学校を卒業後、しばらくの間、アパレルのデザイナーの仕事をしたことがある。アパレルと言ってもある上場企業の紳士ナイトウェアだから、あまり華やかなものではなかった…。 洋裁のことは無知だったから、会社の休みの日に自費で洋裁学校に通って勉強した。もともとファッションにはあまり興味がなかったから、世の中の流行を知るために、当時昼休みを仲間といっしょに過ごさず会社近辺のブティックを徘徊した。 会社のデザイン室には、数十万円もする2年先の世界的な流行色を予測する海外のコンサルタント会社が提案する数百色の生地サンプルの入ったボックスがあり、そのサンプル生地を一部切り取って、私もニットの染色カラーを指示したものだ。 その頃、私は世の中には“踊らす人間”と“踊らされる人間”がいる事を知った。 1年半先のシーズンのデザインをしている自分が決める色の大きな流れを、その数年前に決めている人間がいる。その逆に、数年前に考え出されたことを最先端だと思って今、使う者がいるのだ。 私は、しばらくしてアパレルのデザイナーを止めた。当時“踊ったり、踊らせること”が自分の性に合わないと思ったこともあるが、根本的にデザイナーの仕事をするために大切な要素となる“物質欲”が低すぎたことが大きかったと思う。 最近の私は、スマートフォンを手に入れるし、アイパッドにも興味があるし…自分が踊らされて生きていると理解している。 大抵の人間は、踊らされ生きている。 他人を踊らすことができるのは、莫大な資金と綿密な広報活動ができる一部の人間しかいないのだと思っていたのだが… インターネットはお金をかけずに人びとを踊らせるツールと考えていいのだろうか? 今からでも、踊らせる人間になれるだろうか? |