今日の午後、久しぶりでギター教室に行った。私の予定が立て込んでいたもので、行く前に教室到着時間とレッスン時間を20分で終えたいとの希望をメールで送り、了解を得て車に乗った。 幸いレッスン場には他の生徒はおらず、すぐに弾き始め、予定通り簡単なレッスンを終えて帰ろうとしたら… 「いつもお願いばかりしているけど、あなたには今作成中のギター練習法のDVDのカバーデザインをお願いしたいんだけど…。」と呼び止められた。 今年も、ギターの先生からコンサートのチラシやらプログラムやら、加えてCDカバ―のデザインまで依頼が続きそうである。 まぁー、今のところバイオリズムは上昇傾向だし、たいした時間がかかるわけではないから、作らせていただこうと思う。よほど私のデザイン力・感覚を気に入っていただいたようだ。 先生からDVDの内容を聞かされただけで、頭のなかにデザインのアイデアが浮かんできている。こんな時はけっこういい作品に仕上がるはずだ。 なんてことを思いながら、急いで会社に戻って仕事した。 やることは、いっぱいあるのだが、適当に寄り道しながらなすべきことを全て進めて行こうと思う。時間がなくて手が回らないと考えたら、ゆとりのない面白くないものしかできないし…、今年は、たまに深呼吸しながらリラックスして物づくりに励みたい。 |
私の好きな言葉 “桃李不言下自成蹊” “静坐観雲起” “人生に夢があるのではなく、夢が人生を作る。” そして最近よく言う言葉 “幸せはいつまでも続かない。辛いこともいつまでも続かない。何が起こるかわからない。人生な何が起こるか分からない。” |
私は、自分が勉強好きではなく、特に記憶を必要とすることが苦手であることを知っている。そして、そのことが社会に出て大きなハンディにならないことを、学校を卒業し上場企業に入社して半年で気が付いた。記憶力・直観力・洞察力・実行力をすべて持ち合わせている人があまりいないと気が付いた。 それぞれの人は、他人よりなにか優れた部分が持っているが、反面劣るものを持っている。 劣っている部分を隠さず、人前で晒すことができるようになると、優れた部分が浮き上がってくるように思う。自分の劣る部分を隠してしまうと、自分の優れた部分を見失うし、他人に自分の優れた部分を気づかれずに素通りされてしまう。 そう考えると、劣っていることを卑下することなく、胸をはって認めることは、自分の可能性を広げる第一歩に違いない。 勉強が好きではない私は、他人より劣るところと優れたところを、誰にでも話して聞かせることができる。誰よりも自分を知っている。 私は、今、なにかする時に他人と同じ方法をとりたいとは思わない。今でも常に自分の価値感で他人がやらないことを手がけたいと思っている。 そんな勉強嫌いの私には、まだ未来における可能性が開けているように思う。 |
今年の2月に69才になる独身を通したマダムは、老舗旅館の次女である。旅館は長女が継いだ。 マダムは35年前に私の町で最初にシェフを雇った町場のフランス料理店のオーナーになり30年続けたが、時代の流れに外れ閉店し、今の場所で一人だけのカフェ&バーを始めて5年になる。 フランス事情に詳しい人から、最近のフランス人は、結婚する前に同棲してみることが一般的で、いっしょに住んで、本当に共に生きていける相手か確かめるという話がでた時… 彼女は自分の結婚感を話した。 「もうこの年で結婚はしたいと思わないけれど、好きな人ができれば1週間に一度ホテルで会うだけのスタイルが理想だわ…。」 若かりし頃に同棲した男性の借金を抱え苦労した彼女は、べったりいっしょに生活する共同生活に懲りたようだ。 彼女と違って、私は結婚も同棲も拒否はしない。ただ一度離婚を経験した私にとっては、結婚はゴールではなく一つの選択肢に過ぎない。 私の理想は3つの家が存在する関係である。お互いに個人の住まいがあり、そのうえで一緒に住まう家がある。1週間に半分は一人で過ごし半分は一緒に過ごす。そんな関係が最高だ。人間関係を新鮮に保つためには一つのあり方だと思う。お金はかかるだろうけれど…。 思いもよらない事から、離婚を経験した私も、今から出会う未知の人と、べったり生活することに抵抗があるのはマダムと同じだ。 人それぞれに考えがある。それぞれが経験を繰り返しながら、新しい経験に向かう。 さて、私はこれから結婚することがあるだろうか…今の自分には分からない。 |
今日は、一日家にいた。料理したくて、スーパーに食材を買いに行った。 買った食材は ・パスタ ・キャベツ ・レタス ・冷凍ポテト ・グリンピース ・ベーコン ・オニオンスープ缶 ・チーズ これらをぶっこんで、炒め煮込んでソースを作り、パスタにかけるだけ… 味のベースはオニオンスープの味だから、私の味付けとは言えないかもしれないが、ともかく最近この缶詰にはまっている。玉葱を炒め煮込む時間が短縮されるから出来上がりまでの時間も早い。前回は、スープ缶をベースに大豆(白いんげんの代わり)とトマトを入れ“カスレ”もどきを作った。なかなかのできだった。 今日は食べ過ぎ、自分の料理は美味くていつも食べ過ぎてしまう。明日の朝は間違いなく体重増加の予定…。朝から節制予定だ。 玉葱の缶入りスープ、あなたもお試しになりませんか…。 |
私は6年前に緊急入院し手術を受け、退院後数か月間は、やたらと気が短くなって物にあたったり、人にあたったりした時期があったけれど、その時期を乗り越え、心の中が整理できてから、いろいろなものを手に入れたように思う。 なにに対しても諦めないこと 障害があっても、それを乗り越えるための方法が必ずあること そして、待つこと 自分の周囲をチャンスが回っていて いつでも手を伸ばせるようにタイミングを計っておくこと 自分と全く同じ考えを持っている人は絶対にいないということ しかし相手の気持ちを理解しようと接すれば、話し合いは可能だということ いつまでも幸せは続かないこと 辛いこともいつまでも続かないこと 人生なにが起こるか分からないこと 自分を中心に世界をまわすということは 他者と戦って勝ち取るということではなく 他者の気持ちを推し量って 自分の内に他者を包むということ 多くのこと知り、そして多くのものを手に入れた。 私の心が、音を立てて大きくなった。 今日も諦めずに新たな提案を試みて、受け入れられた。 なんて、私の人生は変わったことか…。 私を中心に世界が回る。 |
今朝遅めの散歩に出たら、横断歩道で小学生を安全誘導しているおじさんの横を通った。80才近いその人は、並んで子供たちを迎える学校の校長先生やら通り過ぎる大人、通学の中学生、もちろん小学生に愛想よく「おはようございます。気を付けていってらっしゃい。」と声をかける。しかし、私が近づくといつも顔を横にそむけ無視する。そこで私のほうから「おはようございます。」と言う。すると私の顔を見ずに「おはようございます。」と言う。 おじさんの、他の人と私との対応に、どうしてこんなに大きな差があるんだろう…といつも悩む。 私の人相が悪いとでも言うのか、私の身なりが気に入らないのか、私の発するオーラが嫌いなのか、或いは前世で敵同士の関係だったのか…いろいろ考えるが、もちろん話したことがないから分からない。 私は、そのおじさんの方から、他の人に言うように笑顔で「おはようございます。今日は冷えてますなぁ。」と言って欲しいのだろうか…。どうもそれも分からない。なんだかいつもすっきりせずに彼の横を通り過ぎる。彼に会わない散歩コースを選択することもできるのだが、そうしたら彼に戦わずして負けた?ような気がするから、その道は選べない。 私は彼に自分の思う通りの反応を期待しないようにしようと思う。そうしないと私の人生は彼を中心に回ってしまう。こんな些細なことで自分を失いたくない。 今度おじさんの横を通ったら、「おはようございます。」と笑顔で声をかけて、何も考えずに通り過ぎようと思う。小さなことで足踏みしたくない。自分のペースで生きていたい。 世の中には、どうでもいいことがいっぱいある。立ち止まって考えてみるほど大切なことか否か…一瞬で見極められるようになりたい。 |
今朝、この冬初めて通勤途中の山道が吹雪いていた。周囲の人は「今年は寒い!寒い!」と、つぶやくが、私の家の近くに流れる小川は、川面の表面全体が氷で覆われることはないし、昨年のように何日もせせらぎが途絶えることはない。多くの人は1年前の寒さの記憶を消し去ってしまったように思う。常に、今が一番厳しい時だと思っているようだ。 去年の冬は、手袋と耳当てがないと朝の散歩に出られなかった。今年は一度も手袋をしていない。雪が降って、いたるところで道路が閉鎖され、普段車中45分の帰路に5時間かかった日もあった。 私は、厳しかったこと、辛かったこと、心から楽しかったこと、幸せだと感じたことを記憶に留めていたい。そうすれば、今から起こる人生の波は、忘れてしまう人生より小さなものに感じるだろうから…。 地震の記憶も、津波の記憶も、大切な人と過ごした時間も、大切なものを失った悲しみも、消し去ることなく心の中に育んでいたい。 そのほうが、強く生きていけるから…。 |
昨晩マダムのお店で二か月に一度開かれるワイン会に参加した。相変わらずワインの説明を受けても覚える気持ちがないから、全く頭に入らない。かろうじて記憶に残ったことは、フランス北部のワインは気候が厳しいから渋みがあり、南部のワインは温暖な気候で育つから概してまろやか…ということくらいだろうか。ひょっとすると、このことさへ間違って覚えたかもしれない。 確かなことは、私に高級ワインを飲ませても、もったいないということだ。 マダムの店を早めに出て、今月で店じまいするというバーに行った。人の好いマスタ―が酒を作るこの店はある時期我が町の酒好き(遊び人)のたまり場になっていたのだが、マスター自身が年をとり時代の流れが変わり、徐々にお客の足が遠のいて店を閉めることになったのだろう。 我々以外にお客がいなかったらどうしようと思いつつ扉を開けた瞬間、然に非ず、以前ように熱気ある空間がそこにあった。カウンターにいた先客に席を詰めてもらい、やっとのこと時間がかかって出されたサイドカーを一気に飲み干し席を立てば、忙しくて行き届かなかったと詫びを言いにカウンターから出てきたマスターが、「どうも有難うございました。ここで失礼します…。」と見送ってくれた。 結局、私が店にいる間、この店が閉まるという話はだれの口からも出なかった。変えられないマスターの運命を知って、以前と同じように店でお金を使い、以前と同じように、また来るねと言わんばかりにマスターの顔を見に来た常連客が集っていたのだろう。 マスターもすべての客も、このままが続かないことを良く知っている。確かにこの店が大人の店だったことを思い知って、私は冷たい夜風の吹く石畳の歩道に立った。 |
昨日あるレストランの55周年のパーティ―に参加した。300人以上が参加していただろうか…。老若男女の客といいたいところだが、ほとんどが30才半ばの三代目の社長の知人のようだから、多くの男女が集まっていたには間違いないが老は少なかった。この店がオープンした時私は2歳だったわけだが、そんな私はこの日の客のなかでは年寄の部類に入る。 この店の一族は、我が町の高額納税者であり豊かな家庭である。昔から子供に対する教育も徹底していて、例えばもの心ついた4人の子供たちと両親…合わせて6人のなかから、毎年一人が自分のやりたいことができる家族予算をもっていて、自分の順番になると留学したり、フランスやイタリアの一流ホテルに勤めに出たり、好きなものを買ったりできたそうだ。 そんな環境で大きくなった子供たちは、医者の妻となった長女を除いて全員が事業家として成功している。55年店が続いて300人の顧客を集める底力の理由がまさにそのあたりにある。 偶然にも、前夜、頑張ったけれど店じまいするショットバーのマスターに会いに行った私は、長年にわたる事業継続を可能にするノウハウを子供のうちから叩き込まれた一族の素晴らしさを思わずにはいられなかった。 昨晩、先代の両親はパーティーに出席していなかった。すでに代が変わった証とでも言うように…。 成功し、代々継続するための方法が確かにあるのだろう。そしてその方法を確立した一族のなかでのみ受け継がれるということが、まざまざと理解できた一夜であった。 そんなことを考えながら、年より客の私は、誰よりも早く店を後にした。 |