私は、月末に日本酒を抱えて神社を訪ねる。もちろん神社の境内で酒盛りをするためではなく、毎月一日の早朝に氏神様の宮司が月初のお祭りをする際のお供物にしてもらうためだ。 この習慣はかれこれ20年近く続いており、このままだと私が死ぬまで通い続けるように思う。 外国で信仰がなにかと尋ねられ、無宗教だと答えると信用されないと聞くが、そこのところを考えに入れると私は仏教と答えるだろう。家に仏壇があり、盆に祭りごとをし、寺に先祖の墓があるからそう答えることになるが、私は墓や仏壇に手を合わせることのない形式上の仏教徒であって、多くの日本人がそうであるように無宗教と答えたほうが正しいかも知れない。 ところが、私は毎月氏神様にお参りをし、毎朝この世の創造主と世間一般に言う神と、ご先祖様と家族と、そして私に関わるすべての人々に感謝している。毎朝毎朝同じように感謝している。 感謝することが信仰であるとするならば、私は良き信仰者に違いない。 今日も神社の近くの酒屋で酒を買った。もっと安く酒を手に入れるところはあるが、氏神様に供える酒は氏神様の近くで買うべきだという私なりの哲学があり、値段だけには釣られない。 この発想で日本人が国内生産物をしっかり購入すれば、内需は拡大するに違いない。 良き信仰者の私は良き日本人のあり方を考えている。 それはそうと、お供えした酒は、その後誰かの胃の中にはいるのだろうか? 全部お神酒になるのだろうか…? 余計なことを考えるのはやめておこう。 |
今日の夕方、スマートフォンの受信履歴に2回続けて残っていた知人に電話した。最初にかかってきた時には取り損ねたが、いつものように、どうせ大した要件でもないと踏んで、しかとした。二度目となると連絡しないわけにはいかない。 彼は、元私の部下であり、人生を熱く生きている。熱しやすく自滅するタイプである。計4回の結婚履歴もその当たりのところに原因があるようだ。 話を聞いてみると、やはりあやしい内容で…近頃facebookで、ジャン・レノと友達になったと言うのだ。何語で会話しているのか聞いてみると、イタリア語だと言う。彼がイタリア語を話せるなんて、いままで聞いたことがない。因みに彼は物事を面白く誇張して話すことはあるが、嘘つきではない。そして頭はとても良い。 そこのところを鑑みて、私はある一定の距離を置いて、彼の話を聞くことにしている。そして10分近く話を聞いてやると、満足して電話を切る。 私は、他人からジャン・レノに似ていると言われるが、ジャン・レノと友達になりたいとは思わないので、今日も適当に話を合わせていた。 彼の、話をまともに聞く暇人は私以外にいないのだろうか…?少なくとも私は彼の良き理解者に違いない。 そして、元部下が、たいしたことのない電話をかけてこられる自分に今日も満足している。 |
昨日、私が会社を辞め初めてビジネスを始めた時にパートナーだった男性がやってきた。身長185cmで体重は100kg近くありアメリカナイズされた彼にはたいそう遊び心があり、大人になっても子供心を持つことの大切さを教えてもらった。 3年ほど経って彼の独立を機に一旦離れたが、10年以上経ってお互い本業を持ちながら、また違うビジネスでパートナーになったが結局二人には経営センスが欠落しており、15年前に二度目の分かれが訪れた。 以後、いつも彼から会わないかと連絡が入り個人的な付き合いを続けている。 今年初めての出会いであった。彼はいつもと変わらぬでかい体でやってきた。前回会った時にはジャン・レノに似ていると思ったが、昨日は鶴瓶そっくりに見えた。因みに私もジャン・レノに似ていると言われる。 話を聞くと昨年末に脳梗塞になり、今でも少し顔面に麻痺が残るという。健康そのものに見えた私より若い彼は今では、二か月に一度のMRIの検査を続けなければならない体になっていた。彼を含め私の周囲の連中の老化が気になる。 今朝私は半年に一度、手術の執刀医に診断を受ける定期検診にでかけた。造影剤を投入してのCT検査・レントゲン撮影・血液検査・血圧脈波検査を行った。結果はすべて良好で喜んだものの…、そのあとで“主治医は血管が少し拡張しているね。50mmを超えたら手術せなあかんかも知れんな。そのときは私がしてあげるけどね…。”と、さっき撮影したパソコンのCT画像を説明しながら楽しそうに話しかけてきた。 心臓血管外科の名医は、すでに1320例の手術実績をもつ…。大先生は私の体を切り開きたくて仕方ないようにみえる。 他人のことを心配するより、自分のことを心配しないとだめだ。 5年前に倒れたおかげで、血圧・体重・食事に神経を使うようになった。 二度目の手術を回避するため、生活の節制を心がけようと改めて思った。 |
昨日、今は地元函館でフレンチレストランのオーナーシェフをしている…以前私の部下だった男がやってきた。大阪で行われた食のイベントへの出店のため18年振りに関西を訪ね、シェフ仲間に会うことと、私の父の位牌に手を合わせるために神戸まで足をのばしてきたのだ。 私の父はとても彼を可愛がっていたので、彼は父に世話になったことが忘れられないらしい。彼が会社を辞める際に、私も彼もまだ若かった。思い返せばあまり気持ち良い辞め方とは言えなかったので、一昨年私が彼の函館の店を訪ねるまで15年間連絡不通の状態であった。思い切って予約なしで彼の店の扉を押し開いた時の、シェフのびっくりした顔が今でも忘れられない。 以後、また連絡を取り合わない月日が流れたが、今度は彼の方から連絡が入り再会できた。彼と私の二人の知るシェフの店でランチをゆっくりととり、若かりし頃の未熟さを語り合い、現在の商売の厳しさを話し合い、そして最後に“これからの人生は、自分のやりたいことをやって、楽しく生きていきたい。”と話を閉めた。 食事のあと、彼を家まで連れて行き、お参りを済ませ、とんぼ返りでまた町に戻った。いろいろな話ができ、二人の間に少し残っていたわだかまりが消えて行った。 一つ残念なことがある。車を運転するため、美味いランチを食べながらワインを飲めなかったことだ。 次回彼と会う時には杯を酌み交わしたい。 |
継続がすべて力になるとは、思わないけれど…ギターの練習をしていると、一つ上を目指すために結構繰り返しが大切だと実感できる。 遠すぎて押さえられなかった指が届くようになり、押さえ方が悪くてくすんでいた音がしっかり出るようになり、一音一音ゆっくり押さえていたのが、先に指の形が整ってから一気に押さえられるようになり、ただ鳴っていただけの音に感情を込められるようになり…、繰り返すことで頭が覚え、体が覚え、どんどん上昇していく。 オリンピックを目指す選手やプロスポーツの選手…、いや音楽家も、物理学者も、みんな繰り返すと上に上っていけることを会得しているのだろう。 繰り返しで危険なことと言えば、頭を使わないで繰り返すことだろうか…、考えないで繰り返すだけだと流れについていけないことがありそうだし…もちろん頭だけで考えていても、らちが明かない。頭で考え、覚え、体で覚えるというサイクルをちゃんととったほうが良いように思う。 私の知っている老舗の主人は、商品は昔のままだけれど、販路拡大や情報発信には、昔からITを利用していた。もう80才になる主人は15年以上前に自分で自社のホームページを作っていたし、ブログもずっと書いている。それからしばらくしてお店の商品が宮内庁御用達になったし、頭を使って行動し続ける主人を私は尊敬している。 今私が繰り返しているのは、日々のストレッチとギターくらいだ。もう少し若い時から、繰り返しの大切さが分かっていたらオリンピックにでられたかな…? 繰り返しは、若いうちから続けたほうが良さそうだ。 |
住んでいる町の表通りを歩いていて、隣に住む年取った奥さんが経営している洋品雑貨店の前を通りがかった。見ると…奥さんの前に、このあたりでよく見かける知的障害のある若い女性がいて、二人は話し込んでいた。そこへ、やはり近所の人だと思う老いた男性が通りがかり知的障害のある女性に向かって“このアホが、また町の真ん中をうろうろしとる。”と吐き捨てるように言って通り過ぎようとした。言われた女性は“なんや、おっさん…私は知ってるで…!”と、老人に詰め寄った。 少し険悪な雰囲気になりかけたので、私は女性に加勢をしようと“アホにアホ言う方が、本間のアホですよ!”と老人に言いかけたが、もしこれを言ったら両方の矛先が私に向かってきそうに思えて、黙っていることにした。 彼らにとっては、このような状況は日常の挨拶なのかも知れない。知らないことに首を突っ込まないほうが、みんなのためになるのだと自分を納得させた。 山本周五郎の季節のない町“どですかでん”を思い出しながら、その場を離れた。 |
ギターの先生が以前レッスン中におっしゃった…印象に残っているのに思い出せない言葉があり、思い切って尋ねてみた。先生は忘れたことに気を悪くするというより、改めて聞き直されたことを嬉しげに答えてくれた。 それは、“たかがギター…どうせギター…”だった。普通の言い回しだと“たかがギター…されどギター…”になるが、“されど”が“どうせ”に変わると、私には大きく心に響くものがあり、やけにかっこよく聞こえる。 この言い回しは、自殺でこの世を去った桂枝雀が高座から“たかが落語…されど落語…”とお客に向かって語った際、当時枝雀の二番弟子であった落語家が師匠に向かって、どうして“たかが落語…どうせ落語…”と、言わなかったのかと詰め寄ったという話をもじっているそうで…、なかなか趣深い逸話だと思う。 芸人が、あくまでも、舞台に謙虚に向かうべきだと説いているこの言葉を、私の先生はギターに置き換えたわけだ。 次の生徒の番になり帰り支度を始めた時、それまでの話の延長で、先生は“もし、無人島で生活することになり、なにか二つしか持っていけなかったら、あなたなら何を持っていく?”とおっしゃったので、私は先生の質問の意図とは違うと知りつつ“女二人連れて行きます。”と答えた。先生は、爆笑してくれたけど…きっとその質問はギター弾きとしてギターを捨てるか持っていくか…という問いだったに違いない。 またまた話の腰を折ってしまった。次のレッスンで真意を問うてみよう。 |
数日前に、私が2年前に発起人となってある団体を発足させるために計画した企画書の原本をコピーし、1年ほど前にメンバーに参加してきた新しい仲間に渡した。企画業を本業とする彼が当初の企画書を見ることは初めてであり、最近メンバーの多くが離れ、限られた有志の集まりになり、発展性を感じとれない彼が、自分のできる範囲で会の活性化に力を注ぎたいという気持ちから、これまでの会の経緯をつかもうとして資料の開示を要求してきたものだ。 昨日、彼から話があると電話があり会ってみると、いきなり“すごいじゃーないですか…規約・役割分担・活動スケジュール・予算等、最初からすべて完璧にできていたんじゃーないですか…”と言いながら、彼がまとめ直した私の計画書をみせられた。実のところ企画書を作成した私も、当時のことを忘れており他人事のように“すごいですねー。”と言ってしまった。 考えてみれば、大変恥ずかしい話である。おそらく当初考えていた会の趣旨が、回を追うごとに方向が少しずつずれてしまい、結局全く違う方向を向いてしまったと指摘を受けようなものだ。 “すごいですねー。”と言われ、喜ぶわけにはいかない。早い話が“なにやってたんですか?”と馬鹿にされたようなものだ。 ただ、おかげで、なにが良くなかったが見えてきた。 議事録を見直すことが大切だと、自分の会社を大きくできなかった私は改めて思い知った。他人の意見を聞くのもいい加減にしなくちゃー。世の中、勉強!勉強!と言ってられる年でもあるまいし…。 もう一度、芯を見直して出直しやぁー。 私は、個人プレーに徹したほうがいいんだわぁー…。 |