午前中、25年前に新幹線の駅の近くにできた商業施設に行った。 当時近隣の在来線の商業施設の売場面積の40%にあたる売場を持つ商業施設が、一気に立ち上がることに、古参の地元商業者が戦々恐々としていたことを思い出した。今日久しぶりに施設内に入ってみたら、すっかり寂れていた。 新しい施設には、できた時には人が集まるが、時間が経過して近くにさらに新しいものができれば、すぐに錆びれてしまう。当たり前のことだが、活気に溢れていた、できた当時の様子を思い出し、寂しさがこみ上げた。新しいものは古くなる。老舗や伝統になることは難しい。 10年単位、四半世紀単位で町の盛衰を語れるほど、自分も古くなったことを、素直に受け止めなければならない…と、思った。 私は、私が生きた証を誰かに伝えてもらえれるような人間にはなれそうもない。 |
私が今まで生きてきて、今でも強く心に焼きついてる出来事を羅列してみた。 ・皇太子殿下(現天皇陛下)御成婚 ・新幹線開通 ・東京オリンピック ・人類初の月面着陸 ・大阪万国博 ・札幌オリンピック ・長野オリンピック ・阪神淡路大震災 ・サリン事件 ・9.14 ・東北大震災 オリンピックって、凄いインパクトがあるな…。 思い出しても海外の出来事は、あまり印象にない。 親父の死は、受け入れるべきことだからな…。 阪神淡路大震災以外は、遠い世界の出来事ばかりだ。 世界では、常にどこかで戦争が起こっているのに、私の頭の片隅には戦争という言葉がない。 パソコンや携帯の普及も、凄い時代の変化だと思うけれどここには並べられない? 病気以外に死を実感したのは、阪神淡路大震災の揺れと、石油タンクがガス爆発すれば周囲10kmが火の海になるってニュースで報じていたことかな…。 会社が倒産しかけた時や、病気で死にかけたことは、人生にとっての大きな節目だったと思う。 私のようなローカルな人間が、これから、まだまだ凄い出来事に遭遇するだろうか? こんなことを考えていると、自分が今幸せだと実感する。 |
昨日、ある女性が私を訪ねて来た。彼女の亡くなった祖父は町の華僑社会のドンで、社会的地位のあった人物である。 彼女は、いつものように小学校前の一人娘を抱いてやってきた。同じ町の活性化のために動いていた親しい女性から活動から手を引きたいという話を受け、私に相談に来たのだ。 さて、相談の中身はさておき、彼女から祖父の生前のエピソードを聞かされ、心に残ったのでここに書いておくことにした。 “私が、学生の頃、おじいちゃんにハワイに行くから100万円ちょうだい…と言ったら、1万円しかくれなかった。でも祖父は、ある学校には5000万円もの寄付をしていた。そして周囲にするだけのことをしたら自分に必ず戻ってくると言っていた。だから私は目先の利益ではなく、20年先…この娘の代になった時に、町が栄えているように願って、今町のために良かれと思う事をするの…。”と、言った。 ちょっと旅行へ行くのに100万円ねだるなよな…と、思ったが、私は私より若い彼女の信念に感銘し、彼女のためにできることは協力したいと思った。 |
先日ここで書いた…店じまいした“そば粉のガレットの店”の前を通ったら、ちょうどシェフが店に入ろうとして私に気づき、声をかけてきた。彼の話では、オーナーのシェフは、昨年の5月の連休明けに癌の宣告を受け、治療に専念するため山の中のレストランも以来休業していたと聞かされた。シェフの病気のことは伏せてガレットの店だけを営業してきたが、このたび山の中の店を任せると言われ、シェフが療養する山里に腰を入れるのだそうだ。 山里の店には一昨年の秋に行ったきり…、主人にもそれから会っていない。昔仕事を一緒にしたこともある彼の病気のことを今日まで知らなかった不義理を悔いるばかりである。 かと言って…目の前のシェフに現在の体調をねほりはほり聞くこともできず、ガレットの店を後にした。 人生には、なにが起こるか分からない。 彼の料理は、もう食べられんかもしれんな…。 私よりも若い彼のこれからの人生が、充実したものであることを祈りたい。 |
私の年上の知人に…、自分が始めた事業の失敗で12 年前に先祖から受け継いだ財産のすべてを失った人がいる。 彼は数年前に心筋梗塞を患い、癌を宣告された奥さんの面倒をみながら新しい事業を起こそうと頑張っているようだが、何をやっても上手く行かず、諦めては直ぐにまた新しい事に手を出すという悪循環を繰り返している。 私は、彼とはある一定の距離をおいて接することにしている。その理由は、彼は私の言うことをいつも自分に都合の良いように理解し、極端な場合私の意図する全く逆の意味にとることがあることを知ったからである。要するに分からん人間だからだ。 彼が何故そんなトンチンカンな理解をするようになったのか、最近やっと腑に落ちた一瞬があった。 思ったことを羅列してみた。 子供の頃から今までの間、彼に逆らう者がいなかった。彼の考えに面と向かってダメだしする人がいなかった。彼のことを心から思って怒る人がいなかった。もしくはそんな人から逃げた。彼をかばう人が常に周囲にいた。あるいは隠れる場(逃げ場所)が与えられた。…と、憶測してみた。 そうすると、彼のことが実に理解できるような気がしてきた。 さて、これから彼に手を差し伸べてみるか?それともやはり距離をとっておくか思案のしどころだ。 やはり近づかないにこしたことはないと、自分の気持ちが落ち着くことを願う自分である。 |
昨夕、マダムの店の前を通ったら、外から薔薇の先生の姿が見えたので立ち寄った。 いつものように話を始めたら、私が今やりかけた活動の話題になった。話も終わりかけた頃、本当に自分のやりたいことは別にあって…、この町の歴史に関係した小説が書きたいと言った。そのうえで今やっている活動のきっかけについて私が説明し始めた。すると、それは、書きたい小説のキーパーソンであるオーストラリアの歴史研究家との出会いであったことに気が付いた。 聞いていた薔薇の先生は、“だから、本当にやりたいことを、成すために今やる活動があるんだよ!すべてそこにつながるんだよ!”と言ってくれた。 確かにそう思った。私のやり遂げたいことを始める前に今の体験が必要なんだと思えた。 だから、今やっていることは、他人のためでなく、町のためでもなく、自分のためにやる…という気持ちをいつまでも持ち続けたいと思うのだ。 |
今日は20年以上続いた仕事上の契約が終わる日だ。昼から相手先の会社の会長を訪ね、挨拶を兼ねて解約に伴う確認を行う予定である。私は会長を尊敬しており、会長は私を昔から可愛がってくれた。今日ご自宅を訪問するのもそんな理由からである。 解約の理由は、いろいろ考えられるが、要するに自分達が年をとり、時代が変わったということだろう。 今後も仕事抜きでお付き合いしようという話がでており、私もそのつもりでいるが、実際には徐々に疎遠になっていき末は年賀状だけのやりとりになるのだろう。 手土産に、菓子でも買って行こうと百貨店へ足を向けた。いつもは和菓子を買い求めるのだが、途中で輸入菓子の店の前で足を止めた。昔、私がチョコレート店を経営していた時に販売していた商品が並んでいた。若い頃に今日出会う会長を訪ねる時には、いつも携えて行ったことを思い出し、思わず買うことにした。 帰り道、私が結婚していて子供が小さかった頃、よく買っていたドイツパンの店の横を通ったので、昼めしに幾つか買った。ここのパンは久しぶりだ。 昔のことが思い出される日だ。私が変わったこと、相手が変わったこと、周囲が変わったこと…いろいろ変化していくけれど、そのすべてが私の血と肉になっていることを、今日は思わずにいられない。 その帰り、昼から夫婦で私を迎えてくれる会長の奥さんに渡す花束を買った。 これからでかけるが…私とこれまで、お付き合いいただいた会長ご夫妻に私の感謝の気持ちを伝えて帰りたいと思うのだ。 |
別宅の庭で松の樹を見つめている会長のお姿は、初めてお会いした時と比べると肩の肉が落ち腰が曲がり、小さくなられた。 同時に自分も同じように年を重ねているのだと気が付く。 通された居間の大きな一枚板のテーブルには、いつものように会長の横にいつの間にか奥様がお座りになった。 仕事の話を済ませた後、出会いの話や、若い頃には仕事の後にネオン街を豪遊した自慢話とか…雑談に終始した。 2時間ほど経過し、私が夕方の会議のため席を立つ前、神妙な顔で会長の目を見つめて語りかけた。 “この度の結果は残念だということを前提に、私が言うのは、立場上おかしなことかとは思いますが、人材のことを考え、周囲の状況を考え、将来を見据えたうえで、人の力量を見定められ、先をみることのできる会長が、このたび私どもとの契約を解約すると結論を出されたことは、正しい判断であったと信じます。長い間有難うございました。”と、言って頭を下げた。 “そう…分かってくれるか、あなたにそう言ってもらえるのは本当に嬉しい。”と、隣で聞いておられた奥様と同じように涙をにじませた。 尊敬する会長を讃える私の言葉が通じたと思った。 例え二度と会えなくとも決して忘れることのない人との別れの時だと自分に言い聞かせて別宅を後にした。 |
昨晩フレンチ店の主人と食事をした。彼は20代前半にフランスで修業し、日本に戻って町場のレストランの料理長を任され、20年ほど前に独立を果たし今年50才になる。古典的なフレンチのスタイルをしっかり継承しているが日本やフランスで手に入る最高の食材をうまく使った一皿を提供してくれる。ワイン好きで自ら薦めるワインと料理のマッチングは私の舌をうならせる。 “今度、料理本として関西で一番有名な雑誌にトップ記事で載ることになりました。この間編集長が名前を隠してやってきて、食べ終わってから取材させてほしいと言われたんです。もし気に入らなかったら黙って帰るところだったんでしょうね。”と、シェフは自慢そうに話した。シェフは編集長のことを知っていて、店を調べに来る人はなんとなく分かるから、そんなことだろうと分かっていたというのだけれど、話を聞いて私も嬉しい限りだ。 昨今、日本ミシュランとか言うランキング雑誌が話題になっているようだ。 シェフの店がどうしてランク外なのか私的には不思議でならなかった。以前はシェフの店もいくつもの雑誌で紹介されたことがあったけれど、そういう類の雑誌の記者は新しい店とか若いシェフの店を取り沙汰するから、最近彼のところは、とんと取材がなく、また世の中、ちゃんとしたフレンチを食べに行く景気でもなく、お客の入りも今一つというところだった。 アベノノミクスの影響か、ここのところ心持景気回復の兆しが見え、この度は編集長クラスが50才になったシェフのちゃんとした店を取材をしてみようと思ったに違いない。 まぁ理由はともあれ、知人としては喜ばしい。彼の店が以前のように忙しくなるように、そして日本経済がますます明るくなるように、美味しいものを食べながら期待したいものだ。 |
先日、町に飲みに出て、3軒目に以前覗いたことのある高架下の焼鳥屋に入った。その店は狭いが3階まであり、前回は2階の壁に向かって座る狭い席に案内された。その席からカウンターで店の責任者らしき鳥を焼く男の顔が見え、彼が私をちらちらと様子見しているのが伺えた。 今度は1階のカウウンター席に案内され、目の前にその責任者らしき男が立って、注文を聞いてきた。料理を出し終わって、暇になった彼は自分のことをしゃべりはじめた。以前は大阪でバーをやっていたが、今はこの店のオーナーにマネージャーとして呼ばれ大阪から通ってきている…。この間、東京に行って焼鳥屋を何軒か梯子したが、どこどこが不味くて、どこが良かった…私が聞いてもいないのに彼の方からどんどんしゃべりかけてくる。おまけにカウンターから出てきて私の後ろからも話かけてきた。私はいやと言う素振りもせずに話を聞き続けた。 店を出る時、一言彼に声をかけた。“いつか、あなたは経営者になる人だと思います。きっとそうなると思います。”彼は、ニコッと笑って“ありがとうございます。”と、頭を下げた。 私は続けて言った。“この店にいるうちに、話をしないでもお客様との関係がおさまる何かをみつけられたらいいですね。”と、言った。 彼はもう一度“ありがとうございます。”と、言った。 あーッ、なんて私はいやなおっさんなんだろう。そんなこと…言わなくてもいいのに…。悪意がないことは確かなんだけれど、分かってくれたかな? などと…店を出てから落ち込んだ。 |