図面や地図を見て、完成した家や部品を想像したり、地面の起伏を感じたり川の流れる音が聞こえる人がいると思う。しかし、ほとんどの人は“平面上に描かれた線”にしか見えないのだろう。 私は、設計家ではないので、図面を書くことはないが、子供の頃から頭のなかでいろいろなことを空想するのが好きだったから、一般人にしては、完成予想の能力は高いほうだと思う。 私は、未来に起こり得る危機に対する不安を他人より早く察知する能力があると思う。直感的に危機に対して備える時期が普通の人より早いかもしれない。 私と同じように先を見ることのできる人は私の周囲では少なく、その点私が彼らに危機を説明しても誰も理解できない。その人たちの特徴は、物事を個別に見て判断する傾向がある。 未来を見るということは遠くの山をボーッと眺めるようなものだ。神経質過ぎても視力が良すぎてもダメだ。それほど良くない頭の程度がちょううどいいのかも知れない。 “静座観雲起” (ここに書くのは今日で二回目になる) 私の好きな言葉だ。 この言葉の意味を理解する人が、私の周囲にいてくれたら、どんなに幸せだろう。 しかし、未来を知らずに生きるほうが幸せ…という考えも一理あるかもな…。 |