昨年秋に30年ぶりにアメリカの片田舎を訪ねる旅行をした際、2日間、車の運転で私を案内してくれたリムジンサービスの会社の社長に、車中で私の本を見せたら、その本を自分もほしいと言ってきた。しかし余分がなかったので日本に帰ってから送ると言って別れた。 私は戻ってすぐに発送したのだが、その後音沙汰なく、社長は少し調子がよさそうなところがあったから、きっともう連絡はないものと諦め、ちょうど昨日の夕方、リモの会社を紹介してくれた知人に残念だが返事がないのでがっかりだ…と世間話のついでに話した…ちょうどその夜、家のポストにアメリカからの便りが紛れていた。 なかには社長からの‘昨年末、いらなくなった自分のゴミ置き場のなかに私の本をみつけて驚いた。手紙が遅くなり申し訳ない。’と言う書き出しの手紙が入っていた。 ゴミ置き場のなかに忘れ去られていた…という表現に私が抵抗あるかも知れない…なんて配慮が微塵もないことがよく分かる。ともかく私の本はゴミ並みか…なんて、すねずに、単純に便りを喜ぶことにした。 心のなかの小さなモヤモヤが、一つ消えた。 次回の旅行でも、やはり彼の運転する車に乗ることになるだろう。 |
昨年の暮から、軽い風邪の症状が続いており、咳がとまらない。 出かける時は菌・ヴィールスをまき散らさないように、それと電車のなかで咳したらみんなに悪いし、いつもマスクをしている。 風邪の予防策で、世間では昔、第一にうがいの大切さを説いていたが、最近は手洗い励行を盛んに言い始めた。順番からして先ず手洗い、次にうがい…という順番のように思う。 風邪は、目・鼻・口と言った粘膜質を通してうつるようだが…、鼻は鼻毛を剃り過ぎない限りある程度防御態勢が整っている。口も危なそうだが、無暗に嘗め回ることもなかろうから、それほど危険ではない。だから最近うがいが予防策の二番手になったのではなかろうか?最も危険な部位が目…電車のような病原の巣窟で吊革や手すりを触ったあと、目をこするとかなり危険に違いない。ひょっとすると眼鏡をかけている人のほうが風邪ひかない…なんてデータがあるのかな? ともかく、この季節、手で顔を触らないにこしたことない。 はやく、風邪なおして、インフルエンザの予防接種を受けなければ、昨年は接種したけれどA型にかかったけれど…。 それと、もうしばらくしたら花粉症対策せなあかんし…。 あー風邪、はよ治さなあかん。 |
昨日、清荒神さんにお参りに行った。毎年母を連れ、車で行くのだが、昨年母が手術をして疲れやすくなり、また寒さも厳しいとのことで今年は一人で参拝した。 線香の煙を体の悪い部分に手繰り寄せ、古いお札を納め、鈴やドラを鳴らし、観音様?に水をかけ、銅像を撫でまわし、あらゆる賽銭箱にお金を入れまわり、そして新しいお札を買う。その後参道の露店で干し芋を買う。いつもと同じ…去年と同じ行動をこなし、あらゆる日本の神仏が祭られている宗教のテーマパークを後にした。 私が、体が弱かった子供の頃、祖母は私が元気になるようにとの思いを込めて、私の身代りのお地蔵さんを荒神さんに納めたと聞いた。だが私はその地蔵を見たことがない。 普段、氏神様しか参らない私が、清洲荒神さんには参る理由の一つがそこにある。 今では、特に体で悪い部位はなく、荒神さんのご利益のお蔭かなとも思ってみたが、それより祖母が私の健康のために寄せてくれた強い願いのお蔭に違いないと頭を巡らせていると、久しぶりに祖母の顔が鮮明に思い出された。 来年は母を連れて来れるだろうか? 催事記の一つとして、私はまたここを訪れようと思う。 |
一昨日夕方から会議があり、出席メンバーのある大学の副学長が冒頭…“みなさん帰るまでに、今からお渡しするアンケートに記入をお願いします。”と言って用紙を配った。 会議中にアンケートに書き込めという指示を、学校関係者がするのも“授業中に好きなことをやってもいいよ!”と言っているようで妙な話だと思いつつ、私は言われるままに答えを埋めて行った。 アンケートの中身は防災への備えについてであった。 昨日再び副学長に会い、アンケートの目的について話を問うと、阪神淡路大震災から19年目をむかえるにあたり、市民の防災への備えの希薄化を証明したかったと答えた。 そお…そのとおり…私も震災の記憶は遠いものになりつつある。20年という年月は、忘れてはならない記憶を風化させるのに、充分な時間に違いない。 副学長は語った。“南海トラフが動いたら阪神淡路大震災の被害どころの話ではおさまらないよ!今、災害を防ぐ備えをしておかなければ…、19年前の震災の恐ろしさを知っている者が、それを越える地震の備えをしないでどうする?先ず自分の家の耐震対策をちゃんとすることを忠告する。家が無事であってこそ…はじめて次の行動ができるのだから…。” 昼から、友人のブログを見た。今朝の追悼式の参加の様子が写真とともにつづられていた。 私も、遅ればせながら黙とうをした。 2014年1月17日 |
85才の私の母は同い年の女性と二人だけで生活している。私は、週に2日だけ泊まりがけで様子を見に行っている。 以前から、私はもっと便利な町中に引っ越すことを提案してきたのだが、庭が広く空気がきれいで、かかりつけの医者が良くしてくれるからと言う理由で今の家を離れることを拒んできた。 ところが、老婆の二人住まいは、相手が倒れた場合には自分の負担が大きすぎることに最近気が付き始めた。主治医もかなりの高齢であり、頼りの医者が自分より先に倒れてしまうこともあると考え始めた。 2人の老婆の健康と幸せを心から祈ってはいるが、この状態が長続きしないことを私はよく理解している。 今年は、大きな変化の年になると思い、彼女達の思いを尊重しながら柔軟に最善の対応ができるように備えたい。 因みに私が年をとれば、すすんで施設に入りたいと考えている。 |
会社から駅までの通りの途中に、小さなレストランがある。そば粉のガレットの専門店だ。値段も手ごろで、内装や調度品もしゃれている。 店に入ると目を引くのが壁にかけられた一級品の版画(リトグラフ)である。私に言わせれば版画を飾るためにつくったお店のようである。 もともと店のオーナーは料理学校の先生で高級フレンチのオーナーシェフでもある。一昔前、レストランウエディングで儲けた金で買い集めた美術品のコレクションを置くためだけにマンションまで購入したと言う好事家だ。今ではフレンチレストランとガレットの店は他人に任せ、自分は新鮮で美味い食材をもとめて山のなかに引っ込み、予約客だけの小さなオーベルジュに張り付いている。 昨日通りがかりに気が付いたのだが、ガレットの店のなかが、貼り紙もなく片付けられていた。今朝通ると椅子やテーブルが運び出されており、人の気配がない。 どうしたのだろう?店を閉めるのだろうか?それとも改装するのだろうか? 確かに、路面店なのに客はあまり入っていなかったように思う。店のオープン時にオーナーと話したことを思い出した。“他人がなんと言おうと、自分の好きな店を思うスタイルでやれるって素晴らしいですね!他人がとやかく言うことはないですよね。” 自分の夢を形にした彼は、どんな気持ちで今をむかえているのだろう? これが改装であってほしいと願いつつ、通り過ぎるだけになっていた自分を少し責めた。 シェフには夢を追っていてほしいと思うのだ。 |
会議が続いた先週中頃には、咳が止まらなくなり、何度も中座する始末だったが…、 昨日から少しましになってきた。 苦しんだ咳はほとんど止まったけれど、代わりに眠たい。ともかく眠たい。 今なら、いくらでも眠れる感じだ。 薬のなかに、眠気を誘因するなにかが含まれているに違いない。 昨日からこっそり部屋にこもって昼寝をしている。 なにもしないで、椅子にもたれて眠ることにする。 もうひと寝入りして、帰ろう。 私が居眠りしていることを誰にも言わないでほしい。 |