森下洋子さんだったであろうか・・・世界的バレリーナであった彼女が昔、語った言葉を今でも鮮明に覚えている。 “練習を1日休むと自分が分かる。2日休むと相手(共演者)が分かる。3日休むと観客が分かる。”第一線のレベルを維持するために続ける練習の厳しさと日々の継続の大切さを思い知らされた忘れられない一言である。 本日のブログ投稿で1月の毎日投稿が達成された。12月7日からだと56日連続になる。今後2月6日で二ヶ月間連続投稿。続いて1月・2月連続投稿。100日連続投稿・・・連続記録の更新目標は延々と続く。さて、連続投稿はいつ途切れるのだろうか? なんのために・・・という思いは、あまり考えないほうが良いと思っている。自分のため以外には理由はないのだから・・・ 1日休むと、私とあなたが同時に分かる。 |
最近、いろいろなことで“褒め上手”になったような気がする。決して“おだてる”ことが上手くなったのではない。本当に美しいと感じたことを美しいと言葉にしているだけなので・・・おそらく、以前より客観的に物事がよく見えているからに違いない。どんなものも“よく見て、よく聞いて、よく感じて”それぞれの特徴を理解できれば、優れた点を見つけることができる。その思いを言葉にすることで、コミュニケーションを深め、その人に自信を与え、磨きをかける意識を与える・・・ 心がけることは、自分のナチュラルな観察力や感性や表現力を高めていくこと。 相手をよく見つめ、媚びない表現で褒めてあげたい。 女性を褒めることも、以前より上手くなったかも知れない。 セクハラにならないように注意したい。 |
以前、仕事でクレームを受けた時、立場上私も対応することがあったが、その際何度か使用した謝罪の文言があった。それは“ご心労を煩わせ真に申し訳ございません。” この言葉が指すものは、相手が求めるこちらの失策に対する詫びではなく、気を使わせたことへの侘びであり、丁寧な謝罪のように聞こえるがよくよく聞いてみると・・・実は、相手の求める謝罪ではない。確かこの対応は以前ホテルニューオータニ?の副社長だった人が書いた“クレーム対処術”という本に書かれていたと思う。簡単に自分の非を認め謝ることで将来裁判で不利にならないことも見据えての大企業ならではの対応術であろう。 ただし、この文言は心を伝える気持ちが同時に働かないと効果が半減する。 こんな言葉は使わないほうが幸せだろう・・・ |
今日の午前中、入院中の知人から(余命僅かと言われた人)からメールが届いた。嬉しかった。メールには病状の経過と共に私と出会えたことへの感謝の気持ちが綴られていた。私にとって彼は、自分の本心を打ち明けられる大切な人だった。彼が入院してから、私の思いを伝える相手がいなくなり寂しさを感じる日々であるが・・・ともあれ、精一杯の気力で送信ボタンを押した彼のお見舞いに行きたいと思う。 ICUに入っていて(親族以外に面会を拒絶され)会えない友人を見舞った。やはり会えなかったが、数日後に普通病棟に移れるだろうとのこと・・・一安心。 “今”私の人生での転換期であるように思う。今まで関わった人々に感謝しつつ、これから目の前に現れる人を大切にしたいと思う。 私を見ていてくれる人がいるという事は、今の私には、大きな支えである。 だから私も、支えに値するか分からないが、見つめていたいと思っている。 |
昨日から、いままでにない疲労感を覚える。 運動による疲れではない。頭の使いすぎによる疲労でもない。なにものかと戦った疲れでもなく。信じていたものが、信頼に値しないと気づいたための虚脱感である。 私には、仕事上のパートナー(少なくとも相手がそう思っている)がいるが、3年前から少しづつ価値観の違いに気づき始め、昨日の彼の契約上の対応をみて、これ以上共に仕事をすることが不可能だと判断した。 私のパートナーの概念は、“あらゆる面で互いに貸し借りがなく対等の立場を有する判断基準の同じ人間・・・”である。 最近、私が彼を支えることが多すぎる。 この度、彼と離れようと思ったきっかけは、彼の能力が鈍化したためではなく・・・おそらく私が進化したためだと思う。彼の責任は問わない。しかし、私の気持ちの変化を伝え、ある程度時間をかけて離れようと思う。 この疲労感は繰り返したくない。 今日は何をする意欲も湧いてこなかった。 明日は、気持ちを切り替えて生きていたい。 |
昔読んだ本にこんなことが書かれていた。 北風の吹く町を歩いているとバス停の近くのベンチに座っていた若い男女に「お腹が空いて動けないので、お金を恵んでほしい。」と声をかけられた。 ポケットの内に手を入れると5ドル札が1枚あった。5ドルしかないのだからと思い、多くの人がそうするように「お金はない・・・」と言って通り過ぎようとしたが、人の良さそうな空腹の二人が気になり自分の家に招く。冷蔵庫のなかの残り物で料理を作ってみたら結構なご馳走が出来上がり3人で会話しながら、楽しいディナータイムを過ごすうち、二人の人となりを理解した。食後居間で休めるように1枚の毛布を渡し一夜の宿を提供する。翌日ささやかな朝食の後、ポケットのなかの1枚の5ドル札を二人に渡して家から送り出した・・・。 この物語を初めて読んだ時、出来すぎた話に、‘そんな人が良すぎる人はおらへんやろ!’と思ったことを覚えている。 物語の続きにこんな事が書かれていた。 この宇宙は自分が‘思う事”を実現化する。 宇宙は‘お金がほしいと思う自分の欲望’よりも、‘今お金がない’という現実の自己認識のほうを優先して叶えてしまう。 他人にあげる‘お金がないと思う事’は、自分が“お金がない人間である”と宇宙へ宣言をしていることになるのだそうだ。宇宙は自分自身が宣言したことを叶えてくれる・・・ さてあなたは‘5ドルしかもっていない人’なのか‘5ドルも持っている人’なのか・・・さぁ どちら? この考え方が、上手く生きるための公式の一つ・・・ 宇宙はあなたの宣言を待っている。 |
私は4年前、手術後36時間後にICUで目覚めた。その時の事を今でもはっきりと覚えている。私はカエルで・・・薄暗い湖底から水面の光に向かって泳いだ。そして空中に顔が出た瞬間にこの世での二回目の人生がはじまった。(後でカルテを見せてもらうと、記録上は私はカエルであった9時間前に目覚めたと記録されていた。そして“自分がカエルだった。”と直後に私が語ったことも記録されていた。)“二回目の人生”と言うとおり、私は瞬きすることや首をほんの少し傾けることもままならない赤ちゃんの状態から数日間で急速に成人したように記憶している。以後このくらいの衝撃がないと人生が変わる契機には成りえないと承知した。 現在もICUに入っている年上の友人を、助けを求めるメールを午前3時に受けた彼の隣の部屋の住人で・・・救急車を手配した女性と共に見舞った。今日は入院以来初めて毎日通ったICUへの入室を拒否された。“心臓の痛みがあるため・・・血縁者以外の入室は許可できない。”・・・と 私は、今まで生きてきたなかで・・・考えもしなかった大きな衝撃を受けている彼が第二の人生を歩めるようにICUの外から祈った。 |
昨日の午後、博物館の地下ホールでわが町の郷土史研究会の今年最初の研究発表会があり、夕方から新年会が開かれた。40名ほど出席の会・・・今年入会を許された私は初めての参加となる。空いている席に自由に座るように言われたが、出席者の全容を知っている私は空席のあるテーブルですでに座を暖めている方の顔ぶれを見て、どこにも座ることなど出来ない状況と判断した。ほとんどの方が65歳以上で大学教授や、以前読んだ郷土史に関する研究本の作家・・・いわゆる先生と呼ばれる方と町の名士・・・いい歳で情けないが幹事の方に座る席を指定いただいた。 食事がはじまって、しばらく経った頃、自己紹介にマイクを持たされたが、新入会員は私一人だけ・・・この重たい人たちの前では、最初に自分をアピールし過ぎると後でしんどいことになりそうだと考え少し媚びた挨拶をした。 さて、集団行動の苦手な私は、この会でどんな立場になっていくのだろうか? これが私の“研究会デビュー”・・・ |
一昨日未明・・・知人が心臓に痛みを訴え救急車で病院へ運ばれた。一旦心拍停止したがAED?で蘇生した。心筋梗塞と診断されカテーテル治療を受け今現在もICU(Intensive Care Unit)のなかにいる。通常病棟への移動のメドはまだたたない。彼には、ある事情から身内が見舞うことがない。私ともう一人・・仕事関係者だけが毎日ICUへの入室を許される。別居している精神疾患をもつ偽装離婚した奥さんと入院中の肝炎の一人娘のために精一杯生きてきた彼は、思い返せば、心筋梗塞が併発するまでに上半身に“しびれ”の自覚症状があったそうだ。彼は自分にも、家族にも、世間にも強い自分を演じて働き続けた。 365日働き続けた彼は、これから変わらなければならない。タバコを止め、偏った食事を改め、仕事による徹夜を厳禁とし、たまにはストレスを和らげる休息を取らなければならない。 心臓の激痛と思うように体を動かせない不自由を経験せねばならなかった彼は、今生きているという事実を誠実にとらえるなら、今・・変わらなければならない。 これから先どんな人生が待ちうけようとも“もう少し生きていなさい”と、なにものかに言われたのだから・・・ |
一人の芸術家が作り出す作品が、技術の熟練や重ねた人生経験によって晩年になるほど、優れたものになっていくとは決して思わない。私の個人的な見方とも言えるが・・・例えば小磯良平の晩年の絵画に描かれた女性像は魂の抜け殻のような魅力のない作品だ。流通する商品としての価値感から言えば、ある程度名前の売れた作家の作品は、名前だけで取引した方が画商にとって利益が確保される。しかし、いかに有名になった作家の晩年の作品でも駄作は駄作以外のなにものでもなく、若い時の青臭く一見欠点の見える作品でも優れた作品はあるはずで・・・その優れた作品は作家が死んで、当時の画商も死んだ後に利害関係のない人たちによって正当な評価が成される時がくるように思う。 人も、年を重ねるごとに優れた人間になるとは思わない。人生経験が未熟で知恵もなくても、もがき・・苦しみ、思い通りいかず・・・若さや、運命を恨めしく思う人生であったとしても、しっかり生きていれば、数年後に振り返って、或いはあなたが死んでから子供たちがその当時のあなたの人生を愛おしく大切なものと評価する時がくるかも知れない。 そう考えて、不器用でも日々を精一杯生きることが大切に思う。 残念ながら、今の私は・・・甘すぎる. |