知人の家で、先日もらったフォアグラを食べることになった。 昨日の午後、チーズの計り売りのお店でウオッシュタイプのチーズを1/4カット買い、マダムのお店でワインを安く分けてもらい、知人のパン屋にバケットを買いに行った。すると、ちょうど主人が店にいて、バケットに手を伸ばすと“うちのフランスパン、本当はおいしいねんで!”と声をかけてきたものだから“本当って、どういう事ですか?”と聞き返した。 こちらは、美味いから買いに来ているのに妙なことをいうものだ。調理パンが沢山売れて、バケットがあまり売れないということだろうか…、私には関係ないことなのに…。 ともかくフォアグラと私が揃えた食材をかかえて知人の家に向かった。 知人の家の近くから電話してみると、誰も出ない。留守電とメールを入れてしばらく車のなかで待ちぼうけていたら、電話がかかってきて、昼寝していたと聞かされ思わず口が開いてしまった。案の定知人担当のメイン料理は何もできておらず、取り敢えず私の持ち込んだものだけで酒盛りをはじめた。 ワインとチーズとパンと、それにフォアグラだけで充分楽しい時間が過ぎたが、ワインが無くなった頃、腹が空いてきて、焼き鳥屋に行くことにした。ワインの後にビールと焼鳥という合わせ方がどうかは分からないが、酔ってしまっているから、なんでも美味い。 4時頃から始まった酒盛りは、9時頃には終了したようで、気がついたら知人の家で朝を迎えていた。朝飯も喰わずに金環日食を背に車を会社に向けて走らせた。 今度は、怠け者の知人にちゃんと料理をさせようと思う。 言っておきたいことがある。“バケットはとても美味かった。” パン屋の主人に言っておこう。 |
昨日、電話が入り、話があるので日曜日にこちらに出てくるから時間がとれないかと言われた。 明日も1週間後も予定が入っていることを伝えると、同じ電話で先方から話はじめた。 話の内容は、彼女たちの母親の老後のことである。彼女は58年前に二人の娘を生まれ故郷に置いて神戸に出稼ぎにやってきて、83才になる今も私の傍にいる。私にとって彼女は第二の母親のような存在であり、これからの彼女の行く末について私は真剣に考えている。 我が子と幼い時に分かれて住むようになった彼女は、今でも子供に対して母親としての役目を果たせなかったことに引き目を感じており、私がみる限り子供とのつきあいが、潤滑とは思えない。 私は昨年3月に彼らの生まれ故郷に住む長女を訪ね、母親の老後について、親子3人のなかに私も入れてもらい、話し合いをする場を持ってほしいと伝え、昨年中に神戸で大阪にいる次女も含めた4人で話をすることを約束した。 しかし、以後連絡がないもので、3月に大阪に住む次女に電話し、早く場を持つことに尽力してもらうように依頼した。 昨日の電話は大阪に住む次女からであった。その内容は、思いもよらないものだった。事態が悪化するまで、今の状態を静観させてもらいたと伝えてきたもので…、私の提案した全員揃っての話し合いの話はどこかに行ってしまっていた。 詳しくは書けないが、私が昨年動いた意図が彼女たちに伝わっていないことに気が付いた。年取った母親を娘に押し付けようと言う話をしているのではない。みんなが納得できる母親の老後を全員が揃って今のうちに確かめておきたいと思うだけなのだが… そうですね……。 平和な日本では、こんな問題が、あちこちで起こっているんだろうな…。 ともかく自分の思いが、うまくわらないジレンマを今感じている。 私は、逃げるつもりはない。 第二の母親の幸せを祈り、私のできることを謙虚にこなしていくだけだと思っている。 火曜日に次女と話をする。私の思いがうまく伝わるように精一杯努力したい。 |
昨日のコンサートの間に、私の携帯に登録していない番号から二度電話が入っていた。演奏中に電池切れして充電していたもので、終演後、掃除を終えた午後10時半まで気が付かなかったのだ。 遅い時間だったから、覚えのない番号には翌日の朝にかけてみようと思い、今朝携帯を手にしたら、タイミングよく相手の方からかかってきた。 電話の主は、2年前に彼の故郷の函館で20年ぶりの再会を果たした私の元部下のフランス料理店のオーナーシェフだった。来週大阪で行われるデパートが主催する物産店への出店のために、こちらに出で来るので、私の父の位牌に手を合わせたいと言うのだ。9年前に逝った私の父が彼を至極可愛がっていたもので、私の会社を辞めて、一度も関西にやってくることのなかった彼にすれば、この機会に母にも会って話がしたいという気持ちが湧くのも察せられる。 当日私は昼から、ある外資系ホテルで行われる“ビール祭り”に参加する予定だったが、お参りに来てくれる彼をぞんざいにはできず、予定を変更してランチに、彼の友人で私の知り合いでもあるオーナーシェフのフランス料理を食べ、その後車で自宅まで連れて行き、それからもう一度町に戻って“ビールまつり”に参加することにした。“ビール祭り”は諦めない。 昨日のランチもフランス料理だったし、再来週も知人のフランス料理店が企画する“羊を食す会”に出席予定である。 最近、なんと体に悪い食生活だろう…。 体重が増加傾向にあり夏を前に極度の節制が必要だと肝に銘じる。 |
今日は“ピアノとギターのコンサート”の最終回だ。朝からピアノの調律師がきて仕事をしているが、高音域の弦が一本切れてしまった。張り替えるか、それとも3本の弦のうち残りの2本だけで演奏してもらうか…の問題あると説明を受けた。 張り替えた弦は音が安定するまでに時間がかかり、今から張り替えたら演奏中に大きく狂う可能性があると言う。反して一本足らずに演奏するとその音だけパワーが小さくなると言う。 そう言われても、私にはピアノの音に関する造詣が足らず答えられない。続けて説明を聞いてみると…よほど耳の良い人でないと一本足らないことは気付かないし、演奏者も分からないかも知れないと言う。 結局、現時点での調律師のベターアンサーは2本の弦でコンサートを迎えたほうが良いと言っているのだと分かった。 私に相談したように聞こえたが、ピアノのことが分からない私に確認を求めただけなのだ。そこまでは理解できた。 なんにでも、分かる人と分からない人・気になる人と気にならない人・繊細な人と鈍感な人がいる。 今、調律師と私は、まだ来館していないピアニストに、最初に弦が切れていることを伝えるかどうかを思案している。伝えてしまえば、ピアニストの心にかえって迷いが出るかも知れない…と心配したのだ。 結論は…言わないことに決めた。気がついた時に説明したほうが良い…という判断だ。 何回も顔を合わせているギターの先生のお気に入りのピアニストには、気が付いてほしいと思う気持ちと、何事もなく終わってほしいいと言う両方の気持ちが私の心に去来する。 もしも、誰も気が付かなかったら。私と調律師の二人だけ…それとあなたとの秘密として、永久に封印されることになるだろう。 分かったら、謝って説明するしかない…。 |
1週間に一度火曜日の午後に、町の若手の人達が集まって話し合うミーティングがあり、いつもなら私のところのホールで行うところ…、今週は予約が入っていたものだから、メンバーの一人が経営するカフェで開かれることになった。この経営者は夫婦で事業を展開していて奥さんは高級輸入婦人服を扱い、ご主人は紳士物とカフェを経営している。近くで合わせて1000㎡の店舗展開をしているやり手である。 カフェの隣に紳士物のショップがある。今まで入る機会はなかったが、早く着いてミーティングまでに時間があったものだから主人の説明を受けながら見て回るはめになった。すると、案の定なにか買わないといけない雰囲気のなり、関西人らしく仕舞い込まれたタグを引っ張りだして値段を見てみると、薄手のジャケットで安いもので8万円以上、ブランド物で17万円以上とある。最近私が買っている若い子の店の品と比べて一桁違うことが分かった。 一番安い商品はどれかさがして、白いYネックのT‐シャツを手に取ってみたら、¥12,600.とあった。ミィーティングのメンバーも揃ったようだし、“また今度来た時に見せてもらいます。”と言って隣の部屋に行こうとしたら、主人が“着てみますか?そのくらいの時間なら、みんな待ってくれると思いますよ!”なんて言ってきて、引くに引かれず、とうとう試着して買ってしまった。 こんな高額のT‐シャツは、はじめて買った。バブルの時でも、この手のT‐シャツを買った記憶がない。 しかも普段の私のサイズがなくて、少し小さ目だったことが悔やまれる。 さて、どんな服を合わせたらいいだろう。T‐シャツが身に着けている者で一番高い…なんて誰も思わんだろうな…。店の主人に、やられたな…。 はやく、夏にならんかな…。 |
スーパーで、食料品を買った時に袋詰めで、引っ張り出して使う薄い半透明の袋の口を開こうとしても開かない。若い時には簡単に開けられたのに…。 取れたカッターシャツのボタンを自分でつけようとしたら、針に糸が通らない。子供の頃には祖母の代わり糸通しをしていたのに…、 そういえばこの間、公園の鉄棒で懸垂してみたら、1度たりと体が上がらない。もちろん蹴上がりなんてできなくなっていた。逆上がりは試さなかった。どんどん、もっていた能力が失われていく。 体の表面から脂分が抜け、各器官の能力・筋力は衰え、女性に対する胸のときめきがなくなり(少しはまだあるけれど)失っていくものばかりと溜息をついた。 しかし、反面…他人(女)の心も少しは分かるようになり、相手と協調する術もダメ―ジを与える術も覚え、この世で生きていくうえでの自分の法則も形になってきた。 失うものがあり、得るものがあり…この世はうまくできている。 でも、若さは失いたくないものだ。 こんなことを考えるという事が…老化なんだろう。 |
第4回目となるギターとピアノのコンサートも、5月18日で最後となる。昨日最終リハーサルのために演奏者とその関係者がやってきた。回を重ねるごとに全員が打ち解け、そして内容が良くなってきたことが分かる。全員、リラックスしながらも、いい具合の緊張感が張りつめているように思った。 これまでのティーブレークでは、私はいつも馬鹿話をして全員の笑いをとったが、昨日は近寄らずに遠くからじっと眺めていた。 早めにリハーサルも終わり、帰り支度を始めた頃…待ってましたとばかりに、私はギターの先生に話しかけた。 「先生、もし戦うなら、勇気のある奴と根性のある奴と…どっちと戦いたいですか?」 先生は即座に答えてきた。 「勇気のある奴やね…。」 「なんでですか?」と再度問うた。 「根性のある奴は、負けてもまた向かってきよる…。やっかいや…。」 先生…さすがだと思った。 なに言ってるんでしょうね…私は…、先生は「その話、僕の今日のブログに書いてもいいかな?」と、おっしゃった。 いい先生やなぁー |
学校を卒業後、しばらくの間、アパレルのデザイナーの仕事をしたことがある。アパレルと言ってもある上場企業の紳士ナイトウェアだから、あまり華やかなものではなかった…。 洋裁のことは無知だったから、会社の休みの日に自費で洋裁学校に通って勉強した。もともとファッションにはあまり興味がなかったから、世の中の流行を知るために、当時昼休みを仲間といっしょに過ごさず会社近辺のブティックを徘徊した。 会社のデザイン室には、数十万円もする2年先の世界的な流行色を予測する海外のコンサルタント会社が提案する数百色の生地サンプルの入ったボックスがあり、そのサンプル生地を一部切り取って、私もニットの染色カラーを指示したものだ。 その頃、私は世の中には“踊らす人間”と“踊らされる人間”がいる事を知った。 1年半先のシーズンのデザインをしている自分が決める色の大きな流れを、その数年前に決めている人間がいる。その逆に、数年前に考え出されたことを最先端だと思って今、使う者がいるのだ。 私は、しばらくしてアパレルのデザイナーを止めた。当時“踊ったり、踊らせること”が自分の性に合わないと思ったこともあるが、根本的にデザイナーの仕事をするために大切な要素となる“物質欲”が低すぎたことが大きかったと思う。 最近の私は、スマートフォンを手に入れるし、アイパッドにも興味があるし…自分が踊らされて生きていると理解している。 大抵の人間は、踊らされ生きている。 他人を踊らすことができるのは、莫大な資金と綿密な広報活動ができる一部の人間しかいないのだと思っていたのだが… インターネットはお金をかけずに人びとを踊らせるツールと考えていいのだろうか? 今からでも、踊らせる人間になれるだろうか? |