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SOLILOQUY

ひとりごと

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March 21, 2010 21:00:59

竜馬

カテゴリー: 日記
昨晩、高校の同級生から食事に誘われて夕食をともにした。彼の知り合いがやっている“豚”料理の専門店へ行ったが、もう一度行きたいとは思わなかった。勿論不味くはないのだがインパクトがない。 そうそう、今日は料理の話ではなかった。 
彼は、高校を卒業して、プロギタリスト目指して東京へ行き、その後アメリカに修行に行ったのだが、修行中にふらりと入った楽器屋で、遊びでギターを演奏していた小学生?が自分よりもはるかに上手かったので、そのことがきっかけでギタリストの道を諦めた。その後パサディナの大学を卒業し、マフィアのボスもやってくるようなクラブのマネージャー等の仕事をしながら、20数年間アメリカ生活をして数年前に 日本に戻ってきた。日本を代表するトップ企業の代表としての海外生活ではなく、裏のアメリカを生きてきた彼の話は実に面白い。彼の悩みは・・・日本がまだ実力社会ではなく、就職面接でもキャリアの前に年齢で撥ねられてしまうということ・・・英語が話せると言うだけでは、希望する会社にはなかなか就職できないらしい。

私は、投資信託の運用で生活には困らない彼と、アメリカの裏社会を知っている彼と、これからたまに会うことになると思う。次回は坂本竜馬の血を引くと言う彼と土佐の高知で、鰹のたたきを食べよう・・・いやいや、彼のルーツを探る旅に出ようという話になった。
March 20, 2010 08:43:28

寿司

カテゴリー: 日記
カトリックの教えで、水のなかに住む動物で“長いもの”“うろこのないもの”“足のあるもの”を食べてはいけないと言う教えがあると聞いた。具体的に言うと、海蛇・鰻・鮫・海豚・蛸・海老といったところであろうか・・・世界三大珍味に“キャビァ“があるが、古代魚のチョウザメにはうろこがないから、カトリック教徒は食べられないはず・・・カトリック教徒の敬虔な信者は、日本で寿司屋に入ってもあまり食べるものがないんだ。昨今文明人のヘルシー嗜好も宗教的な戒律の前では野蛮人の食べ物でしかない。さて戒律とはいかなるものか、破ったからといって差し支えのないものだと考え一部に例外を認めれば、全てが崩れ去る恐れがある。iPS細胞やクローンなどの研究が進む今の時代に神話をもとにした戒律が存在するのも無理があるように思うが、神話は神話として教えの原点は大切にしながらも、宗教もその時代その時代に応じて辞書のように改訂版が生まれればいいのにと思う。ひょっとしてそうしてるのかな・・・私の知識不足かな・・・

そうしないと、いつまでたってもヘルシーでおいしい寿司が食べられないもんな・・・
March 19, 2010 19:51:31

血縁

カテゴリー: 日記
昨夕、私の離婚後、長らくご無沙汰している方のポストに私の思いを書いた手紙を投函した。その人は離婚した私の元伴侶の“おばあちゃん”にあたる・・・。おばあちゃんと今一緒に住んでいる元・・の叔父さんと、元・・の母親とその長男との関係が険悪であるため、私の長男とおばあちゃんとの交流も断たれてしまっていて、私はともかく私の長男も、かれこれ7年間ほどお会いしていない。聡明な方であったと記憶するおばあちゃんはかなりのご高齢の筈である。7年間の我々の生き様と、長男の卒業の報告・・・機会があれば長男と話ができる関係を再構築して頂きたいとの願いを綴ったものであるが・・・さて、どうなるだろう。子供の電話番号は書いておいたが住所も私の連絡先もない手紙・・・予想としては、“何も変わらない・・”が8割くらいかな。“縁“というものは、理由があって切れるもの・・・その復縁は簡単に叶うものではないだろう。ただ今回の場合、“血の縁”だから、長男のために私ができる小さなこと・・・

今更、私のやったことは、余計な事だろうか、甘い事だろうか、人々の心を険しくすることだろうか・・・などと頭の中を巡らしても仕方ない。犀は投げたんだから、すべての結果を受け入れよう・・・
March 18, 2010 19:48:18

女性

カテゴリー: 日記
心から会いたい人には、会える・・・と私は思っている。なにか作りたいものがあって、技術的な知識や推論のうえでの裏付けがほしい時には、私の望む人、私の望むものを持っている人や、持っている人を知っている人が目の前に現れる。今まで思いを叶えてこれたと思う私には、“Dreams come true.”の人生なのである。

この“Dreams come true.”の実現スキームのポイントを自分なりに考えてみた。
 1)まず 叶えたいことを絞り込むこと
 2)叶えたいと強く思うこと その思いを継続すること
 3)既に起こったすべてのことが
   望むものを手に入れるための必然であると思うこと
 4)失敗を恐れず 諦めないこと
 5)後悔を引きずらず 悔しさをバネに変えること
 6)世の中が自分を中心に回っていると 信じること
 7)巡ってくるチャンスを捉えるために 常に身構えていること
 8)そして 努力すること

どうだろう、これを全部実行できたら、夢は叶う・・・と思いません?
こんなことを言っている自分が大好きだ。

それにしても、出会いたい女性にはなかなか会えない・・・
March 17, 2010 13:13:40

大変

カテゴリー: 日記
“大変だ!”と叫んだときでなく・・・“大変だ!大変だ!”と心の中で二度叫んだ時・・・少し心が冷静になった・・・その時に考えないといけないことがある。今までの生き方、今まで信じてきたこと、今までの正義、今まで“そうでなければならない”と思っていたすべての事を・・・一旦フリーズして、融けていくのを眺めてみる。
そうすると、今まで当たり前だと思っていたことを“なにか変えなくっちゃ”と気がつく・・・
“大変“の意味は・・・“大きく変わらなくちゃー”と言う意味なんだから・・・

“大変だ!大変だ!”と、心のなかで二度叫んだ時、“なにか変えなくちゃー”・・・と、あなたの心が叫んでいるのを・・・
あなたは、ちゃんと聞こえてますか・・・
March 16, 2010 21:19:18

世界

カテゴリー: 日記
小学生の頃 こんなことを考えた・・・

自分の住んでいる地球があって、その周りには自分の知らない大きな宇宙があって、その宇宙の果てには、海の中から空気中に出たときくらいの変化のある違う世界があると思った。

自分が、海に飛び込んで、深い深い海の底に向かって進んでいくと、小さな光る物体があって、その物体をすごい顕微鏡で覗いてみると、その光の周りを回る一粒の丸い玉があって、その玉をもっとすごい電子顕微鏡で覗いてみると、そこには小さな人間が住んでいると思った。

自分が住んでいる地球は、自分の想像力の及ばない大きな大きな動物の鼻の淵についた鼻水のなかの一つ細胞のようなもので・・・その動物が小さなくしゃみをしたら、私の住んでいる地球もその周りの宇宙も、海のなかの小さな光る物体も、一瞬にして“0”になってしまうんじゃないかと思った。

だから、その大きな動物が、くしゃみをしないように・・・毎晩祈った。
実は今でも、ほんのちょっと・・・世界はそんなもんかも知れないと思っている。
March 15, 2010 19:33:22

出発

カテゴリー: 日記
もう少しで、子供の卒業式である。ホッとした気持ちと共に、自分を少し褒めてやりたくなる。親子の関係はこれからも続くわけだが、親としての一つの勤めが終わる。今までより、もう少し自分のことを考えてみようかな。おそらく私は私の人生をもう少し続けると思うし・・・頭を使って、体も動かして、適当なストレスを感じながら、生きていきたいな。今、恨みもないし、イヤな人はいないし、後悔はあるけれど囚われることはないし、この世でできないことはできないと納得できるし、感謝の気持ちでいっぱい・・・これから、私が経験し感じた“私の生き様”を誰かに伝えてみたいな。私の知恵が誰かの役に立つように、誰かの命のなかで育っていくような、種を遺せたらいいな。勿論私の子供に遺せたらいいな・・・パスワードを教えられたらいいな・・・

そんな意味でも、このブログは、大切にしたいと思う。
子供の卒業式を機に、新たな出発を考えている私である。
March 14, 2010 20:07:16

運命

カテゴリー: 日記
人生は、“山“の時があって“谷”の時もある。占いでは“大殺界”とか言う考え方があるようで、私自身も生きていることがどうしてこんなに辛いんだろうと思った時があったけど・・・乗り切った後で振り返ってみれば確かに“大殺界”と言われる年回りだった。大殺界には、“全てを失くさなければならない”・・・とあるが、私は確かに表面上(実際には人の知恵を借りて失わないものもあった)は財産や名誉や健康や家族の縁も失くした。
占いで人生の先を知って、“難”を逃れるという事前の策を講じず、大殺界を乗り切った私は、運命というものを信じたとしても、占いを必要としない理由がそこにある。起こるべきことは起こるのだし、“難”は自分が生きる上で必要であって・・・人生のバイオリズムのなかで、“難”は山に登るために必要ツールを手に入れるために目の前に現れる・・・という考え方が、運命を希望をもって受け入れていくために、最も合理的で自分に力を与えると信じて疑わない。

希望をもって、人生に立ち向かっている、素直で逞しさを持つ素敵なあなたに捧ぐ・・・
March 13, 2010 20:21:56

教訓 Part ?

カテゴリー: 日記
以前お話したクロアチア人の女性が私に言った教訓で「あきらめちゃダメ!なんとかなるのよ、なんとか!」があると書いたことがあったが、最近彼女がその続きに言った言葉をふと思い出した。改めて書く必要もない些細な事のようにも思うが・・・彼女はこう続けた。「探せばあるのよ。思ったことを実現する道は・・・」であったように思う。この言葉が続くとかなり能動的で自分が信じて積極的に動くことが大切だと言っているように思う。また道には正面の道以外にも裏道もあるといったニュアンスを含んでいたように記憶している。
私も、この年までの経験のなかで、自分の力の及ばない壁にぶち当たった時、その道のスペシャリストの力を借りて乗りきったことがあった。なかには裏の道といえる道もあったように思う。
「道は探せばある。」・・・この言葉は、実感として私の体に染み付いた。

一人で悩まないこと、信頼できる人の知恵を借りること、今の自分には思いもつかない道がきっとあるはず・・・力を貸してくれる人に出会う努力は、自分しかできない。
March 12, 2010 19:42:48

“物”

カテゴリー: 日記
先祖から受け継いだ品、親の形見、自分が買ったもので何年も使わない物、ダンボールに入れっぱなしの物も・・・“物”って、見てあげて、触ってあげて、手をかけて・・・しないと可愛そう。先祖からの品なんて、何故じいちゃん・ばあちゃんが手に入れたかという謂れなく、ただ単に子供に遺すのは寂しいな・・・“物”は持つ人の心が入っているか否かで、宝になったり、ゴミにもなると思う。私は物質欲が少し薄いほうで、あまり“物”に執着がない。先祖から受け継ぐ物も謂れの薄いものは、その物の価値の分かる人の手に移ったほうが良いと思っている。“物”は、見てあげる人、手に触れてくれる人、手入れしてくれる人、思いをかけてくれる人のもとにあるほうが輝きを増すに違いない。
“骨董的価値のある物”は、持っていることで少し幸せかもしれないけれど、それでも、もっと価値の分かる人の手にあるほうが、“物”は幸せなんだと思う。
今のうちに謂れの聞けるものは聞いて・・・整理できるものは片付けて・・・

私が子供に遺すものは、形のないものも含め、謂れや思い入れをしっかり伝えておきたい。
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