今月になって、ギター教室には一度も行っていない。私がギターを習いたいと思った理由は、10代の頃から弾きたいと思ったギターの名曲“アルハンブラの思い出”とアメリカ映画ディア―ハンターのテーマ曲“カバティーナ”を、この年になって演奏したいと思ったからだが…、習い初めて2年で2曲とも弾けるようになった。今はこの2曲だけを、さらに磨きをかけたいと思い、毎日これだけを練習している。 ギター教室に行くと、新しい曲へのチャレンジを強いられるので、今の私は行く気になれない。他の曲を弾きたいと思わないのだ。 今日先生に久しぶりのご挨拶で “今月は忙しいから休ませていただきます。来月からよろしくお願いします。”とメールを送った。 すると先生から“連絡ありがとうございます。発表会が10月28日に決まりました。来月からマスクで練習しましょう!”と、返信されてきた。 前回の発表会では、先生の許可を得て、私がオペラ座の怪人風のマスクを付けて演奏したから、きっとそのことを言ってるのだと思うが…、次回は着ぐるみを着て演奏しようと思っている。 あッ…いかん、いかん…先生のペースにはまっている。もう演奏会にはでないつもりだったのに、着ぐるみなんてとんでもない。 先生は、私を乗せるポイントをしっかり押さえてらっしゃる…。 |
昨朝、雨が降っていたので安全のため、いつもの山道を避け、近道のトンネルの道を通って出社した。帰宅時間には雨が小降りになっており山道を抜けたところにあるホームセンターに立ち寄りたかったので、いつもの山道を通って帰ることにした。強い雨の後は山崩れがあるかも知れないと思い、いつもより慎重に運転していると、唐突に曲がり角で停車している車があった。よく見るとその先にも一台の車が止まっており、信号などない山道のことで、事故でも起こったのかと思ったが、二台とも接触した形跡がない…。思い切って反対車線に乗り入れ前の車の横につけ、クラクションを鳴らして窓を開けてもらい、どうしたのか聞いてみると、道路を塞ぐように大木が倒れて通行できない…と教えられた。よく見ると、確かに坂を下った曲がり角の途中に木の葉をたわわにつけた横たわった大木が見えた。前の車が順にUターンし、私も諦めて町へ帰るためにターンした。 状況を警察に知らせようと電話するが、この当たりは電波状況が非常に悪くかからない。町へ帰る道すがら知らずに上ってくる車にパッシングとクラクションで通行不能を知らせようとするが、さすがに走っている車を走りながら止めることはできず、かといって小雨のなかで車を降りて警告するより、はやく警察に通報して対処してもらうことを選んだ私は、ともかく町まで下りて電話した。 今日の話はここからである。私は携帯から警察にかけようと市街局番に続けて110を押した。しかし繋がらない。以前110を直接押して繋がらなかった記憶があり、電話帳のなかから近隣警察の通常番号を引き出してコールすると呼び出し音が続くまま誰も出ない。仕方なく市の道路管理課に電話して対処してもらった。 今日警察に電話してみて分かったのだが、110は市外局番なしにかかるそうだ。しかし、発信場所によっては思っている近隣の警察署ではなく他府県の警察にかかる場合があり、その場合でも警察内部で近隣の警察署につないでくれると申し訳なさそうに教えられた。 そう、皆さん緊急時には、携帯電話では 110 … 覚えといてくださいね! それにしても、昨日の大木は、私が通る直前に倒れたように思う。下敷きにならなくて良かった。 狭い山道でUターンする時に、車が突っ込んでこなくて良かった。 感謝します。 |
私は、25年前に結婚し9年前に離婚した。キリスト教徒でない私は、結婚式場で出張牧師の司式の下、神とその日集った証人の前で結婚の契約を交わした。 しかし、離婚の際には、仲人に立って頂いた町の名士の方に相談することもなく、誰に告げることもなく時間が流れて行った。 誓約は、静かに破られた。 結婚の契約とは、これほどまでに軽薄なもので良いのだろうか…? 離婚して10年が経過しようとする今…、私は神と契約を交わしておきながら離婚したことを後悔する。集った証人を裏切ったことを恥じる。 それは、当時に比べ、私の中の“神”が確立されたからだろうか…? 人と交わす約束の大切さを学んだからだろうか…? これから、私が再度結婚することがあったならば、もう一度神の前で伴侶がこの世を去るまで共に生きると契約できるだろうか…? 今は、答えが見つからない。 今日は、私の会場で二組の“結婚の誓約”が行われる。 その若い二人が、私と同じように苦悩することなく、今日と同じ気持ちを持ち続けることを切に願う。 |
日曜日だからと言って休みをとらない私は、今朝はゆっくり出かけようと思い、いつもより遅めに犬と散歩にでかけた。 家の外に出ると近くの住人と思われる人達がこぞって草引きをしている。 なんだかおかしい…と思いながら、散歩を続けたが途中で家に電話して状況を話してみると確かに町内清掃の回覧は回ってきたけど、この町内の清掃日は7月1日と予定表に書いていると聞かされ、今作業している人達はきっと違う町内の人達だと自分に言い聞かせて散歩を続けた。 しかし、いつもの散歩コースの全ての道端で作業する人の姿があり、また犬を連れて歩く人の姿は他になく…不安になった。 家の近くに戻ってくるとさらに人が増えてくる。おちおちと散歩できない雰囲気なので犬を抱きかかえて家の前まで帰ってくると知らない人が私の家の周囲の草むしりをしている。なんだか自分がとんでもない事をしているような気分になり、飛び込むようにスッと家に入った。 そうすると家人から、町内清掃は今日だった。7月1日はもし今日雨が降った時の代替え日だ…さっきの話は間違えていたと謝られた。 この時点でやっと状況が理解できたのだが、やはり私は、犬を連れて家を出たときから、さらし者になっていたこと分かり、穴があったら入りたい気持ちになった。 この状況でガレージを開けて車を出して会社に向かう勇気がなく、30分ほど家でギター練習をして時間を潰し、通りに誰もいなくなったことを確かめて会社に向かった。 自分が小心者で情けなくなる朝である。 普段近隣の人と接触しない生活をしているが、次回秋の町内清掃には必ず参加しようと思った。 |
英会話教室を辞めさせられ、失業保険をもらっていた先生に私は英会話を習っていたが、今年の初めに彼女は就職が決まり、仕事が忙しくなったからと言う理由である時、先生のほうから突然レッスンがキャンセルになり、それ以来連絡がなくなり、こちらからも連絡しないものだから、美人先生の個人レッスンは自然消滅したように思う。 同じビルにあるオフィスに出入りする私より10才年上の男性が英語の個人レッスンをしてくれると言うので、先週ためしにレッスンを受けてみた。彼は航空会社に入社し30代のときに転勤で渡米し、その後ヘッドハンティングでアメリカのある会社代表をまかされ、数年前に帰国したという経歴を持つ。彼自身の実践英語習得の途中で思考錯誤しながら辿り着いた英語学習方法を生徒に伝えたいという思いを、はじめに聞かされた。 そして、先ず日常生活のなかで英語と親しむためにインターネットで聞けるアメリカ西海岸のラジオの英語番組のアドレスを教えられ、パソコンで仕事をする間、音楽代わりに聴くように言われた。 実は私は、今もその番組を聞きながらこの日記を書いている。英語の音感に慣れるためだと言う。流行りのスピードラーニングと同じようなものかと聞くとそうではないらしい。スピードラーニングを知らない私には、その違いが理解できていない。 続いて聞いていると、ある瞬間から言っていることが理解できるようになると言うのだ。 まだ効果のほどは実感できていないが、騙されたと思って…いや、効果があると信じて聞き続けようと思う。 授業料はこれまでの先生より格段に安い。きっと前は、美人代が入っていたのだろう。 今のところ、今度の先生のほうが成果ありそうに思える。 |
私のひとまわり年上のマダムは、お店のホームページを持っていて、ブログとツウィッターを書いていて、さらにユーストリームチャンネルで動画を配信している。 彼女の年齢で、よくそれだけのことができるものだと思われるだろうが、実は機械音痴でパソコンもお持ちでない。 携帯のメールを送る程度のこと以外、自分では全くおできにならない。 彼女には、強力なサポーターがおり、例の謎の京都人なのだが…、お金は一切取らずにマダムのお店のホームページ作成から管理を引き受けている。例えばマダムは書いた文章をメールで京都に送り、謎の京都人が受け取り数時間後にアップするという具合である。 マダムは魅力のある人だ。だから私も彼女になにかしてあげたくなる気持ちは分かるが、京都人が何故そこまでマダムに肩入れするのか分からない。 マダムのブログに毎日目を通している私は、マダムが前回5月23日に更新してから、何も書かなくなってしまったことが残念だった。ちょうど一月経過した6月24日に、マダムにそのことを伝えた。 マダムは最近、一日4通の手紙を書くことを心に決めて、それに時間をとられ更新していなかった。1ヶ月もほったらかしたとは思わなかった…。と、少し感慨深げに言われた。 その晩の彼女のブログには、私(名前を隠して)に指摘され、これからまた更新していくと書かれていた。 そこまでのシステムを作成した謎の京都人が更新されないことを寂しく思うのに、マダムには話せないと言うジレンマに代わって私が話したことは誰にも話さないでおこうと思う。 |
昨晩、台湾生まれの知人と会社の近くにある、初めて行く四川料理の店に行った。 この店は知り合いのフレンチのシェフから一皿の量が一般的な中華料理の店に比べて少ないから小人数で行ってもいろんな種類が食べることができると勧められた。 予約を入れておいた私たちは、まだ客のいないオープン直後の店に入った。 若い女性が“予約されていますか?”と尋ねてきたが、そのアクセントが中国語訛?のある日本語で、庶民的な雰囲気の店のなかでは仕事以外の会話でも中国語が飛び交っていた。 昨年末に行った台湾のレストランより、この店のほうが外国を感じた。 料理は、いっしょに行った知人の好みもありマニアックな野菜中心の料理が多かった。全体にあっさりめの感じ…。なかでも“空芯菜の炒め”600円は炒める時のソースを選べたので“かにみそ”にしてみたが、野菜とソースの絡みが最高であった。 ところが、今日になって思いかえしてみると昨日食べた他の料理のインパクトがあまりない。 次回は、もう少し重たい料理も頼んでみようと思う。 今朝マダムのブログを見ると、同じフレンチシェフにすすめられて昨晩水餃子のおいしい店に行った話がかかれていた。この店も気になるところだ。シェフが美味いと言う店は間違いなくおいしい店だと思う。 ところで、フレンチのシェフの店は最近暇そうだ。景気悪化でバブルの時にできたフレンチの店は、みんな維持することが大変みたい。でも流行っている店は流行っているしな…。 近いうちにシェフの店にも、また食べに行こうと思う。 |
一昨日神社に行った帰りの道で5年振りに出会った人が、ぶっきらぼうに2年前に私の会社の役員を退任してもらった前代表だった私の知人について話始めた。 この二人の関係は、10年前まで同じ会社の株主と株を持たない代表という緊密な関係であったのだがが、8年前に仕事上のトラブルから争いがおこり、結局裁判所で法的決着はつけたものの、今でも遺恨の残る仲である。 会社の代表を務めてもらった知人は今でも、私のビルの一室で私の援助のもと自分の会社を立ち上げ、私と毎日顔を合わせている。 ぶっきらぼうな話は、私の知人が大嘘つきで昔大変な目に合された。私が彼に騙されないよう注意するようにとの内容だった。その話を聞かされ、現在両人とは深い利害関係のない私は適当に聞き流した。翌日ビル内で知人に出会った時に、彼の天敵に出会ったことを話すると、彼も同じように相手のことを罵った。 私は両人のことを悪く思っていないし、どちらにも尊敬するところもあると思っている立場であるが、それぞれの話をまともに聞くとお互いとんでもない極悪人同士という事になる。 二人とも昔は同じ目的に向かって力を合わせて努力したことだろうに…悲しい結末だ。 昨日の友が今日の敵ということは世の中にはよくあることだろう。そうなると相手の粗ばかりが目につくようになるに違いない。例え意見が食い違っても相手の尊敬できる部分を見つめ合うことができればどれだけいいだろう…と思うのだけれど、そんな私は人間が甘いのだろう。 いずれにせよ、この二人とは今後、深い利害関係を持たないようにしようと思う。 |