“チーム”は個の集合であり、それぞれ異なる価値観を持ち、異なる環境のなかで、異なる能力(体力・知力)を身につけて育った者が、同じ目標に向かって戦い、高みを目指す訳だが、優れたチームを作り上げるには、選手個々の能力の高いものだけを集めても不完全で、皆を取り纏める力を持った中心的存在が必要であることは言うまでもない。いわゆる監督の力量がチームには大切なのだろう。 “家族”に置き換えれば、良い家族を作るためには同じように親の責任が大きいに違いない。子の能力分析(自分の能力の限界を踏まえて)をしっかり行い、必要以上に期待をかけず、一人で生きているのではなく、家族というチームで生きていることを教えなければならない。教えなくても自分で気がついてくれれば良いのだが、大抵の親はそこのところを飛ばして育ててしまい、あるとき、こんなはずじゃーないのにと慌ててしまう。理解できて当たり前という思いは分からないこともないが、現実に今、分からない子に腹を立てても仕方ない。分からなくて当たり前、分からないのは自分の責任・・・くらいの気持ちを持つほうが子も自分もストレスなく生きていける。 少なくとも家族というチームは、トレードしたり、首を切る訳にもいかないのだから、誰よりも子供の能力をしっかり把握する監督となって、少しづつ少しづつ光っているものを引き出しながら、独り立ちまで家族というチームで前進するしかないように思う。離れられない分・・・長い目で見れば、数年後にその成長に喜びを共にできる関係なのだから・・・。 そんなことを考えながら、まだ一人で生きていると思っているように見える成人した息子を、腹を立てづに見守っている。 |