私は今、生まれた場所で仕事をしている。育ったのも同じ場所だから、かれこれ57年間この町と共に生きてきた。厳密に言うと学生の時に4年間東京で過ごし、卒業後就職して大阪梅田の一等地にある上場企業で3年間勤めたから、その7年間を除くかれこれ50年間この町と付き合ってきた。
港町にあるこの町は、欧米人と日本人が実生活を通して共存してきた土地で、今でも町のいたるところにその痕跡が残る。
ご紹介する写真は私が5歳だった頃に渥美健一氏という写真家が撮った町の一コマである。
この何気ない風景のなかに、私の当時の記憶を蘇らせる多くのひらめきが詰まっている。
50年という時間の流れは、町を変化させ、作為的に美しく整備を押し進め、観光地化した。
私には、当時鼻を垂らして坂道を駆けあがった時に、狭い路地に面した裏木戸から突然白人の子供たちが飛び出してきたあの頃の思い出が懐かしい。
今では、この町にほとんど白人の子供を見かけなくなった。
この写真の撮られた場所は、現在観光客のたむろする公園になっている。私には、なにか物足らない。町が抜け殻になっていく思いがある。
どうすることもできない大きな打算的なうねりが渦巻いている。
色褪せた一枚の写真を見ながら、私の頭のなかにこの町の当時の記憶をとじこめて、近い将来町を離れる予感を確かなものにした。 |