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SOLILOQUY

ひとりごと

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May 31, 2010 21:30:40

接触

カテゴリー: 日記
若い頃“スナック”と言う酒を提供する店があったが、私には苦手なジャンルの店であって・・・ほとんど行くことが無かった。20代の頃は煙草を吸っていたが、スナックで煙草の火を点けられることが嫌であった。同じ理由で“クラブ”にも行かなかった。わざとらしさを感じる人間関係が堪らなかった。若い頃にはレストランに行く機会はそれほど無かったが、自ら飲食店を始め、勉強という名目で話題の店、美味いと言われる店によく行くようになった。しかしやはり“行きつけの店”など無かった。作りたいとも思わなかった。ところが、最近“マダムの店”と、初めて私がやり始めた飲食店の“カフェバー”で、アルバイトに来ていた男の子がやっている、わが町で私が最高だと思う“ショットバー”には良く行くようになった。“行きつけの店”には、店の主人だけでなく、やってくる他の客との接触が生じる。つい最近まで、そんな他人とのコミュニケーションが億劫であったが、どうも近頃はやっと大人になった・・・と言うか、楽しめるようになってきた。歳をとったせいであろうか・・・

今からスナックやクラブに行きたいとは思わないが、これからはパーティーやら、会合での初対面の人との交わりも楽しんで生きていけそうに思う。同じように生きていくなら、そう構えた方が自分に拡がりが出て、いいんだと最近思う。
May 30, 2010 21:14:29

何者

カテゴリー: 日記
明日、歴史研究家から依頼された居留地返還以前に外国人向けホテルの経営を任されていたイギリス人女性のビジュアル資料が完成する予定である。その旨、研究家に電話を入れた。5月中に引渡しを約束していたため、明日の夕方にでも会えるかと訊ねた。研究家は長崎にいた。10日前に1週間ほど、研究のために長崎に行くと聞かされて別れたが、後4日ほどは九州に滞在すると言う。60歳を前にホテル業を引退したと言う研究家は、いったい何者なんだろう。
今日、京都のクリエーターと出会った。午前中から神戸に来ていて、夕方マダムのサロンに立ち寄ったのである。週末はいつも神戸に来ているようだ。彼のことで分かっていることは、独身であること・・・パソコンの仕事をしていること・・・その他、彼が何者か誰も分からない。

最近、私の周りには、何者か分からぬ人が多くなった。何をして食べているんだろう・・・という人が多くなった。いつか、もっと親しくなったら聞いてみようと思う。
ひょっとすると、私も周囲の人に得体の知れない人物と思われているんだろうか・・・
May 29, 2010 20:18:32

感性

カテゴリー: 日記
ギターの先生が、私に「自分の目指す未来を、見通したことがあるか?」と訊ねた。当然私は「ありません。」と答えた。先生は続けた。「自分の目の前には大きな板があって、向こう側は全く見えない。しかも板は1枚だけではなく何枚かが重なっており、どう考えても先など見えるわけがない。しかしそれぞれの板には小さな穴が開いていて自分が動いてみたり、板が少しづつ動くうちに、極々稀に穴が一直線に揃う瞬間があり一瞬向こうの世界が見えることがある。私はそんな経験を2度したことがある。」と言うのだ。「一つは、普段なら初見の曲を人前で弾けるようになるまでに私は2週間はかかるのだが、コンサートの直前に知人の作曲家から譜面を渡され、その作曲家からあなたなら1日で弾けるようになると言われ、出来るわけがないと思いながらやってみたら一回弾いただけで自分のものになった。」こと・・・実際に目の前でその曲を演奏してもらったのだが、たいそう難しそうな曲であった。「もう一つは、イラストを描く女性とそのご主人と3人でギターの練習をしていた時、彼女のギターからそれまでの響きとは違う聞いたことのない深い音が発し、同時に3人が顔を見合わせた。次に弾いても同じ深い音が響いた。全員沈黙のままその音は響き続けたが、数分後に、どのようにしてもその音は鳴らなくなっていた。私たちは、今も自分たちの未来の姿(その音を自分が爪弾いている未来を見せられ)に向かって日々努力している。」と言うのだ。私はこの話が嘘であるとは思わない。ただ、普通の感性の人には少し理解し難い話かも知れない。

私には、そのような実体験はないが、先生からあなたももうすぐ経験することになる・・・と言われた。怖いような嬉しいような・・・あまり気を張らずに教室に通いたいと思う。
May 28, 2010 13:58:41

偶然

カテゴリー: 日記
昨日、久しぶりにギター教室へ行った。しばらく行かなかったのは、私の都合ではない。先生の予定が詰まっていたからである。教室に入ると先客の若い女性がレッスンしていた。少し気になる存在のその女性(彼女に女性を感じたのではない)のレッスンが終わり、私の番となり席についた。普通なら爪を磨き、ギターの調弦をし、レッスンが始まるのだが、昨日は私から先生に“絵”の話題を振った。するとお互いギターを抱えたままで話が弾みかけた。帰り支度が済んで席を立とうとした彼女を先生が私に紹介した。彼女は先生から渡されたギター教本の挿絵を描いた人物だった。自然で素直で気取らない絵を描いた人がどんな人物か興味があったのだ。この教室で最も会いたいと思っていた人物に、こんなに早く出会えた。私の願いが現実化していく・・・私を中心に世界が回る・・・そんなパターンにはまっていると改めて思った。教室の壁の少し上にポツンと一つ掛けられた1号キャンバスに先生の好きな言葉が書かれている。『偶然ほど、必然的なものはないのです。』・・・まさに今日の全ては必然と言えるのだろう。ほとんど話もしないうちに、しばらくして彼女は絵のモデルになるため教室を後にした。

その後、私と先生は自分の思っている“世界感“を話し合った。先生は“音”の世界をベースに実体験を通して・・・私は“絵”の世界をべースに直感と推測をもとにして・・・ベースは違っていても、お互い思っていることが同じであると認識できた。
次の生徒が来るまでの2時間、ギターを抱えて話し合った。結局全くギターを弾かずにケースに仕舞い込んだ。先生が「こんな日もあるよ!」と言った。私もそのとき「こんな日もあっていいんだ!」と思っていた。
May 27, 2010 22:40:04

印象

カテゴリー: 日記
先日、食料品を買いに出た私が自動扉を抜けスーパーの店内に入ったとき、正面に小学生の男子がいて、私の目から視線を外し道を開け・・・「わぁー、怖わー!」と囁いた。先日“薔薇を愛でる会”の参加者だった65歳位の女性から「あなたは、いつも笑っている。」と評された。同じ私のことを、人によって全く逆の印象で捉えたわけだが・・・どちらが本当の私なんだろう。男の子も初老の女性も間違って私を捉えたのではないように思う。どちらもが私だと考えると、私には笑う時も眉間に皺を寄せる時もあるに違いない。大人に対しては、人生経験上自分の本心を隠すために、意識的に笑顔を作っているようにも思う。そう思うと、子供が直感で感じた私に対する印象が本来の私なのかも知れない。浮世の波に揉まれても、いつも自然な笑顔を続けられるほど、私はまだ成熟できていない・・・その程度の私である。

ともかく、明日から純粋な子供を怖がらせずに歩こう・・・自分自身で不自然な笑顔は自重しよう・・・と気持ちを新たにする今宵である
May 26, 2010 22:24:03

異端

カテゴリー: 日記
“薔薇を愛でる会”の話で昨日、書いていなかった事があり・・・実は、参加者は6人ではなく、前日にキャンセルと連絡してきた水中カメラマンの女性が大阪での別の宴会を終えて10時頃に我々の会に合流し、7人になった。するとそれまで陽の雰囲気の場が陰に一変していった。参加メンバーを選択したマダムに翌日そのことを話したら、「最初はカメラマンの女性がくる筈だったんだけれど、キャンセルと言ってきたので、急遽病院の院長婦人に声をかけたの・・・二人は、絶対に合わないと分かっているから、隣に座っちゃったのでヒヤヒヤしたわ・・・」と言うことで、“やっぱり・・・”と思った。一人の異端者の加入で、全体の足並みが急激に変わる瞬間に立ち会えてラッキーに思う。私は第三者感覚で客観的に観察していたから、二人の間の火花を適当に楽しませてもらった。そう言えば、私の下に部下がいた頃、営業成績の低下より社内に異端者と思える社員が固まっていると思った瞬間・・・会社を止めようと思ったな・・・いやいや決して社員が悪いから会社が継続できなかったと言っているのではない。私の力が不足していたからの結果だと・・・そのことはよく分かっている。ただ会社組織のなかでは、仕事の能力評価だけでなく、ある程度意思統一できて全体の足並みを乱さないメンバーが揃ったほうがいいだろうな・・・

ともかく“薔薇を愛でる会”のような宴であるからこそ、異端者がいても楽しく過ごすことができた事、異端と言った人が決して悪人であったり、付き合って危害を受けるような危険な人ではないことを最後に記しておこう。
May 25, 2010 22:56:06

薔薇

カテゴリー: 日記
“薔薇を愛でる会”は、昨日の夕方6時半から11時半まで長時間に渡り催された。今日は触れないつもりでいたが、集まった6人のメンバーが強烈な人ばかりで面白かったので、引き続き少し書き記すことにする。ガーデンで薔薇を見ながらカクテルを飲むことからスタートしたこの会の個性ある参加者のキャラクターを紹介すると・・・薔薇に魅せられて薔薇の食用花びらから、チタン合金の薔薇のアクセサリーまで作ってしまう半世紀に渡って薔薇一筋の男性。薔薇の絵が描かれた名刺を持つ自称“自遊人”の京都から参加したクリエーターの男性。日本の薔薇の原種はブルガリアのようだが、薔薇のメッカを訪ねてブルガリア旅行を計画している健康水の販売をしている男性。自分が人から薔薇に例えられると、真顔で言う私立病院の院長婦人。タンゴ(情熱的な薔薇のイメージ)を踊ることに生きがいを感じているヨガの先生。それに私を入れて6人が集まった。さすがに薔薇にあまり興味を持っていないのは私だけのようで、主に聞き役に回っていた。適当にぶつかり合い、適当に話が食い違い、たまに棘で相手を刺しながら・・・それでも皆が大人で一線は踏み外さない。これだけ個性の強い人達の集まりに参加したことのない私は、客観的に彼らの話と表情を観察して楽しんだ。私にとって右へならえの一塊の集団ではなく、それぞれの個が存在を主張し合う昨日の会は結構居心地の良いものであった。

家に帰り着いたのは翌日になってからのこと・・・やはり夕方ブログ投稿をしておいて正解だった。しかし、どう考えても昨日のメンバーは絶対に強烈だ・・・
May 24, 2010 16:47:51

夕暮

カテゴリー: 日記
夕方からマダムの店で会合がありお酒を飲むため、今朝は車を置いて電車で出社した。途中崖崩れのため不通箇所があり、事故現場の手前で地下鉄に乗り換えたが、列車ダイヤは混乱している様子・・・会社に着いてコンサートのリハーサルのために京都からやって来る筈の音楽家が、やはり列車ダイヤ混乱のために来れなくなり中止となる。今日の会合は“薔薇を愛でる会”・・・天候不順のためか直前キャンセルの人が多く、今のところ全員で6名とのこと・・・おまけにキャンセル組は女性ばかりで、明らかに華やかな会であるべき会が男臭い会になりそうだ。この雨は日本全国に不協和音をもたらしたようだ。激しい気温変化に体がついていかない私も帰りたいのだが、人数が少ないと分かっていてキャンセルできるほど私には勇気がない。最初だけ顔を出して適当に場を離れようと思う。
今日の話は“薔薇を愛でる会”の話ではない。そうであるならお酒を飲んで帰ってから書き込みするだろうが、今日は帰ってすぐに寝れるように夕方に投稿することにした。これも毎日投稿の目標を実践していくための苦肉の策・・・はっきり言って、今日は何をポイントに書こうか自分でも分からずに書き始めた。 

“こんな日もあるのだ・・・こんな日もあってもいいのだ・・・”と、自分に言い聞かせている今日の私である。肌寒さを覚える大雨の後の夕暮れである。
May 23, 2010 20:23:41

一生

カテゴリー: 日記
今日、一つの仕事に区切りがついた。仕事が完成した訳ではない。ある歴史研究家から預かった1858年から1910年までのある英国人女性に関わる画像資料のパソコンへの取り込みと画像修正が終わったのだ。資料の中には英国での出生証明、その後の国勢調査での家族構成、英国での婚姻証明、長崎で巻き込まれた盗難事件の領事館記録、横浜での殺人事件記録、神戸に初上陸した際の新聞記事、娘の横浜での結婚の新聞記事、娘の死の新聞記事、おそらく愛し合っていた男性の死の記録、本人の死、長崎・横浜・神戸の新聞での彼女の吉報を悼む記事等々・・・
料理と同じで、下準備に7割以上の労力をかけたわけで、ここまでくれば完成は見えている。それにしても、おそらく日本中の・・いや世界中の全ての人に忘れられた、過去に日本で一生を終えた一人の英国人女性の生涯が、いかにドラマティックな生き様か・・・
歴史研究家によって与えられた、一人の人間の生涯の歴史が陽の目を見る瞬間に立ち会う幸せを噛み締めている。

思いどおりに進まないことに嘆き、時には叫びたい思いが沸き立つ・・・私もあなたも、遠い未来から振り帰ってみれば、愛されるべき一生を生きているのかも知れない。
May 22, 2010 21:38:42

家族

カテゴリー: 日記
“チーム”は個の集合であり、それぞれ異なる価値観を持ち、異なる環境のなかで、異なる能力(体力・知力)を身につけて育った者が、同じ目標に向かって戦い、高みを目指す訳だが、優れたチームを作り上げるには、選手個々の能力の高いものだけを集めても不完全で、皆を取り纏める力を持った中心的存在が必要であることは言うまでもない。いわゆる監督の力量がチームには大切なのだろう。
“家族”に置き換えれば、良い家族を作るためには同じように親の責任が大きいに違いない。子の能力分析(自分の能力の限界を踏まえて)をしっかり行い、必要以上に期待をかけず、一人で生きているのではなく、家族というチームで生きていることを教えなければならない。教えなくても自分で気がついてくれれば良いのだが、大抵の親はそこのところを飛ばして育ててしまい、あるとき、こんなはずじゃーないのにと慌ててしまう。理解できて当たり前という思いは分からないこともないが、現実に今、分からない子に腹を立てても仕方ない。分からなくて当たり前、分からないのは自分の責任・・・くらいの気持ちを持つほうが子も自分もストレスなく生きていける。
少なくとも家族というチームは、トレードしたり、首を切る訳にもいかないのだから、誰よりも子供の能力をしっかり把握する監督となって、少しづつ少しづつ光っているものを引き出しながら、独り立ちまで家族というチームで前進するしかないように思う。離れられない分・・・長い目で見れば、数年後にその成長に喜びを共にできる関係なのだから・・・。

そんなことを考えながら、まだ一人で生きていると思っているように見える成人した息子を、腹を立てづに見守っている。
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