最近よく話をする知人から1989年に発行されたJALの英語版機内誌“WINDS”に掲載された彼の紹介記事のコピーを渡された。当時紙面の編集を任されていたアメリカ人が書いた文章だが、決してエリートとしての扱いではなく、自分の好きなことにがむしゃらに突き進む…長髪で愛想がよい人物として描かれていた。
その当時から私は彼のことは知っていたが話す機会がなかったので、今になって手広く事業展開していた成功者としての彼の経歴を知った。
昨年の年初から、すれ違いに挨拶するだけの関係からお互いに踏み込んだ話をするようになり、私たちは同じような経験を持つことを知った。彼は数年前に自己破産をしている。(私はしていない。)やっていた事業のギブアップという共通の経験があり、ある意味、お互いの傷跡が分かるのである。
彼は、いまでも頭が柔軟で、誰に対しても頭が低く、人の気持ちを理解しようと努めている。私にとって人間として魅力がある。
彼は自分の紹介記事を私に渡すことで、自分をより理解してほしかったのだろう。
彼の本質は1989年当時から変わっていないと思う。私と彼が最近になって話をするようになった理由は、お互いが失敗という経験を踏むことで、より親しくなれる時期を待っていたからだろう。
人生において無駄なものがないとすると、そう考える事が妥当に違いない。
彼には、私が作る絵本や小説の作成に協力してもらおうと思う。彼もそのつもりのようだ。
会うべき人に、会うべき時に出会えたことを感謝したい。
今朝会社に来る途中、いつもの山の頂きから撮った写真だ。市街・大阪湾・紀伊半島が見える。ベストの写真日和ではないが、昨日の風が淀んだ空気を浄化したのだろう。 |