老化と言うものは、実に静かにやってくる。視力のが低下で文字が読みづらい…、じっとしていても首が痛い…、髪の毛が少なくなり、肌に艶がなくなってチリメン状に…、シミが目立ち始める等…目に見える老化が、いっぱいある。 内臓機能の低下、骨密度の減少、コンドロイチンの減少、血管の硬化や詰まり等、目に見えないものまで考えたら、悲しくなる年齢になったものだ。 スポーツ選手の能力のピークが10代後半から20代後半くらいだと考えたら、誰でも20歳代で老化が始まるのだろう。30才を越えても一流を保つスポーツ選手は、体力を技術と理論と根性でカバーすると言うが、一般人の私にはとてもそこまでできない。自然にまかせて右肩下がりの体力だ。 と…納得せずに、やっぱり少しは老化に抵抗してみよう。 今冬インフルエンザにかかってからスポーツクラブもご無沙汰だ。体幹トレーニングも復活しなくちゃ。 せめて、鳥インフルエンザにかかっても生き残れるだけの体力だけは持っていたいなぁー。 体力がないものが死ぬんだろうが、10人に2人が死ぬみたいだし…。 もう少し生きていたいなー。 |
町のほうの家にあるオリーブの樹が、鉢が小さくなったせいか元気がなくなってきた。そこで初めての植え替えようと昨晩ホームセンターで鉢と土と石を買ったが、家に帰ってから鉢の底に敷くネットが必要ではないかと気が付き、今朝ホームセンターの営業時間9時半に合わせて家を出た。 ネットを見つけ、財布に手をやると…見つからない。着ている服の全てのポケットを探ってみるが見つからない。幸い、小銭いは持っていたので798円也を払って店の外へ出た。会社に行く途中だったから、そのまま所持金0円で、運転しようかと思ったが、運転免許は財布に入れているから検問に引っかかれば免許不携帯になる。かといって取りに帰るにしても、その間法律違反である。検問があるわけないと思ったが、一瞬考え、引き返すことにした。 ホームセンターは家から会社への道のりの三分の二ほどのところにあるから、いつもの2倍以上の時間と距離をかけて会社に辿り着いた。 世間ではゴールデンウィーク突入で浮かれている。それに反して私は、いつものように会社に出てきた。誰と出会う約束もなく、遅れても誰に怒られるわけではなく、毎年のように連休だからと言って、特に変わらない生活を送っている。 だから会社に入る時間は何時でも構わないのだが、財布や鍵や携帯を忘れることは、なしにしたい。他人に言われなくても自分で懲りる…ということは大切だと思う。いや…自分で懲りる事こそが大切に違いない。 このようにして、私の失敗は、あなたしか知らずに終わるのだ。 |
オリーブと言えば小豆島を思い浮かべる人が多いと思うが、あまり知られていないが、その昔…私の町に日本初のオリーブ農園があった。 忘れ去られていた、その史実を大学の農学部の教授が研究し存在した場所の具体的な位置までつきとめ、前々回の居留地研究会でも研究発表が行われた。 ほんの百数十年足らずのことなのに、忘れ去られてしまうことがある。どんな理由でオリーブ農園が消滅したかは、まだ解明されていないようだ。失敗の記録は資料が処分される運命なのだろうか?それとも空襲で資料が消滅したのだろう? 史実を後世に伝えようと言う大きな意志が働かない限り、ほとんどの歴史は忘れ去られる運命にある。 私がこの世で生きたことを、50年後にだれが知るだろうか? 墓碑などと言うものではなく、私がこの世に存在した証を未来の人に知ってもらえる作品造りをしていきたいと思う。 今日は午後から居留地研究会が開かれる。どんな研究発表があるだろうか?楽しみだ。 |
昨日マダムの店の前で“薔薇の先生”に出会った。 どうして薔薇の先生と呼ぶか…? 先生は学校を卒業して商社に入ったが数年後、独立して薔薇の花だけの花屋を始めた。今ならそんな専門店があっても不思議はないが、東京のような大都会ではなく私の町のような田舎町で35年前のことだから当時としては画期的な店だっただろう。 薔薇の先生は7年前に店を閉めた。その理由は病気で倒れたから…。奇遇だが、私と全く同時期に同じ病気で倒れ、それ以降通常の社会生活ができなくなった。 私は、当時若かったから手術で人工血管に入れ替えたのに反し、先生は高齢であったため薬だけの治療を続けていて無理ができない。私が無理できる体かと言うとそうではないのだが…。 私と先生は、病気を通して親しくなった。いわゆる病気友達である。 マダムは独身、薔薇の先生はずっと前に離婚して独り身だ。先生は、マダムの店によくやってくる。二人が話をしている様子をみていると、ほのぼのとしたものを感じる。マダムが69才、先生が74才、二人が結婚することはなかろうが、以前マダムが“私にも恋人に近い友人がいる。”と、ブログに書いていた男性は薔薇の先生のことではないかと思うのだ。 昨日、先生がやってきた時、マダムの店の前に“出かけています。5時にもどります。”と言う貼り紙があった。先生は、“30分も待たれへんから、帰るは…。”と立ち去ろうとした。私は病気友達がマダムに会って帰れるようにと思い、店の前で30分間、先生の話し相手を務めた。 時間どおりにマダムが帰ってきた。二人がいっしょに店に入ってくのを見届けた。 一風の爽やかな風が私の頬を撫で、私は仕事にもどった。 |
平面に“人”を描くように…とだけ言われたら、画面の中央にポツンと小さく体全体を描く人と、顔だけを描く人、もっと部分的に禿げた頭の1本だけ残った髪の毛を描く人…いろいろいると思う。 描くことだけが目的なら、どのように描こうが、描いた時点で目的達成だ。 描いたうえで、絵の上手さを評価されるとなると、人それぞれに考え方や好みが違うから、そこで優劣がつく。 評価基準が明確でないものは、違うところで違う人に見せると全く違う評価になることがある。 一般的に“絵が上手い”の、上手いとは、美術学校の入学試験に通る絵…だとか、○○○の展覧会に入選するレベル…などと言うものだろうが、それは決して全ての評価基準では無い。 世の中には、それらとは全く違う評価基準があり、上手いとは言われなくても人の心を動かしたり、勇気を与えたりする絵がある。 私は、俗に言う…上手い絵を描くことができる。しかし、昔から感動を与える絵を描くことができない。上手い絵描きは、みんなそんなものだ。頭で描いてしまうから…。 身の回りにある些細なことに、感動を与える絵や音楽や文章や行動に敏感でいたい。自分の内側にないものにも、ちゃんと向き合える自分でいたいと思う。 |
私の町は日本初が多い。映画・ゴルフ・オリーブ農園・JAZZ等…海外に門戸を開いた港町ということもあるが、外国からの玄関口が空港にとって代わられるようになり、そのうちに情報が港や空港を通らずネットから入るようになると、私の町では、お初というものがなくなった。 それでも、エイズとか、豚インフルエンザだとかの発症者は私の町が初である。これは困ったものだ。 ここへ来て…鳥インフルエンザの日本初の発祥地が我が町かも知れないという噂がある。それは最近、船でやってくる中国からの観光客が増加しているからだ。大阪を筆頭に我が町でもアジアからの観光客を誘致しないと商業が成り立たない状況になってきた分…感染症のリスクも増加している。 ワクチンのない鳥インフルエンザの感染者が最初に我が町から出れば、商業は大きすぎるダメージを受けるだろう。それより命のほうが心配だろうか? いろいろ乗り越えた町だから、地震も乗り越えたのだから、みんな根性は座っていると思うが、今回は感染者…初…だけは、逃れられることを祈りたい。 |
昨夕、マダムの店でコーヒーを飲んでいたら、マダムが扉の外で入りそびれている客に気が付いて外に出て行った。 しばらく話をして二人で店のなかに入ってきた。みると…毎年、私の誕生日にブーケをプレゼントしてくれる女性だった。マダムに相談があってやってきたのだが、誰かと話をしている様子を見て躊躇したのだと推察した。 彼女は、椅子に座って、しばらくしてから話始めた。 “フランスへ行くのは諦めます。入国審査の基準が厳しくなって、お金があって留学するとかでないと受け入れてくれなくなったんです。不景気で失業率が高いのにどうして外国人を雇うんだ?と言う風潮になってきたみたいで、私のようなお金がなくて名もない者には長期滞在を認めてもらえなくなってきたみたいで…。” 彼女は、4~5年前に2年間フランスの花屋で働いたことがあり、その後もスポットでパリの花屋から仕事で呼ばれたりしていた。そのうちにフランスに永住して将来はフランス人と結婚することを夢みていたのだ。 私がいないほうが、彼女がマダムと話しやすいだろうと考え、席を立った。 そして、扉の取っ手に手をかけながら一言…言った。 “諦めちゃだめだよ。しばらく様子をみることにしたと思わなくっちゃー。世の中は、ずっとうまく行き続けることはないし、悪いことがずっと続くわけでもない。今、目の前に起こることが将来の夢の実現のために経験しておかないといけないことだと思わなくちゃー。そう思ってないと次にチャンスが訪れた時に掴み損ねるよ。諦めちゃだめだよ!” そう言って、彼女の答えを待たずに店を後にした。 信号待ちで立ち止まりながら、彼女を支えてあげられない自分が、少し悲しかった。 |