ギターの先生が以前レッスン中におっしゃった…印象に残っているのに思い出せない言葉があり、思い切って尋ねてみた。先生は忘れたことに気を悪くするというより、改めて聞き直されたことを嬉しげに答えてくれた。 それは、“たかがギター…どうせギター…”だった。普通の言い回しだと“たかがギター…されどギター…”になるが、“されど”が“どうせ”に変わると、私には大きく心に響くものがあり、やけにかっこよく聞こえる。 この言い回しは、自殺でこの世を去った桂枝雀が高座から“たかが落語…されど落語…”とお客に向かって語った際、当時枝雀の二番弟子であった落語家が師匠に向かって、どうして“たかが落語…どうせ落語…”と、言わなかったのかと詰め寄ったという話をもじっているそうで…、なかなか趣深い逸話だと思う。 芸人が、あくまでも、舞台に謙虚に向かうべきだと説いているこの言葉を、私の先生はギターに置き換えたわけだ。 次の生徒の番になり帰り支度を始めた時、それまでの話の延長で、先生は“もし、無人島で生活することになり、なにか二つしか持っていけなかったら、あなたなら何を持っていく?”とおっしゃったので、私は先生の質問の意図とは違うと知りつつ“女二人連れて行きます。”と答えた。先生は、爆笑してくれたけど…きっとその質問はギター弾きとしてギターを捨てるか持っていくか…という問いだったに違いない。 またまた話の腰を折ってしまった。次のレッスンで真意を問うてみよう。 |