ギター発表会が近づき音楽について考えていた。いい音楽とはなんだろう・・・楽譜というものが全てであったなら、そのとおり演奏すれば・・・もしみんなが、そう演奏できたら全てが同じ音楽になるはずだけれど、実際にはそうではない。と…言うことは楽譜には記されていない大切なことがあるに違いない。楽譜には(強い)(弱い)の記号があるし、(ゆっくり)とか(はやく)の記号もあるけれど、(強い)も(ゆっくり)も演奏家によって感じ方が違う。きっと(感情)と言うものや(思い)と言うものは言葉や記号では、全てを表せないもので・・・仮にもし出来たとしても言葉や記号では全てを表そうとしないほうが良いのかも知れない。人によって受けとり方が違ってくる曖昧な部分が人間には大切で・・・それが一人一人の個性や能力になるのではないかな・・・。現代人は社会生活を行ううえで感情を抑えて生きている。他人に説明できないけれど・・・いとおしく思う人や物があっても、それを秘密にしていることがあるし、頬をこぶしで殴ってしまいたいほど憎い相手がいたとしても、理性やら羞恥心やらプライドが働いて、たいていは衝動を押さえ込む・・・私たちは普段、本来自分の内側に介在する原始的な感情の1割も表に出していないのではなかろうか・・・人は解き放たれた感情に故郷のような安らぎを感じるのではないだろうか…感情を解き放つシチュエーションの一つが芸術や宗教であり、特に音楽はタキシードやフォーマルドレスを凛と身にまとって原始の感情を大衆に晒す・・・なんともアンバランスな行為のように思う。さもおとなしそうに挨拶して、歌いはじめたら腹の底から内臓を吐き出しそうな勢いで大声を張り上げる・・・そして、歌い終われば、またおとなしい人格にもどる。やってる方は公衆の面前で見せる…この感情の落差がたまらない魅力で病みつきになっているのではなかろうか・・・聞いている方も自分も持っている原始の感情を目の前にして自分もすっきり・・・なんてことが音楽の魅力ではなかろうかと考えてみた。 自分では、実にうまいことを考えた・・・と今、気持ちよくなっている。 さて、この考えを自分が実践するとすれば、この度のギター発表会で仮面をつけるという私の狙いは大正解・・・理にかなっているに違いない。プロフェッショナルは素顔のままで自分のすべてを晒すことができるかもしれないが、未熟な私が感情を晒すためには、仮面の力を借りねばならない。 音楽におけるあらゆるテクニックは感情表現するために身につけるものに違いない。発表会のレベルではテクニックだけで演奏する人ばかり、感情表現ははるか彼方のお話・・・テクニックの未熟な私が感情を前に出して演奏したらみんなびっくりするだろうな・・・ 夢想にふけっている私は実に楽しい・・・しかし現実は、そううまくは運ばない。私は全てを晒せないことを自覚している・・・そしてなにより技術が不足し過ぎている・・・ |