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SOLILOQUY

ひとりごと

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September 20, 2010 20:27:16

契約

カテゴリー: 日記
今日は祭日だが、午前中にある会社と“契約”を交わした。私は、これまでに多くの契約をおこなってきたが、契約書を引っ張り出してきて、それが役立つ時は、トラブルがあった時だけ・・・、両者の関係がうまくいっている時はその存在さえも忘れている。だから契約とは、トラブルがおこることを前提に取り交わしているという思いが強い。私が契約を守れなかったことが何度かある。あるときは弁護士や税理士の協力を得て、一般個人に迷惑がかからないように合意点を見つけながら乗り切った。結婚式の時には神に誓いをたて、数年後にその契約を破った。今度結婚式をすることがあったなら、二度と神の前では誓わないでおこうと思う。いや、離婚することが前提で結婚しようと言うわけではない。神の名の下に契約するのではなく、自分自身のゆるぎない思いのなかで誓うということだ。契約とは、状況の変化で未来において裏切ったり、裏切られたりする可能性を秘めたこと・・・という概念を持った私だけれども・・・これからの人生では、自分の言った事、約束した事を違えるような、そんな自分自身への裏切りのない堂々とした人生を過ごしたいと思う。

ともかく、仕事以外で契約を交わすことは避けたい。大切な人との間では、お互い信じあって状況の変化も分かり合って共に進んでいける関係を築くことが望ましいだろう。

今日の契約が将来いかなるトラブルにも進んでいかないことを祈りたい…。
September 19, 2010 20:11:49

感情

カテゴリー: 日記
ギター発表会が近づき音楽について考えていた。いい音楽とはなんだろう・・・楽譜というものが全てであったなら、そのとおり演奏すれば・・・もしみんなが、そう演奏できたら全てが同じ音楽になるはずだけれど、実際にはそうではない。と…言うことは楽譜には記されていない大切なことがあるに違いない。楽譜には(強い)(弱い)の記号があるし、(ゆっくり)とか(はやく)の記号もあるけれど、(強い)も(ゆっくり)も演奏家によって感じ方が違う。きっと(感情)と言うものや(思い)と言うものは言葉や記号では、全てを表せないもので・・・仮にもし出来たとしても言葉や記号では全てを表そうとしないほうが良いのかも知れない。人によって受けとり方が違ってくる曖昧な部分が人間には大切で・・・それが一人一人の個性や能力になるのではないかな・・・。現代人は社会生活を行ううえで感情を抑えて生きている。他人に説明できないけれど・・・いとおしく思う人や物があっても、それを秘密にしていることがあるし、頬をこぶしで殴ってしまいたいほど憎い相手がいたとしても、理性やら羞恥心やらプライドが働いて、たいていは衝動を押さえ込む・・・私たちは普段、本来自分の内側に介在する原始的な感情の1割も表に出していないのではなかろうか・・・人は解き放たれた感情に故郷のような安らぎを感じるのではないだろうか…感情を解き放つシチュエーションの一つが芸術や宗教であり、特に音楽はタキシードやフォーマルドレスを凛と身にまとって原始の感情を大衆に晒す・・・なんともアンバランスな行為のように思う。さもおとなしそうに挨拶して、歌いはじめたら腹の底から内臓を吐き出しそうな勢いで大声を張り上げる・・・そして、歌い終われば、またおとなしい人格にもどる。やってる方は公衆の面前で見せる…この感情の落差がたまらない魅力で病みつきになっているのではなかろうか・・・聞いている方も自分も持っている原始の感情を目の前にして自分もすっきり・・・なんてことが音楽の魅力ではなかろうかと考えてみた。
自分では、実にうまいことを考えた・・・と今、気持ちよくなっている。
さて、この考えを自分が実践するとすれば、この度のギター発表会で仮面をつけるという私の狙いは大正解・・・理にかなっているに違いない。プロフェッショナルは素顔のままで自分のすべてを晒すことができるかもしれないが、未熟な私が感情を晒すためには、仮面の力を借りねばならない。

音楽におけるあらゆるテクニックは感情表現するために身につけるものに違いない。発表会のレベルではテクニックだけで演奏する人ばかり、感情表現ははるか彼方のお話・・・テクニックの未熟な私が感情を前に出して演奏したらみんなびっくりするだろうな・・・
夢想にふけっている私は実に楽しい・・・しかし現実は、そううまくは運ばない。私は全てを晒せないことを自覚している・・・そしてなにより技術が不足し過ぎている・・・
September 18, 2010 22:32:50

爪飾

カテゴリー: 日記
私の良く分からないものの一つに“ネイルアート”というものがある。最近、爪に装飾を施している人が増えてきたように思う。単色の赤やピンクのマニキュアというものは私が子供の頃から知っていたけれど、いろんな色を重ねたり、金属やプラスティックの小片をくっつけたりする今風の“ネイルアート”が世の中に浸透してきている。(20数年前にアメリカで技術を学んで帰ってきて、日本で広めた人ともその昔、話をしたことがあったけれど・・・。)男性から可愛く思われたいとか異性を挑発したいという思いが化粧や衣類に気をつかわせる一つの理由ということはわかるが、爪に装飾を施す行為は自己満足以外のなにものでもないように思えてならず『それが女性というものだ!』といつも無理やり納得して終わるように思う。

正直言って私は圧倒的に度を越えた“ネイルアート”をしている女性をみると腰が引けてしまう。話をしたいとも思わない。自己満足がダメなどとは決して思わないが、それはそれで、もう少し控えめにしていれば良いのに・・・と思ってしまう。私のこの感性が、私から女性らしい女性を遠ざける決定的理由かもしれない。

私は、装飾ではなく・・・普段の手・指・爪の手入れのできている人に憧れるな・・・
と言いながら、左手の親指と、人差し指と、中指と、薬指の爪をヤスリで研いでいる私である。(但し、ギターを爪弾くために・・・)
September 17, 2010 19:38:33

天才

カテゴリー: 日記
以前お話ししたことのある作家“稲垣足穂”の本を読んでみた。彼は1900年に大阪で生まれ、小学生の頃明石に転居し、青春期を我が町で過ごした。成人して東京と関西を行き来し、壮年期から晩年・・・1977年に結腸癌で他界するまで京都に住まう。どちらかと言えば関西をベースに活動した作家である。谷崎潤一郎同様、我が町の戦前の様子が多く散りばめられた作品が多いのかと思って楽しみに読んだのだが、このたび私が触れた作品では、ほんの少ししかなかったので・・・そこのところ、少々残念ではあったが・・・ただ、一人の天才に巡り合えたという思いだけは残った。神話・天文学・医学・心理学・飛行学?・科学・哲学…もちろん世界の文学に精通しており、おそらく英語を自由に操り・・・彼の生み出した多様な題材にその底知れない知識が光っていた。私が天才だと信じる作家“澁澤龍彦”に一目置かせ“三島由紀夫”との交流を持った稲垣は、やはり天才だと思う。それにしても1920年~1940年までの間に青年期を我が町で過ごし、その後大成した作家・画家がいかに多いことか・・・きっと阪神間には保守的な環境のなかにも想像力を解き放つ気風、そして新しいものを受け入れるおおらかさがあったに違いない。

さて、私の必要とした文学作品は読み終えた。次のステップに進むとしよう。
ここで一言付け加えると、私は私が天才だと思う作家の作品は、その内容の3~4割は理解できない。澁澤龍彦の作品を読もうとしても、いっこうに次のページをめくる事はない。私が理解できない作品を作る作家を、私が天才だと認めると言うことを告白しておこう。要するに私は自分のことを凡才だと自覚している。
ただひたすら凡人に理解できる物語を作りたいと思っている。
September 16, 2010 19:37:49

演奏

カテゴリー: 日記
私が始めて絵を習った先生は“小松益喜”という洋画家で、週に一度自宅に通って机の上に置かれた静物を鉛筆デッサンした。陶器の壷やら器やら、金属の置物やらガラスの花瓶やら・・・描いていて楽しくは無かったがひたすら描いた。いつも技術的なことはあまり触れずに、描いた絵の批評だけをいただいたように思う。ある時、私より4歳上の・・・やはり絵の道を志す女性に自分の描いたデッサンを見せたら、「この壷は緑色でしょ・・・ちゃんと分かるよ。」と言われた。鉛筆の単一色でも重ね方で色を伝えるられることを知った。「あなたの描いたコーヒーカップは、横の花瓶と同じ平面に乗ってるわね・・・なかなか難しいのよ・・・同じ平面に乗せるの・・・私より上手いはよ…」私は、平面上で不自然なくモチーフを再現することができると指摘を受け嬉しく思った。これまで絵を描くことにおいて、誰からも技術的なことはあまり教えてもらった記憶がない。それよりも人の絵を見て、批評を聞いて、また他人が描くところを見て、そしてひたすら描いた。アメリカの田舎町“STOCKBRIDGE”を題材にした画文集のための水彩画は、描画技法を自ら探りながら描きあげた。
音楽は少し違うように思う。基礎があるかないかで、上達のスピードが異なるし、限界も異なる。もし上達を表す度合いをグラフにするならば、絵画は新しいなにかを得た段階で階段上に上がっていくが、音楽はもっとなだらかな曲線を描くような気がする。“技術と感情”が“繰返し”を触媒にして綾織のように絡みあって上昇へと向かう。絵画は、加筆を止めた時が完成となる。誰かの手で消却しない限りオリジナル作品として、その状態で永遠(?)の命を授かる。音楽はコピーではなく、オリジナルという点に限って言えば、同じものは一つも存在しない。その時々の技術・環境・健康・感情・精神状態等の多くのファクターは、受け手の状況も含め様々に変化していく。
人の心をうつ音楽というものは、演奏者が音を通して感情表現するために心がける精神状態のコント-ロールと技術向上への精進が他のなにものにも増して不可欠だと思う。一度限りの優れた演奏をおこなうための日々の精進は画家やスポーツマンよりも真剣勝負を求められているのかも知れない。

なんてことを言いながら、発表会にむけて俄かギタリストは日々テクニックを磨いている。感情表現までは、まだ遠い・・・。
September 15, 2010 21:36:38

献身

カテゴリー: 日記
昨日、芦屋にある谷崎潤一郎記念館に行った。そもそも私は彼の作品で読んだことのある小説は“細雪”しかない。その他思い当たることは数十年前にテレビ放送されていた映画“春琴抄”を少し見たことがある。禁断の愛を描いていたように思う。“卍”という物語も確か禁断の愛…同性愛を描いていたように思う。そのくらいの知識しかない。この度、記念館を訪ねた理由は、谷崎の小説の描かれた当時の時代背景を感じたかったから…展示物を見ていてある確信を得た。このような文章が展示物のなかにあった。「私は私の崇拝するあなたに支配されることを寧ろ望んでいる者なのです。」…これは小説のなかの架空の文章ではない。谷崎が何人かの好意をもった女性に実際に送った恋文のなかで使いまわした文章である。谷崎は老齢になっても二十歳代の女性に恋していたと聞く…。こそばくなるような文章を見て、谷崎は助平なおっさんだと確信した。しかし時間がたつにつれ、彼は男として、いくつになっても心の底から女性を愛することができたに違いないと思った。彼は年を重ねても純粋というに相応しい思いを女性に向けることが出来たに違いない。私には、逆立ちしても書けない恋文である。私には純粋さが欠けているのだろうか…どう考えても同じようには書けない。私の人生には、谷崎のような出会いは訪れないだろうと…妙な納得をしている私がいる。

私のなかには、献身を捧げられる人に出会いたいという願いはあるのだが…
軽いため息をつきながら、売店で“阪神間モダニズム”という本を買い求め、記念館を出た。
September 14, 2010 20:13:13

元気

カテゴリー: 日記
突然、歴史研究家から電話があり、今日これから会えないか…と言われた。なにごとかと思えば、私に会って元気をもらいたいから・・・?・・・と・・・  40分後、彼は家から直行してきて私の前に立っていた。きっと自分からは切り出しにくいことだろうと思い、私から話を重ねた。私の目指しているものは、歴史研究が主体ではなく、現代人が過去を探るというフィクションのなかで裏付けとして歴史を踏まえたストーリーを作るということで、その意味において、現実に今私が話をしている彼やオーストラリア在住の研究家との接触が将来とても重要なファクターになるという話を切り出した。彼は歴史研究家に必要な洞察力と推理力の優れた人物であるから、瞬時に私の思いを理解した。来月にストーリー作成のチームを作りたいと思い、ついては彼にもメンバーに入っていただきたいと申し出たが、快く了解いただき協力を約束してくれた。
さて、彼の話であるが、以前ここでも書いたことのある例のアメリカ在住の教師をしている女性と最近メールのやりとりが不通になっており、その後発掘してきた資料を送っても全く返事が返ってこないようで、新学期が始まって忙しいのかもしれないが、次から次へと資料を送ったものだから、ひょっとしてやりとりが煩わしくなってしまったのではないかと言うのだ。私は、即座にそれはないと思うとこたえ、それより考えたくはないけれど、体調を崩していたり予期せぬ大事があったのではないかと心配します・・・と言うと、変な話だが研究家はほっとしたような顔をしたように見えた。それでその話は終わり違う話題に向かった。
自分より年長で頭脳明晰な彼のような人に、マイナスに考えないほうがいいですよ・・・想定内を広くしておくことは大切ですが、その一部を掘り下げて不安や心配を膨らませないほうがいいと思います・・・などと言える訳もなく、話題が変わってほっとした。

1時間ほどで別れたが、彼が私から元気を得たかどうか定かではない。彼とはいつも割り勘でお茶を飲むだけで、食事をしたり、ましてやいっしょに酒を飲んだこともない。こんな関係でも友人と呼んでいいのだろか・・・友人の定義が定かでない私は悩むところだ。ともかく、彼が元気になって帰ったことを祈りたい。
September 13, 2010 20:24:57

宴席

カテゴリー: 日記
昨晩、音響の先生についてわが町でも結構評判のフレンチレストランに行った。勿論お客様として高級フランス料理を食べに行ったわけではない。美味しいフランス料理を食べながらお店の提供する高級フランスワインと持ち寄りの自慢のワインをテイスティングする会のイベント・・・シャンソンライブの音響で行ったわけだ。音響と言っても、私がミキサーを操作するわけではなく、あくまでも心筋梗塞を患った音響の先生の体を気づかって機材運びの手伝いをすることが目的だから、私の役目は会の始まる前と終わった後以外はほとんどなにもない。昨晩も夕暮れ前に仕込み(セッティング)が終わり、リハーサルが一息ついたところで、一旦会社に戻り撤収予定時間の9時に再度出かけるというスケジュールだった。戻ってみれば結局食事も終わり、ライブも終わって、皆さんワインの勢いも手伝って“いい気分”の真っ只中…。おそらくは地域の名士の方が多い集まりのようで、年配の方も大勢おられる・・・いわゆる子供がいないせいか、酔いがまわるなかで、突然マイクが向けられても、みんな如才なく応えているし、とても“大人”な・・・人たちばかりで、このひとときを上手く楽しんでいるように見受けられた。それにしても、知事やわが町を代表する起業のトップや小説家や画家が出席していた先日のホテルのパーティーにしろ、今日のパーティーにしろ、日本が景気悪いと言ってもお金を使うところは、みんなちゃんと使っているし、バブルの時のように馬鹿騒ぎせずに、日本人もパーティーをやっと力を抜いて楽しめるようになってきたのかな・・・と、この数日のイベントを客観的に見ていて思った。

それはそうと、今月これから私が出席を求められている宴席(ちゃんとお客様として)が三つある。全部出ると少ししんどい感じ・・・二つは気軽な会なので顔だけ出してすぐ失礼しようと思う。一つはキャンセルするつもりだが、この会は一人では行きにくい。どうしてもフォーマルに近いパーティーはパートナー同伴のほうが周りから見ても安心だ。今回は、遠慮しておくことにしよう。次回は断れないかもしれないから・・・そのときまでに・・・そう・・・なんとかエスコートするパートナーに声をかけておかないと…
September 12, 2010 11:11:36

浦島

カテゴリー: 日記
昨日、不思議な経験をした。寝ていて、起き上がったら周囲がそれまでと違う世界に変わってしまった。一瞬、浦島太郎状態だ。「どうなってしまったんだろう?」と考えた。前を見ればさっきまでと同じ部屋にいるし、周りにいた人は、そのままいるようだし・・・なにが変わったかと言うと、目の前に霞がかかっていたのだ。この変化に感づいているのは私だけのようで・・・他の人は何事もなかったように普通に会話している。きっとうつ伏せの状態で両目を圧迫していたので焦点が合わなくなったのだろうと納得しようとしたが、今までそこまで視界が変わる経験は無かったし・・・。「視力が急に悪化したのか・・・そんな馬鹿な!」と、不自然に固めた笑顔を保ちながら首を横に向けて周囲を見れば、なっ・・・なんと、隣の治療台にいる人の背中にお灸がいっぱい・・・そこからもくもくと煙が立っていた。私の表情を不思議そうに観察していた先生に「急に目の前に霞がかかったようになって、びっくりしてたんです。」と言うと、「そうやろ、すごい煙やろ・・・消防が来そうやな・・・」
浦島太郎は一瞬で現実に戻ることができた。
うつ伏せのまま、いつもより長い時間待たされたので、その間に煙が充満したようだ。
例のカイロプラクティック治療院での出来事である。

“空気が読めない”とはこのことか・・・一瞬にして自分が周囲から取り残される事…、気がつかないうちに自分がそんな状況に陥る事ってあるんだろうな。今回はすぐに現実に戻れて良かった・・・ ・・・ ・・・
September 11, 2010 23:33:02

カフェ

カテゴリー: 日記
先日、時間潰しにカフェに入った。こじゃれた内装・インテリア…。スターバックスが日本に上陸した時、日本の将来の喫茶スタイルに大きな影響を持つ新業態店舗だと噂を聞き、その第1号店を自分の目で確かめに東京まででかけ、世の中の先どりした気分で帰ってきたことを覚えている。あれから、あっという間に同じスタイルのお店が日本全国に広がった。私が入ったお店も、その流れに乗った我が町のコーヒー豆卸業者が直営で全国展開しているカフェである。セルフサービスでコーヒーを受け取り、ゆったりした椅子に座ると横の本棚に置かれたディスプレイ用の数冊の洋書に目が留まった。表紙を開けると、おそらく古書店でまとめ買いをしてきたものだろう・・・鉛筆で書かれた価格表示があり、文章だけのものは300と表示されていた。なかに一冊だけ、しっかりした装丁の本があり表紙の絵を見てすぐにアメリカ人画家、アンドリュー・ワイエスの画集だと分かった。思わず手にとりページを繰り始めた。彼の絵との初めての出会いは、高校卒業直後、京都市立博物館で開催された原画展であった。作家の自宅周辺の自然や建物や人々を、斬新な構図と熟練した表現力で描きあげた完成度の高い具象画は、絵を志していた当時の私に眩しく写ったものだ。美大卒業後、企業に就職・・・、退職後に、ぶらりとでかけたアメリカ合衆国一周旅行でも、各都市の美術館で彼の絵を探し歩いた。日本に戻ってから、彼の住んでいる街を訪ねなかったことを後悔したものだ。その後、旅行の記録として画文集を出版した後、芸術の分野とは、ある意味正反対のビジネスの世界に足を踏み入れ30年余り・・・、自分の持っている彼の画集を開くこともなく時は過ぎていった。

年代順に並んだ彼の画集・・・私の記憶する絵画が続いた。1980年代以降の作品は見たことがない。どこまで続いてくれるか不安を感じながらページをめくる・・・。1990年代、2000年代と・・・以前と変わらぬ彼の絵があった。私が、人生に翻弄されていた間にも、変わらず描き続けた画家の魂があったのだと思い、なんだか嬉しくなった。
翌日、調べてみれば、彼は2009年1月16日に逝去したと知り、冥福を祈った。

さて私は今、彼の画集に、いかほどの値段がつけられていたか、確かめ忘れたことが心残りだ。私は下世話な人間だ・・・ ・・・ ・・・
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