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SOLILOQUY

ひとりごと

 
January 13, 2012 13:50:41

経験

カテゴリー: 日記
私が6年ほど前に“大動脈解離”という病気が発症したとき、救急車で運ばれた病院で正しい病名が診断されず、どことは言えない体の内側から突き上げてくる痛みを感じつつ、痛み止めを投与されながら病室に一人寝かされていたことを、ふと思いだした。
眠ることのできない痛みでじっとしておれず、体をよじり、目を見開いて天井や壁を見つめていた。

あの時、自分がはじめて経験する強い痛みを感じている時、世の中には今自分が感じている痛みより、もっと激しい痛みがあり、例えば死につながる痛みというものがあって、その痛みに比べれば自分が感じている痛みは、まだましに違いないと思った。

後日病名が判明した時、その時自分が死にかけていたことを知らされた。
あの時にあの痛みを知ったから、人生にそれ以上の痛みがあることを理解できるようになった。
あの時以来、生きるということが、肉体を通して感覚、感情を経験することだと知った。

私が入院した時に、全く同じ病気だと診断された私よりずっと年上の知人がいる。彼は解離の始まりの部位が心臓から離れていたので手術をしなかった。今では私以上に無理ができない体だ。彼は昨年前立腺癌の手術を受けた。
昨日、彼と久しぶりに病気の話をした。
彼にとって“死”は身近な存在のように思う。そして“死”を怯えている。だから私の理解する“死”について話した。すると、楽になったと彼は言った。

自分のなかに、“死”を経験しようとするものが存在していることを、認めるかどうか…。
そしてその存在を自分と認識できるかどうか…・
生きるということは、“すべてを肉体を通して経験すること…。”だと私は理解している。

知人は、私にそのことを他人に話し広めるように勧めた。
しかし、私はそれが私のなすべきことだとは思えない。

しかし、あなたにだけは、話しておこうと思った。