以前仔羊を食す会のあったレストランで、明日フランス産オマールを食す会がある。私はこのたびも参加するが、正直言ってあまり気が進まない。10人一卓で家庭的な雰囲気の演出をシェフと奥さんは考えているのだろうが、仕事ならともかくお金を払ってプライベートで、知らない人といっしょに食事をしたいとは思わない。ところがメンバーが以前とほとんど同じ・・・ヨガ教室の親子に歯医者さんに薬剤師さん、それに謎の陶芸家(私よりかなり年配の彼は、この度は凄い美人の彼女を同伴するという)だから本当に話をしたことのない人は三人だけ・・・。顔を合わせたことがあるのも問題で、前回ヨガ教室の先生に「近いうちに教室を覗きます・・・。」と言ったものの、当然行ってないし、行く気もない。前回謎の陶芸家から「血圧下げるのに根昆布がいいよ・・・。」と言われ「一度試してみます。」と答えながら試してない。儀礼的な挨拶だと思って気にすることはないのだが、気の小さい私には、気がかりだ。 まぁ参加することに違いないから、今回も適当に話を合わせて、それはそれで楽しまなくちゃー・・・。 しかし、今回はワインの持ち込みは止めることにする。この決断が前回の食事会での一番大きな学習事項かもしれない。 |
昔、男は獲物を追って野山を駆け、家族に食物を持ち帰った。 昔、男は地を耕し種をまき、世話をし、収穫時期を待って糧を得た。 昔、男は網や銛を持ち海に出て、太陽に体を焼かれながら獲物を待った。 昔、男は地を守り、自分の地を広げるために、命がけで敵と戦った。 昔、男には守りたいものがあった。育てるものがあった。戦うべき理由があった。 今の男の手には、槍も弓も刀も盾も銛も網も鍬もない。 今の男の手にはパソコンキーがあり、自分だけの仮想空間でヒーローとして守り、育て、戦う。その意味は辞書のなかの言葉として知っている。 しかし、自分に一つしかない本物の命をかけて、本当に育て、守り、戦うことを知らない。 昔、男は相手を叩きのめす力がないと生きていけなかった。しかし今は頭が良ければ生きていける。頭だったら女性との優劣の差は小さい、あるいは逆転する状況も多々ある。 ついこの間の昔、平均寿命が40才未満だった頃、子孫を絶やさず、より優秀な血をもとめて子作りに励まなければならなかった。しかし、さらに高齢化社会へと向かう今は、人口増加への生物の抑制本能が当然、機能し始めた。 男の価値って、これからの時代なんなんだろう。 戦う本能をもった女性が増えていくなかで… 自分ながらに“なでしこジャパン”を考え…思った。 |
日曜日にパン屋の主人がやってきた。新規出店を考えている場所(建物建設中)との契約が、半年前から思うようにすすまない・・・とポツリと言った。別にいらついていたり、怒っている様子でもなく、淡々と話をするもので、私が答えることもなく続けて話を聞いた。「数年前だったら、短気に、こちらから仕掛けたけれど・・・今は待てるようになった。状況の変化を眺められるようになるのも経験かな・・・。」と言った。この感覚については、私も同感で若い時は、喧嘩腰で向かっていったり、すぐに別の対象に視点を移したりしたけれど、今は待てるようになった。待つということの大前提は、目の前に現れる現象はすべて自分にとって必要なことしかないという信念かしら・・・。状況の変化のなかで、見極めよく必要なものに手を伸ばすことが経験だと思う。彼は続けてこんなことも言った。「30才くらい年齢差のある自分と異なる意見を持った右腕がほしい・・・。以前は同じ意見を持つ人間を傍におきたかったけれど、それでは時代のズレに対応できないもんな。」と・・・。このことについては私には分からない。もう部下を持ちたくないから・・・。彼の話を聞いていると彼自身が年をとったんだと思った。少し会社経営に疲れていると思った。若さというものは、周りを気にせず、自分の信念に向かって突っ走る事・・・私は今でもそんな若さにも魅力を感じる。 経験の話をしている自分自身に老いを感じたひとときだった。 |
お恥ずかしい報告をさせていただきます。私は免許をとって以来無違反(自ら山に突っ込んだ、相手のない事故以外は)無事故を続けてきたが、その記録が途絶えた。今朝仕事をしようと思い、いつものように車で家を出た。その時雨が降っていたものだから、毎日通る山道を走ることを避けトンネルを抜ける安全な道を選んだ。トンネルを抜け急カーブをスピードを落として通り過ぎたところで車線減少の赤い三角帽の道路標識を発見、続いて道に漏れ出したガソリンの上にまかれた赤い土が見えた。これは事故だと思いながらカーブを曲がりかけたところで警察車輌と事故車を発見、一瞬気をとられた瞬間、前方に視線を戻すと前の車が渋滞で停止しており、ブレーキを踏んだ時には既に時遅く、そのまま突っ込んだ(いわゆるオカマである)。幸い低速でぶつかったため、両車輌とも走行できなくなるような大事ではなかったが、前方車輌の同乗者に年配のご婦人がおられ、病院での診断の結果によっては人身事故と判定される可能性もある。すでに発生した事故の現場検証のために立ち会っていた警察官も事故当事者も、目を丸くした一種の二重事故である。私は先の事故で立ち会っていた警察官の事情聴取を受けることになった。 私の免許に初めて傷がついた。でもそれは仕方がない。乗っていた車のフロント部分が損傷しボンネットが浮き上がった。でもそれは仕方がない。自分が悪いのだから・・・ 相手の車の後部が損傷した。それは申し訳ない。むちうちの診断が下され人身事故になるかもしれない。それは申し訳ない。 すべての人に大きな怪我がなくて良かったと思う。そして相手の方がまともな方(これから変わるかもしれないが・・・)で良かった。 気を引き締めようと、心から思う。 有難うございました。と・・・心から思う。 |
一昨日、友人から電話がかかってきて、松本一志の新作“さや侍”を観に行こうと誘われた。 実は、まっちゃんのこれまでの作品“大日本人”も“シンボル”も同じように彼に誘われた。二人とも“松本おたく”ではないが、互いに和もの洋もの問わずかなり多岐の映画を観ているほうで、松本の作品は、一般の映画評論家の感想とは違う印象をもつものだから、実際に観ておかないと気がすまないというわけだ。昨日映画館前で待ち合わせ11時45分スタートに合わせて座席についた。平日の昼間ということもあり予想どおり、館内がらがら・・・映画が始まって、最初の2分間、カメラワーク(画像のバランス感覚)と音楽のマッチングが、一級映画のそれのようで、期待を裏切られた感があったが、徐々に笑えるシーンが出てきて安心・・・。それでも最近の寝不足のせいで、前半は数分寝てしまったかもしれない。後半になりテンポが早くなり、面白いのに笑えないシーンが続き、ラストの修行僧が手紙を読み上げるシーンでは涙が流れた。このシーンについて、友人に“ダンサーインザダーク”の映像に重なったと話したところ、「松本一志は自著のなかで、自分の好きな映画としてダンサーインザダークを絶賛していますよ・・・」と返ってきた。思わず「じゃー私は、いいところを押さえていますね・・・」と答えた。こういう会話ができるから彼と映画を観に行くのが好きだ。 さて、“さや侍”が映画として良かったかどうか・・・という点で、他人から聞かれたら微妙なところだ。私的には、大変良かったのだが、一般的にはどうだろう・・・私は彼の映画を映画としてみていないところがある。彼のものづくりのセンスを楽しみに映画館に行くという感じかな・・・ それでも一言コメントするとしたら、松本一志が絶賛するシンガーソングライター“竹原ピストル” 彼のラストのパフォーマンスを体験するだけでも行く価値があると思うのだけれど・・・ もし私の感想をもとに観に行って面白くなかったとしても、私のせいにしないでね・・・ |
昨日仲間と話をしていたら、昔は私たちの街に“粋な男生と素敵な大人の女性”が沢山いたけど、今はいなくなってしまった・・・と言う話題になった。仲間の年齢が35~45才くらいだから、“昔”というのはバブルの頃のことで、おそらく自分たちが子供ながらにかっこいい大人への憧れをいだいていたのだと思う。結局私たちの町だけでなく日本全国どこにも、かっこよくお金を使える町がなくなってしまったということで話は落ち着いたのだけれど、引き続き韓国人男性がかっこいいという話になり、彼らは礼儀正しく、ハングリー精神があり、仕事に対する姿勢も真っ直ぐで、日本人男性が忘れてしまった魅力があると・・・韓国人男性絶賛で場が盛り上がった。一言添えておくとKポップや韓流映画のことだけを言っているのではない。その会は女性経営者も参加していたが、なかにはサムソンと特許契約を結ぶ男性経営者もおり、それこそ、話の裏には今のままでは日本が世界から取り残されるという危機感を暗示していた。 話が盛り上がるなか、私自身が、なんだか肩身の狭い思いがしてきた。 伊達公子もサッカーも女子のほうが頑張ってるしなぁー 明日から、服装をちょっと変えてみるかなぁー でも急に中身は変わらんしなぁー |
昨日ある会議に出席したら、知人のIT関係の学校経営者がfacebookのことを話し始めた。「facebookで100人友人がいる人がいて、その人が毎日自分の周囲に起こったことを書き込んだとする。仮に100人の3割の人がその文章を毎日読むとする。そこからその30人の人達を通して、その内容がそのまた友人に広がって行く…馬鹿にならないのよね…facebookやTwitterとかの情報伝達力…自分もよく書き込んでるけど、この間も全く知らない人から自分が書き込んだ内容について声をかけられましたよ。」と言うものだから、話に割って入って突然「握手してください。」と彼に右手を差し出した。彼は「えっ、どうしたんですか。」と怪訝そうにではあるが握手した。私は「この間アル・ゴア(前アメリカ副大統領)と握手してたでしょ…」と言った。彼が以前facebook(二人が握手している写真付き)に書き込んだ内容を知っている私は、気をきかして、写真と同じパフォーマンスをしてみせたのだ。すると彼は「一瞬躊躇しながら、ほら、こう言うことなんですよ…」と続けたが、その次の言葉が出てこない。しばらくの間沈黙が続いた。数秒後、私は彼の話の腰を折ったのだと悟った。 これからは、会議中の余計なパフォーマンスは絶対止めようと心に誓った。 |
以前ギターの先生は、一昨日のピアニストのことを“すっごい美人”と私に言っていたので、お会いするのを楽しみにしていたが、当人に会って納得したのは先生の美人の概念が分かったこと・・・私の好みとは違う・・・ということだ。勿論ピアニストが美人でないわけではなく、魅力的でないということではない。先生と私の年齢差が7才だから、そんなに年が離れているわけではないので、お子さんも大きいと言うピアノの先生の年齢は想定内であったけれど、明らかに私の好みとは違うおばさんだった。しかしピアノを弾き始めると、思った以上の素敵な音色を奏ではじめた。音楽家の先生にとっては、やはり音楽の才能が美人度でもプラスポイントになっているのだろうか・・・ 因みに、私の女性の好みを言うと、髪はショートカット・化粧はあまり濃くはなく、スリムで知性的・・・私自身、好みを公に言える人間ではないけれど、一応ストレッチ、適度な筋トレ・リンパマッサージ・食事のコントロール等毎日実行しているし、自分で言うのは軽いと思うけれど、30才代の人にはいつも45才位に見られるし・・・ あっ、また言ってしまった。 性格はナルシスト・・・ もうお分かりだと思いますが、幸せな人間でございます。 先生たちの第一回めの、デュオのコンサートは9月30日に決定・・・。ピアニストの新たな魅力に出会えることが楽しみだ。 |
昨日は、ギターの先生が私の知人のオーナーシェフのフレンチレストランでランチをご馳走してくれた。生徒が先生からおごられる理由は、デザインを頼まれたリサイタルのプログラムの評価が良かったこと…、リサイタルの際にカメラマンを引き受けたこと…、そして何度か練習で使用した私の会場で、今度女性の美人ピアニストとデュオのコンサートを開きたいと考えてる…こんなところだろうか…。先生夫婦を囲むランチのメンバーは、女性マネージャー二人と、私と、美人ピアニストの計6名。食事のあとで同じビルの1フロアー上の会場で、演奏しながら二人が初めて互いの音楽論を議論する場が設けられている。 食後、会場に移動して私を含む傍観者4人は音楽家同士の演奏と会話に聞き入った。クラシックではチェンバロとクラッシクギターの楽譜はあるらしいが、ピアノとギターのための曲は特にないらしい。お互いの楽器の音の出方(弦楽器と打楽器)表現力・余韻・音の幅等、話は際限なく広がっていった。 私は、この日もカメラマンを頼まれていたため、撮影に集中している時は二人の話を聞けなかったが、ファインダー越しに私の先生がやけになごやかに話をしていたことに気がついた。おそらく先生は美人ピアニストと二人だけで話をすることに、とりまきの女性人の手前抵抗があり、傍観者を仕立ててこの場をもったのでは…と推測する。別にどうでもいいことだけれど。 先生達の帰りしな…8月13日の県立美術館での先生のミニコンサートの際に来館者に渡すチラシのデザインを頼まれた。今日のランチには、そのチラシのデザイン料も一部含まれていたに違いない。 また、いいのを作らなくっちゃー、結構高いランチだったと気がついた。 |
昨日JR大坂駅の駅ビルに行ってきた。先週の土曜日にも同じ駅ビルでランチする場所を探したら、11時過ぎで長蛇の列ができている店があり、土曜日だから仕方ないのかな・・・オープンして間もないから・・・と思ったが、月曜日の昨日も念のため11時の早昼しようと飲食フロアーを回ってみたら、土曜日とあまり変わらない込みよう。空いている店もあるにはあるが、おそらくテレビで紹介されたお店は11時で“只今2時間待ち”の張り紙がしてあった。私にとってはとんでもない事で、2時間待って食べたいものは、この世に存在しない。2時間あったら、他に楽しいことできるのに・・・と思う。列に並んだ人の多くは、その店のことを悪くは言わないのだろう。まだ行ったことのない人に「あの店おいしくなかった。」と言うより「さすがに並ぶだけの価値のある、おいしい店だった。」と言うほうが、待った自分を許せるように思う。数年前、田舎の住宅地に忽然とテーマパークのように出現したロールケーキの店に10時開店だから10時少しまえに車で乗り付けたら、すでに長い列ができており、ロールケーキのためだけに、やって来たものだから、買わずに帰るわけにも行かず、さすがにこの時は並んだけど・・・並んだ人は、注文するまでに時間がかかったものだから、1個や2個で終わるわけがなく、みんな10個、20個と注文していた。そのぐらい買わないと待つという時間の消費の元を取れないとでもいうように・・・。はじめから営業戦略として計算してたらたいしたもんだ。 この日、私たちは列のない中華料理の店に入って正午前には食べ終えた。延々と続く入店待ちの人達の列の間を抜け、違うフロアーの和菓子のお店でお茶をしながら話をして、またまた有名ホテルのカフェで三時のお茶をして、7ヶ月振りの有意義な友人との出会いは5時に終わり神戸に向かう電車に乗った。 でも、少し・・・並んでたお店の料理も気になるな・・・。 |