朝の散歩のときにすれ違う写真館のおじさんがいる。彼は毎朝、自分で歩けなくなったゴールデンレドリバーの老犬を手作りの台車に乗せ、公園まで排便をさせに行っていた。昨年秋のある朝から通いなれた道を一人で新聞配達所まで行きスポーツ紙を買って帰る彼の姿を見るようになった。老犬が死んでしまったことを悟った。 私は今の家に越してきて7年になるが、当時は老犬も彼の横を自分の足で散歩していたことを覚えている。昔からこの町に住んでいる古参の住人に聞いてみると、25年近く前から飼われていたと聞く。犬としては、稀に見る長生きだった。 事故にあい歩けなくなったのか老衰のためなのか分からないが台車を押して散歩する彼らの姿はいまだに老いた愛犬へのほのぼのとした労りの光景として私の脳裏に焼き付いている。 今朝新聞を買いに行く彼とすれ違った時…、彼は私の連れている犬をじっとみつめていた。死んでしまった愛犬を思い出していたのだろうか…。 私と共に散歩する今年で17才を迎える、やはり老いたトイプードルを見ながら、写真館のおじさんが、二度と犬を連れ沿って歩くことはないと思った。 私が最後をみとってやれない動物は、これからは自分の責任において、いっしょに過ごす時間を持たないようにしようと思った。 |