今世界で有名な日本人アーティストが二人いるらしい…、一人は由紀さおりと聞いて驚いた。もう一人はもっと驚いた。その人?の名前は“初音ミク…”。 日本ではすべてのジャンルで男性より女性のほうが世界に通用するみたいだが…、名前だけ聞けばやはり女性の若手歌手かなんかだと思ったら、実は彼女は人間ではないと聞いた。 この当たりのところ、私は知らない人にうまく説明できない。まだよく分かっていない。 小中学生で彼女を知らない人はほとんどいないという事、外国ではお宅っぽい大人?を中心にカリスマ的存在であること、パソコン上のスターであって実在していないということ…その当たりのことは、おぼろげに分かってきた。 数年後に日本の人口が1億人を切ってさらに減少することが予想され、適齢期男性の6割近く、女性の半数がパートナーがいないという現実のなかで、みんな実在しない電影にうつつを抜かしてどうするんだろう? 人間が死ななくなり、子供を作らず、老人ばかりの世界がやってくることは、SFの世界ではなく誰もが想定できる現実だ。 そうすると、歴史的な繰り返しで疫病か、戦争が、大災害が起こるに違いない。 わけの分からん世界がやって来るまでに、私は一足先…幸せのうちに死んでおこうと思った。 |
今の土地に引っ越してきた頃、来る日も来る日も朝の5時半に家を出て、急な丘をのぼる山道を、犬を連れて散歩していた。星が瞬き空気は澄み鳥の囁きもまだ聞こえない…そんな静寂のなか、毎日まっすぐな道の遠くのほうに初老の男性が見え、数分後に“おはようございます”と、互いに一言だけ声を交わしすれ違っていた。そんな朝の一コマが2年ほど続いただろうか…。 ある日、今ではどんなきっかけで道順を変えたか覚えていないが、今のルートに変え、もう5年ほど経った。 先日いつものように散歩に出たら、見知らぬ男性から“お元気だったんですね。”と声をかけられた。よく見ると以前に散歩の途中にすれ違っていたあの初老の男性だった。 懐かしく思った。 言葉を交わさなくても、同じ時間に同じ道を歩く人同士、お互いに共感できる思いが生まれるのだろう。 半年ほど前まで、私が通勤のため車を運転する山道の途中…、すごい勢いで山道を駆け上がってくる老人とすれ違っていた。最近その人の姿を見かけなくなった。お元気なんだろうか…。 またあの人の年齢を感じさせない走りを見てみたい。 お元気でいらっしゃいますように…。 |
今日の正午前に、私を訪ねてきた知人がいて、ランチをいっしょにとることになり会社の近くのレストランに行った。知人と言ったが実は私の叔母で、私のことを自分の子供より頼りにしていると言って、ときたまふらっと表れ、愚痴を聞かされる。 今日は、文化サークル内の仲間のことを話し始めた。叔母には気に食わない女性がいるらしく正義感の強い叔母にすれば、その人の近くにいると、叔母にとって許せない言動や行動が頻繁にあるらしい。先日その彼女と電話で話しをしていて、腹が立ってきて、今までになく心臓がバクバクと音を立て始め、思わず電話をたたき切ったと言う。時間が経っても、その興奮が収まらず、私にそんな気持ちをぶつけにきたようだ。 食事中にだんだん声を荒げてくる叔母に冷静になるように促しながら、私が思ったことを話した。 “話を聞いて、叔母さんにとって腹が立った人の態度や言動のことより、そんなことで心臓の鼓動を高ぶらせている自分をコントロールできなくなった自分自身の問題が大きいと思うよ…。もの事の筋や正義はそれぞれの立場や考え方の違いで、それぞれの形で存在しているわけですよ。納得できないことがあって、腹を立てていたら相手を中心に自分が回ってしまうことになる。世界の宗教問題をみても相手に自分の正義を押し付けたら殺し合いになっちゃうでしょ…。中心を自分に置いて生きるという事は、相手を思い通りに従わせるということではなく、自分の正義で相手を包むということだと思いますよ…。” 叔母がなにを話していたか全く聞くつもりはなかった。叔母のしゃべり方や態度を見て、感じたことだけを伝えた。 叔母は笑顔を取り戻して帰って行った。 叔母は素直な人だと思う。 もう少し大人になってくれたらいいのになぁ…と、後ろ姿を見送りながら思った。 |
昨日の早朝、会社の近くにある文化財指定を受けた異人館が火事になったことを、訪ねてきた叔母の話で知った。私は10年前までその建物に仕事で週に一度は訪ねていたこともあり、内部の隅々まで熟知しており親しみを感じる洋館だった。 昨夕、帰り道に焼け跡の前を通れば、木造火災特有のきなくさい匂いが立ち込め、熱のためにガラスが砕け、かろうじて窓枠だけが残った明かりの漏れることのなくなった外壁が目に入った。 おそらく、数年後に建物は復活するだろう。しかし私は新しい建材を使用して美しく蘇る建物を訪ねることはないだろう。 家の主たちが、生活するなかで傷つけた柱や真鍮の取っ手の傷が私のなかで蘇る。 ふと、私の記憶のなかにのみ存在するものが多くなったと感じた。 これが年をとったという事か… 私の周囲のものが、消えて行き、 私も消えて行く。 私の記憶は、誰かの脳裏に焼きつくだろうか… あなたは、覚えていてくれるだろか… |
私の兄は、単身赴任で北陸にある会社の社長を任じられ5年目をむかえる。それまで上場企業の大阪営業本部長をしていて、関連会社のトップになって出て行ったから、一応サラリーマンとしては順調な道を歩んだと思う。 彼は、私と違い人間関係をうまく築くことのできる人だから、一昔前の営業職の定番のおつとめだった麻雀は一切せずに、ゴルフと酒の接待だけで、他人を蹴落とすこともなく周りから押されて今の地位を築いた。 いや、接待だけが上手かったというのは、彼に失礼に違いない。勿論数字がたち、損得が計算できたからこそ接待が生きたと言わねば怒られる。 彼は、震災直後からメールを使いこなし、予定やメモも携帯に残していた。 私はと言うと、メールを多用するようになったのが5年ほど前…。しかし手帳も常に手放せず、携帯と手帳を併用する期間がしばらくあったが、昨年暮れにスマートフォンに機種変更し、使いこなせないジレンマを乗り越え、最近自分が手帳を身につけなくなったことに気が付いた。 私も、スマートフォンの時代に追いつたと喜ぶべきなのかも知れないが、そのうち何かが欠けていく自分も見えてくる。 そう思うと、もっと本を読んでみたり、筆を購入して書道なんかもしてみようかと思う。 世の中の進化で、自分の一部分が退化していくことへの、ささやかな抵抗を始めてみようか…。 私の兄は、私より4歳年上であるが、さすがに上場企業の戦士である。新しい考え方や、新しいツールを手に入れ、バランスよく使いこなしているようだ。 さすが、私の兄… もうすぐ彼も定年をむかえるが、まだまだ私が見習うべきところが多い兄である。 |
人から嫌われていると思ったことありますか? 今から35年ほど前、企業に勤めて2年目…、後輩ができ上司から彼女へ指導する役目を仰せつかった。 私も一人前に仕事ができるまでには成長していなかったが、それでも1年間の経験を伝えたいと自分なりに誠意をもって接した。ところが、ある日を境に彼女が私に対して壁を作り始めた。特に二人だけになった時には、声をかけても返事が返ってこない。 当時の私は人生経験が少なかったので、自分に問題があるに違いないと悩み苦しんだ。それから2年後私が会社を辞める間際でも彼女の態度は変わらず、結局親しく会話をすることなく私は会社を去った。 それから6年経ったある日、突然彼女から電話あり、私に友達といっしょに会い来たいと言う。数日後私は昼間彼女達をエスコートし、夕方二人を駅で見送った。そして次の日の夜…。彼女から電話があり「どなたか付き合っていますか?」と尋ねられた。その時すでに婚約していた私は、口を開きながら事情を話したことを覚えている。 女性の気持ちは分からないと思った。 今でもなにも分からない。 今朝、朝の散歩に出て、例の小学生の登校を安全誘導しているおじさんの前を通ったら、なんと私に気が付いて歩道を渡ろうとする子供をほったらかして、その場を離れ、私が通り過ぎたとみるや、なにごともなかったように、また誘導し始めた。 おじさんは、明らかに私を避けている。 おじさんは、ひょっとすると私がすきなんだろうか… 私にはおじさんの気持ちが分からない。 私には、他人の気持ちが分からない。 |
私は占いを信じている。と言っても特定の占い師にみてもらっているとか、この人の占いは凄いと言う人がいるわけではない。 単に未来と現在と過去は同時に起こっていると信じているので、占いと言う形、予言と言う形で表すことができると思っている。そして普通の人にはない特別の能力を持った人がいる…と…ただ、そう思っているだけのことである。 そして、そのうえで、占い師に自分の未来をみてもらいたいとは思わない。 この人と結婚して上手くいくかどうか…とか、いつ契約すれば上手く運ぶか…とかという単純な質問で答えられるほど未来は単純ではない。それに上手くいくか、そうでないかは個人の主観であってすべての人にとっての絶対ではない。 私はそう思っている。 そんな私ではあるが、ときたまYahooの占いコーナーの“0学占い”に生年月日を入れてみることがある。 知人に言われて、そこをみてみたら、その占いの0地点(すべてを失うべきとき)の時に、そのようになっていたことを知ったからである。 私は、占いの力を借りずに、窮地を乗り切ったので占いを人生の指針にしたりはしない。 ただ、たまに自分の人生の流れを知るために占いを見てみたくなる。 それは、あくまでも参考に…である。 |
人は生まれた時からの悪人はいないとしたら、いつから悪人になるんだろう。 騙したり、暴力ふるったり、殺したり、盗んだり、奪い取ったり、嘘ついたり… なんでも最初があるんだよね…きっと! 慣れちゃうんだよね…きっと! そして、麻痺しちゃうんだよね…きっと! 死んでしまうか、死ぬような思いをしないと、 普通に戻れないんだ。 だから、そんな最初は、避けないとね…。 最初は、一人だけで考えちゃうんだよね。 自分の近くにいる人に、そんな前兆を感じたら、 そうならないように、一言声をかけてあげたいね。 |
アメリカ人画家で、アンドリュー・ワイエス(1917~2009)という作家がいる。私が彼を知ったのは、十代の後半だった。京都国立近代美術館で日本初の展示会があり、大きなインパクトを受けた。 数年後アメリカ周遊の旅に出た時も各地の美術館で彼の作品を探して歩いたものだ。 私は今、はじめてワイエスの作品に出会った頃の彼の年齢に追いついた。 今日の午後、友人と町の空港のカフェに入った。 2年ほど前に一人でそのカフェでお茶を飲んだことがあったが、その時と同じ席に座ることになった。テーブルの横には背の低い木製の本棚があり、そこには以前と同じ数冊の洋書が置かれており、そのなかの一冊であるワイエスの画集を手に取った。 昨秋、磯江毅の展覧会にいっしょに行った友人は、ワイエスのことを知らなかった。私は磯崎毅も山本二三もワイエスの影響を受けていることを知っている。私は、友人にワイエスと他の作家との違いについて熱弁した。 ワイエスは、描きたいと思う対象を描いている。他の作家は上手いと思われる絵を描いている。 作品に向かう姿勢に、大きな違いがある。 友人に話して聞かせた後で、私自身が改めてワイエスの素晴らしさを感じた。 今晩、家に帰って段ボールのなかに仕舞い込んでいる彼の画集を、引っ張り出そうと思う。 若い時の美的感性が、今でも私の血のなかを流れていた。 それが、私なんだと思った…。 |