私は、写真のような絵を描くことができる。その際、背景には遠近法の技法を駆使する(通常三点透視技法を用いる)人物画の場合、先ず医学書で覚えた解剖図をイメージし表面を見ただけでは分からない・・・対象を透視した骨格や筋肉を想像する。ダヴィンチやレンブラントは、自ら死体を解剖し人体構造の知識を得・・・そして遠近法を確立した。まさに彼らは、上手い絵を描くために知識や技法の上に、描こうとした対象のイメージを重ね合わせて作品を作り上げたに違いない。知識と技法のない人が精一杯対称を見て描いた絵は下手な絵と思われることが多い。上手い絵を描くことが目的なら、先ず最初に知識と技法を身につけた方がはやい。 近代以降の芸術という分野では、上手い絵だけでなく、下手な絵も評価されることがある。それはイメージや観念を優先した対象の捉え方が本来の人間の自然な物の捉え方だと言う気づきの宣言であったと私は理解している。私たちは写真のように物を見ているのではなく、実は下手な絵を見るように対象を見ているのではなかろうか・・・ 一般に目にする写真や映像は上手い絵を再現するように作られたもので、実際に自分が見ている世界の再現ではないと・・・私ティーカップを描こうとして気がついた。上手い絵を描こうと思わず自信をもって下手な絵を描かれてはいかがだろう。芸術という物が人の心に訴えかける本質を持っているとするならば・・・(続く) |