先祖から受け継いだ品、親の形見、自分が買ったもので何年も使わない物、ダンボールに入れっぱなしの物も・・・“物”って、見てあげて、触ってあげて、手をかけて・・・しないと可愛そう。先祖からの品なんて、何故じいちゃん・ばあちゃんが手に入れたかという謂れなく、ただ単に子供に遺すのは寂しいな・・・“物”は持つ人の心が入っているか否かで、宝になったり、ゴミにもなると思う。私は物質欲が少し薄いほうで、あまり“物”に執着がない。先祖から受け継ぐ物も謂れの薄いものは、その物の価値の分かる人の手に移ったほうが良いと思っている。“物”は、見てあげる人、手に触れてくれる人、手入れしてくれる人、思いをかけてくれる人のもとにあるほうが輝きを増すに違いない。 “骨董的価値のある物”は、持っていることで少し幸せかもしれないけれど、それでも、もっと価値の分かる人の手にあるほうが、“物”は幸せなんだと思う。 今のうちに謂れの聞けるものは聞いて・・・整理できるものは片付けて・・・ 私が子供に遺すものは、形のないものも含め、謂れや思い入れをしっかり伝えておきたい。 |