自分がアンラッキーだと思って人生につまずく人は、同じ失敗を繰り返すように思う。うまく運ばなかった理由を“アンラッキー”の一言で片付けてしまうなんて、あまりにも横暴だ。私の近くにいる元財閥の御曹司は、自分で興した事業の失敗から7年前に全財産をなくし、その後、人の下になる道は選ばず、一花咲かせるべく新事業の展開を目指している。私の知る限り7年間で五つ以上の事業を立ち上げたが、すべて中途で挫折を繰り返した。毎回「どうしてうまくいかないんだろう」なんて不運を嘆いたり、この間なんか「時代に早すぎた」なんて世の中が悪いような事を言ったりしているが、客観的にみて彼が失敗するには、そうなるだけの理由があって・・・失敗した後に、検証不足で、自分の非をしっかりと認めておらず、金銭欲が前に出て、育ちで身につけた自分の本質とはかけ離れた商売気をだすものだから、徐々に周囲の友人も離れていくという痛ましい状況が起こっている。 アンラッキーなんて人生には、ありはしない。すべての人にチャンスが与えられ、すべての人に重荷が課せられ、すべての人に新しいステージへの道が開かれている。 “アンラッキーなんて人生には、ありはしない。” ラッキーなんてないように、アンラッキーなんてありはしない。自分の目の前におこるすべての事象に意味がある。その人に出会う理由、その人と分かれる理由、うまくいく理由、失敗する理由・・・心底、そう思うことが、次のステージに進むためにゲットしなければならないビッグポイントに違いない。 彼の成功を祈る前に、彼が失敗の原因をしっかり自分のなかに見出すことを願いたい。 |