童話のなかに、小さな鼠が像の脚の爪を見て、それが動物だと分かるけれども全体の大きさや形が分からない…なんて話があったように思うけれど…。物事の本質を見極めるには、自分の普段の生活の尺度ではない、少し離れたところで俯瞰する必要があるように思う。 事実認識というものは、互いに嘘をついていないという前提で、そもそも自分が正しいから相手が間違っているという論法には無理がある。 そこで、私は“巻き寿司”をイメージしてみた。同じ巻き寿司のなかに卵焼き・シイタケ・胡瓜・菜の花が入っていたとして、それを切りとった一個だけを見てみたら、卵が入っていないところがあったり、シイタケと菜の花の量が逆転しているところがあったりするのは当然であるし…、自分にあったった寿司の一個だけを見て、他の寿司が自分のものと同じ寿司でないと言い張るのも妙な話である。要するに自分が食べた寿司を、食べていない寿司も含めて同じ寿司だと認識をすることが自然だと思う。 意見・考え方の違うもの同士は物事を俯瞰できる位置に自らを置かなければならない。 少なくとも、それができる人がリーダーになるべきだと思う。 |